2019年01月14日

心安らかに生きる為に(6)

◇法徳寺の豆撒きー「福は内、鬼も内」◇


毎年二月三日の節分には、どこの家でも豆まきをしますが、古来豆撒きは、その年の縁起の良い方角(恵方)に向かって「福は内」と連呼しながら豆を撒き、次に恵方に背を向けて「鬼は外」と唱えながら豆を撒くのが習わしです。


しかし、法徳寺では、「福は内、鬼は外」ではなく、菩薩様の教えにより、「福は内、鬼も内」と唱えながら豆を撒くのが恒例となっています。


何故「福は内、鬼も内」なのか?理由は二つあります。


一つは、鬼も衆生の一人だからです。


衆生済度をしなければならない使命のある法徳寺にとって、救われなくてもよい衆生は一人もいません。


たとえ相手が鬼であっても悪魔であっても、法徳寺に救いを求めてくる者は、すべて救われなければならない衆生の一人です。鬼だ、悪魔だと言って分け隔てしていては、衆生済度の使命は果たせません。


それどころか、一刻も早く鬼や悪魔と呼ばれる身分から救われたいと願い、救いを求める心が誰よりも強いのが、鬼たちなのです。


お大師様が、
 虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば
  わが願いも 尽きなん
というお誓いを立てて御入定されたことは、先にお話しましたが、鬼も悪魔も衆生の一人ですから、鬼を追い出していては、お大師様の御誓願も成就いたしません。


菩薩様は常々、「鬼も悪魔も衆生の一人だから、分け隔てなくお寺に招き、仏法を施して、救ってあげなければいけない」とおっしゃっておられましたが、「福は内、鬼も内」の掛け声は、まさに菩薩様の深い慈悲心の現れと申せましょう。


◇吉凶禍福は表裏一体◇


二つ目は、先にも述べたように、都合のよい福の神(仏)と、不都合な疫病神(鬼、悪魔)は姉妹であり、一心同体だということです。


一体ですから、不都合な黒闇天を追い出せば、好都合な吉祥天も一緒に出て行ってしまいます。


吉も凶も禍も福も、仏も鬼も、生も死も、すべて表裏一体の関係にある以上、吉祥天を招きたければ、吉祥天の妹である黒闇天も一緒に招かなければなりません。福の神だけを招き入れる事は出来ないのです。


おめでたい吉だけを招きたいと思っても、吉の裏には、必ず凶が付いています。


吉は有り難いが、凶は嫌だというのが、世間一般の常識的な考え方でしょうが、吉も凶も分け隔てなく受け入れる心にならなければ、福の神を招くことは来ません。


凶と正反対の福が、本当の福ではなく、吉を招き、凶を遠ざけようとする分別心を超えたところに本当の福があるのです。


◇良寛さんのお悟り◇


良寛さんが、次のようにおっしゃっています。


災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候


「災難に遭わなければいけない時には、災難に遭いなさい。死ななければいけない時には、素直に死んでいきなさい。それが災難を逃れる不可思議な教えですよ」という意味ですが、良寛さんとて、災難に遭いたくはないでしょうし、死にたくはない筈です。


にも拘わらず、あえて災難や死を在るがまま受け入れなさいとおっしゃったのには、深い意味があります。


原因があれば、必ず結果となって現れます。いくら不都合なことであっても、それもまた自分が過去に作った縁起の結果ですから、不都合なことだけを避けたり逃げているだけでは、問題は何も解決しません。


不都合なことから目を背けるのではなく、先ず在るがまま受け入れ、不都合な因縁の裏に隠されている福の神の存在を知り、不都合な因縁を好都合な因縁に変えていくことが大切なのです。


そうすれば、自分の立っている場所が、不都合な地獄から、好都合な極楽に変わります。


◇味方につけるか、敵に回すか◇


誰もが福の神である吉祥天を味方につけようとしますが、吉祥天を味方につけたければ、一心同体の黒闇天も共に受け入れなければなりません。黒闇天を受け入れなければ、吉祥天を味方にすることも出来ません。


要するに、不都合な黒闇天を味方につけるか、敵に回すかです。


敵に回すということは、不都合な黒闇天を拒絶するということです。「不都合なあなたを受け入れることは出来ません。私にとって、あなたは敵です」と言っているのと同じです。


味方につけるということは、不都合な黒闇天を受け入れるということです。


「あなたを受け入れます。あなたは私の仲間です」と言われれば、災いをもたらそうとしている黒闇天の出る幕がありません。


誰からも嫌われている黒闇天を敵に回すより、味方に付けた方が得策なのです。黒闇天を味方につければ、吉祥天を味方につけることが出来ます。と言うより、味方につければ、黒闇天が吉祥天に変わるのです。


但し、都合の悪い黒闇天を受け入れると言っても、嫌々受け入れたのでは、受け入れたことになりません。


受け入れる以上は、納得して、感謝の気持ちで受け入れなければなりません。


「災難が来てもこれで好し。お迎えが来てもこれで好し。どんな不都合なことに遭遇してもこれで好し」と頷けるようになって初めて、良寛さんがおっしゃるように、一切を在るがまま感謝して受け入れられるようになり、そこに自ずと災難から逃れられる道理が具わってくるのです。


◇生死の中に仏あれば生死なし◇


曹洞宗の開祖、道元禅師が、次のように説いておられます。


生死の中に仏あれば生死なし。ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべくもなく、涅槃としてねがうべきもなし。この時初めて生死を離るる分あり


「生死」を「地獄」と言い換えてみて下さい。


地獄の中に仏あれば地獄なし。ただ地獄即ち極楽と心得て、地獄として厭うべくもなく、極楽としてねがうべきもなし。この時初めて地獄を離るる分あり


誰も地獄へは行きたくないし、みんな極楽へ往きたいのです。でも、どうしても地獄へ行かなければいけなくなった時、皆さんはどうしますか?


「地獄でも何処でも行きましょう」という心にならなければ、本当の極楽には往けません。


つまり、極楽は好いが地獄は嫌だという分別心を捨てなければ、本当の極楽は見えてこないのです。


合掌


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2019年01月08日

心安らかに生きる為に(5)

◇分別心を離れよー吉祥天と黒闇天


二つ目の修行は、分別心を離れる修行です。分別心についても、こんな面白い話があります。


或る日、一軒の家に、美しい女性が訪ねてきたので、家人が「どなたですか?」と尋ねると、「私は吉祥天と言う福の神です。お宅に福を授けにまいりました」と言ったので、家人は大喜びし、「それは有り難いことです。どうぞ中へお入りください」と言って、吉祥天を招き入れました。


すると、その後から、見すぼらしい姿をした女性が入って来ようとするので、「あなたはどなたですか?」と尋ねると、「私は黒闇天という疫病神です」と言ったので、家人は、「疫病神に入ってもらっては困ります。どうかすぐにお帰り下さい」と言って追い出そうとしました。


すると、黒闇天は大笑いして、「先ほど入っていった吉祥天は私の姉です。私たちは姉妹で、どこへ行くにもいつも一緒なのです。もし私を追い出せば、姉の吉祥天も出ていかなければなりません」と言って、黒闇天を追い出したら、折角入って下さった吉祥天も一緒に出て行かれたというのです。


何故この家人が黒闇天を家の中に迎えられなかったのかと言えば、疫病神は自分にとって不都合だという分別心が働いたからです。


人間は、好都合と不都合を分別して、福は好都合、災厄は不都合と色分けしますが、「吉凶禍福はあざなえる縄の如し」と言われるように、吉凶は、表裏一体ですから、吉祥天だけを招きたいと思っても、その裏には常に黒闇天が一緒に付いてくるのです。


もし福の神を招きたければ、妹の黒闇天も一緒に招く以外に道はありません。


◇維摩居士の病気見舞い◇


在家の身でありながらお釈迦様の弟子たちも太刀打ちできないほどの智慧を持つ在家の信者・維摩居士を主人公にした『維摩経』にも、分別心を離れることの大切さが説かれています。


或る日、維摩居士が病気になります。病気と言っても肉体の病気ではなく、苦しむ衆生を救わずにはいられない大悲の疾いなのですが、お釈迦様は、それを承知で、弟子たちに「誰か、維摩居士の病気見舞いに行ってくれませんか?」と尋ねました。


しかし、見舞いに行こうと申し出る弟子は一人もいません。何故なら、以前維摩居士から、修行の在り方や説法の内容について、やり込められた経験があるため、見舞いに行けば、また同じ目に逢うのではないかと思い、行きたくても行けないのです。


釈迦十大弟子の中で「智慧第一」と言われる舎利弗(しゃりほつ)は、悟りを開くには心を鎮めて瞑想するのが最も優れた修行だと信じていたので、座禅して静かに瞑想していると、そこへ維摩居士が通りかかり、「舎利弗さん、何をしているのですか?本当の坐禅とは、ただ一人座って瞑想する事ではありませんよ。本当の座禅は、日常生活の中にあるのですよ」と諭された経験があり、素直に「病気見舞いに行きます」とは答えられないのです。


また「論議第一」と言われた迦栴廷(かせんねん)や、その他の弟子たちも、舎利弗と同様、維摩居士にやり込められた経験があるため、「そのようなお方のお見舞いはとても荷が重すぎます」と言って、みんな病気見舞いに行こうとしません。


そこで、お釈迦様は、文殊菩薩を名代として見舞いに行かせることにしたのですが、文殊菩薩が訪ねていくと、維摩居士は、「文殊菩薩、よく来てくれました。去るものにも来るものにも執着することなく、また見るものにこだわることなく、在るがままを観ずる不動の境地におられる文殊菩薩に来ていただいて、有り難く思います」と言って、礼を言います。


文殊菩薩が、「丁重にお見舞いするようにというお釈迦様の心遣いを伝えるため、私が代表してお見舞いにまいりました。ところで、居士の病の原因は何ですか?」と尋ねると、維摩居士は、「愚痴により道に迷い、愛着のために病は生じます。世間の人々が執着のために道に迷い、病んでいるために私も病むのです。人々の病が消滅すれば、私の病も消滅します。菩薩道を歩む者は、人々をこの愚痴から救い出すために生死の輪廻の世界へ生まれてきました。生や死にこだわれば病になります。人々が生死の病から離れることができれば、菩薩もまた病を離れられます。子供が病気になれば、両親も病むようなものです。その病気の原因は何かと言われれば、菩薩道を歩む者の病とは、大悲のもたらすものです」と答えるのですが、維摩居士はここで、「病気の原因は二つある」と言っています。


一つは、煩悩から来る分別と執着(愛着)、もう一つは、衆生を救いたいという大慈悲心で、菩薩は、衆生を救わずにはいられないという大慈悲心に病むのですが、代苦者となられた菩薩様も、同じ境地を詠まれた道歌をいくつも残しておられます。

 代苦者と なりて衆生の苦を背負う
    これぞ菩薩の 悲願なりけり
 衆苦をば 背負う病の身なれど
    己が心を 知る人ぞなし
 人思い 汝が疾めばわれも疾む
    われ疾むゆえに 汝疾むなり


◇舎利弗尊者と花びら◇


この後、舎利弗尊者が、凡夫の病の原因である煩悩(分別と執着)について天女に諭されますが、六道(迷いの世界)の中の天上界に住む天女は、お釈迦様の弟子の中の最高位である阿羅漢となった舎利弗よりも低い位にいますから、本来なら、上の位にいる舎利弗が天女から諭される筈がありません。


ところが、天女は仮の姿で、本当の正体は、人々を救う為に姿を変えた菩薩なので、阿羅漢に過ぎない舎利弗は、天女の前にたじたじとなってしまいます。


この菩薩は、いつでも維摩居士の教えが聞けるようにと、以前から天女に姿を変えて維摩居士の家に住み着いていたのですが、文殊菩薩と維摩居士の問答を聞いて感動し、天空から蓮の花びらを撒いたのです。


ところが、この時、不思議な事が起こります。


撒かれた花びらは、文殊菩薩や維摩居士の体には一枚も付着せず、そのまま地面に落ちていくのに、舎利弗をはじめとするお釈迦様の弟子たちには、体に付着して離れないのです。


文殊菩薩や維摩居士に付着しなかった花びらが、自分たちの体に付着し、どんどん増えていくため、舎利弗たちは花びらを振り落とそうと焦り始めます。その光景を見ていた天女が、笑いながらこう尋ねるのです。


 天女─舎利弗尊者、いかがなさいましたか?
 舎利弗─いや、この花びらがくっついて離れないのです。
天女─なぜ、花びらを振り落とそうとなさるのですか?
 舎利弗─出家者に花びらは相応しくありません。出家者は身を飾ってはいけないのです。
 天女─舎利弗尊者、それはおかしいですね。
 舎利弗─なぜですか。出家者は身を飾らぬのが戒律です。
 天女─舎利弗尊者、この花びらは花びらに見えますが、真理そのものなのです。飾りではありません。
 舎利弗─この花びらが真理そのもの?
 天女─そうです。この花びらは真理そのものです。花びらは、あなたにくっつこうなどとは考えていません。ただ在るように在るだけです
 舎利弗尊者、あなたの方が「この花びらは出家者に相応しいか相応しくないか」などと分別をしているだけなのです。
 あなたたちが、勝手に良し悪しを判断しているから、花びらがくっつくのです。
 ただ在るがままに在るだけの世界を勝手に判断し、勝手に分類し区別することを、分別といいます。
 分別は妄想です。したがって、分別は真理から外れた行為です。そんな分別は捨てるべきです。見てごらんなさい。分別を捨て去った菩薩には花びらはつきませんよ。
 花びらだけではありません。恐怖は、ありもしない不安を抱えている人につくものであり、苦しみを恐れる人ほど快楽におぼれます。
 分別から離れれば、美しいも醜いもなく、恐怖も安心もなく、苦も快楽もなく、おいしいもまずいもありません。すべては平等です。
 すべてを受け入れられれば、何の禍も恐怖もありません。
 この花びらは、物事を在るがままに見られず、分別し、執着する人にくっつき離れないのです。
 分別を去り、在るがままに物事を見ることができる人には、くっつかないのです。


◇欲も苦もなく我もなく◇


こう言って天女に姿を変えた菩薩は、あれこれと分別している舎利弗を諭し、分別や執着から離れる事の大切さを説いたのですが、分別するという事は、自分の立場から好都合と不都合を区別し、好ましくないものを否定し排除することです。


それに対し、悟りの世界は、在るがままの世界ですから、あれが良い、これが悪いというような分別が一切ありません。


そこにあるのは、苦もなければ楽もなく、生もなければ死もなく、一切を超越した世界です。


菩薩様が、
 生死なく 欲も苦もなく我もなく
   無常悟れば 涅槃に帰る
と詠っておられるように、分別を離れた世界には、一切の執着がありませんから、病んでいても、どんな不都合な状況にあっても、そのままが極楽の世界となるのです。


合掌


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2018年12月28日

心安らかに生きる為に(4)

◇億劫にも遇い難きは仏法なり◇


人間界に生まれた者は、みな同じスタートラインに立っていると申しましたが、だからといって、誰もがみな一斉に極楽へスタート出来る訳ではありません。


同じスタートラインに立てても、スタート出来ない人が、実は大勢いるのです。


お釈迦様が「縁なき衆生は度し難し」と喝破しておられるように、先ず仏縁のないお方はスタート出来ません。何故なら、極楽へ帰る道が分からないからです。


極楽へ帰る為には、人間の身を与えられるだけではなく、極楽へ帰る指南書ともいうべき仏法にご縁をいただかなければならないのです。


人の身を与えられ、更に仏法という指南書に遇わせていただかなければ、自分の正体が仏の子であることも、魂の故郷が極楽であることも、人の身を与えられたことの有り難さも、極楽へ帰る上で欠かせない菩提心を起こすことの大切さも分かりません。


これが、「億劫にも遇い難きは仏法なり」と言われる所以です。


いま皆様は、億劫にも遇い難き仏法に遇われたお陰で、自分の正体が仏の子であることも、魂の故郷が極楽であることも知ることが出来ましたが、世の中には、まだその事実をご存じない方が大勢おられます。


折角、極楽へ帰れる人の身を与えられておりながら、人間に生まれた有り難さも知らずに、無常の荒波に押し流されていく人々が大勢いるのです。


それに対し、私たちは、仏法に遇わせて頂いたお陰で、いよいよ極楽目指してスタートする千載一遇の好機に巡り合えたのです。


スタートするという事は、乞食に身をやつした長者の息子が、自分の姿に目覚めるまで長者の家の雇用人として働いたように、自分が極楽に居た時の事を思い出す為の訓練(修行)に入ることを意味します。


修行ですから易しくはありませんが、難しく考える必要もありません。二つの事を心に刻んで、励んでいただきたいと思います。


◇合掌の意味◇


そのお話をする前に、修行中に結ぶ合掌印の意味についてお話したいと思います。


古歌に、
 右ほとけ 左われと合わす手の
   内にゆかしき 南無の一声
と詠われているように、合掌の右手は親様であるみ仏を、左手は仏の子である私たちを現しています。


合掌印は、み仏と私たちが、目と目を合わせて相互に拝み合っている極楽の有様を、形に現したものと言っていいでしょう。


修行中、常に合掌印を目の前で結びながら、み仏を拝むのは、合掌印を見ながら、極楽での姿を心(心眼)の奥底に強く焼き付ける為です。


残念ながら、今の私たちは、親様(光)に背を向けた状態で、六道輪廻の人生をさまよっています。これを両手で現わせば、右手の掌と左手の甲を合わせた形となり、合掌にはなりません。


つまり、もう一度、内側に向いた左手の甲を外側に向け、右手と左手の掌を合わせた合掌印に戻し、親様に目を向けなければならないのです。


これによって、極楽で暮らしていた私たちの本来の姿に戻ることが出来るのですが、その為には、これからお話しする二つの修行が欠かせません。


◇忘れてはならない菩提心◇


一つ目の修行は、菩提心の実践です。この菩提心について、お大師様は、四種の菩提心を挙げておられます。


第一は信心です。この信心は、菩薩様が、「み仏はただ信じるのではなく、信じ切らなければならない」とおっしゃっておられる信心で、どんな事があっても崩れない不動の信心(不動心)でなければなりません。


例えば、自分にとって不都合な事が起きた時、み仏を疑ったり、信仰を捨てるような信心は、不動の信心とは言えません。そのような半信半疑の信心ではなく、どんな不都合な出来事に遭遇しても、揺れ動かない信心です。


第二は大慈悲心です。これは、自分より先に他の人を極楽(彼岸)へ渡してあげようという心で、別名「行願心(ぎょうがんしん)」とも言います


道元禅師が、「菩提心を起こすというは、己れ未だ渡らざる先に、一切衆生を渡さんと発願し営むなり。たとえ在家にもあれ、たとえ出家にもあれ、或いは天上にもあれ、或いは人間にもあれ、苦にありというとも、楽にありというとも、早く自未得度先度佗の心を起こすべし」と説いておられる菩提心が、この大慈悲心です。


彼岸へ渡る時は、誰よりも早く行きたいのが人情です。しかし、全員がその心を起こせば、争いが起こり、誰も彼岸へ渡れなくなります。


狭い出口に大勢の人が先を争って殺到すれば、狭い通路はすし詰め状態となり、誰も出られなくなるのと同じように、早く彼岸へ渡りたければ、まず他の人を先に渡してあげようという心を、お互いが起こさなければなりません。この譲り合いの精神を忘れていては、極楽へは帰れません。


第三は勝義心(しょうぎしん)です。文字通り、劣った教えを捨てて、正しい教えに帰依する心で、別名「深般若心(じんはんにゃしん)」とも言います。


例えば、オウム真理教のように、殺す事がその人を救う事だと信じ込ませ、救う為には人を殺しても構わないと説く教えや、イスラム過激派組織ISIL(イスラム国)のように、神の名の下に無差別テロを正当化する教えには絶対に帰依してはならないと知る心が、勝義心です。


最後が大菩提心で、悟りを得て一日も早く極楽に戻り、一人でも多くの人を救いたいと深く念じ、実践する心です。


六度目の挑戦でようやく日本に渡航された鑑真和尚や、命がけで海を渡り、唐から真言密教を伝えられたお大師様の命がけの求道心は、まさにこの大菩提心の実践と言えましょう。


◇地獄と極楽の食事風景◇


この菩提心に関して、面白い話があります。


或る人が、地獄と極楽の食事風景を見に行ったところ、地獄では、みんな食卓を挟んで争ったり、罵り合ったりしているので、「どうしたのだろう?」と不思議に思って見ると、一メートルもある長い箸を使って、自分の目の前にあるお皿の食べ物を挟んで食べようとしていました。


しかし、箸が長すぎてうまくつかめないため、腹を立てて言い争ったり罵り合ったりしていたのです。


次に、極楽へ行ってみると、食卓の上には、地獄と同じように、美味しそうな食事と一メートルもある長い箸が置かれていました。


ところが、地獄とは違い、みんなニコニコ笑いながら、楽しそうに食事をしているのです。


よく見ると、極楽の人々は、その箸を使って、自分の前に座っている人のお皿の食べ物を挟んで、前の人の口に入れてあげていたのです。


その箸は、目の前に座っている人に食べさせてあげるのに、ちょうど良い長さのお箸だったのですが、地獄にいる人々は、菩提心を忘れて地獄へ堕ちたため、相手の為に使うことを知らなかったのです。


それに対し、極楽の人々は、相手の身になって考える菩提心を起こして極楽へ往けた人たちだったので、誰もが、長い箸は、相手の為に使うものだということを知っていたのです。


つまり、地獄と極楽を分けていたのは、同じ一メートルの箸を誰の為に使うか、何の為に使うか、菩提心を起こせるか否かという、たったそれだけの違いだったのです。


◇蜘蛛の糸◇


芥川龍之介の『蜘蛛の糸』という短編小説にも、菩提心に関する面白い話が書かれています。


或る時、極楽の蓮池のほとりを歩いておられたお釈迦様が、蓮の葉の間から地獄の有様をご覧になったところ、地獄の底でカンダタという男がもがき苦しんでいる姿が見えました。


カンダタは、様々な罪を犯して地獄へ堕ちた極悪人でしたが、お釈迦様がカンダタの生涯を見ると、一つだけ善い事をしていました。道端をはってゆく小さな蜘蛛の命を助けた事があったのです。


そこで、お釈迦様は、その功徳に免じて地獄から助けてあげようと、蜘蛛の糸をカンダタの頭上に下ろされました。


カンダタがふと上を見上げると、極楽から、銀色に輝く蜘蛛の糸がスルスルと下りてきたので、カンダタは、「有り難い。この糸を上っていけば極楽へ行ける」と思い、その糸を上り始めました。


ところが、途中まで来たところでふと下を見ると、地獄へ堕ちた大勢の亡者たちが、カンダタの後から次々と上ってくる姿が見えました。


それを見たカンダタは、「この蜘蛛の糸は俺のものだ。誰の許しを得て上ってくるのだ。みんな早く下りろ」と叫びながら、すぐ下の男の頭を蹴飛ばしたのです。


すると、その蜘蛛の糸は、カンダタの手元からプツリと切れ、カンダタも亡者たちも、蜘蛛の糸もろとも地獄の底へ真ッ逆さまに堕ちていきました。


お釈迦様は、その一部始終をご覧になられ、自分の事しか考えないカンダタの心根を哀れに思われたのですが、カンダタの一挙手一投足を見ていると、自分を救えるのも、自分を不幸にするのも、自分しかいないことがよく分かります。


自分が不幸になるのは、親のせいだ、子供のせいだ、誰々のせいだ、社会のせいだと言って、不幸の責任を自分以外の何かに転嫁している人をよく見かけますが、自分以外に自分を不幸に出来る人など一人もいません。


自分を救える者は自分しかいないからこそ、自分を救う菩提心を、いついかなる時も忘れてはならないのです。


◇蜘蛛の糸の正体◇


この短編小説を読んで、「何故あんなに大勢の人が上っても切れなかった蜘蛛の糸が、男の頭を蹴ったくらいで切れたのだろう?」と、不思議に思われたお方もいると思いますが、蜘蛛の糸の正体が分かれば、切れた理由が分かります。


お釈迦様が垂らされた、カンダタを極楽へ導く蜘蛛の糸の正体は、蜘蛛の命を救ったカンダタの菩提心だったです。


「この蜘蛛の糸が、お前を極楽へ導く菩提心だよ。さあ、この菩提心の糸を離さずに、極楽へ上ってきなさい」


ただの細い蜘蛛の糸であれば、すぐに切れてしまいますが、カンダタが上ってきた蜘蛛の糸は、カンダタの菩提心を象徴する蜘蛛の糸ですから、カンダタが菩提心を捨てない限り、幾ら細くても絶対に切れません。


ところが、自分の後から次々と上ってくる大勢の亡者を見た途端、カンダタは、自分さえ助かればいいという浅ましい心を起こし、菩提心を捨ててしまったのです。


切れたのは、ただの蜘蛛の糸ではなく、蜘蛛の糸に象徴されているカンダタの菩提心です。


カンダタは、菩提心によって、かろうじて極楽へつながっていただけですから、その菩提心が切れれば、菩提心を象徴する蜘蛛の糸が切れて地獄へ堕ちてゆくのは当たり前です。


表面的に見れば、蜘蛛の糸がカンダタの手元で切れたように見えますが、正確に言えば、切れたのではなく、カンダタが自ら切ったのです。


菩提心を起こすも捨てるもすべて、カンダタ自身の胸三寸にかかっていますから、カンダタ以外に、カンダタの菩提心を切れる者はいません。


もしカンダタに、自分と同じように地獄へ堕ちた人たちを少しでも憐れむ心があれば、「みんなも一緒に極楽へ往こう」と言えた筈であり、そうすればカンダタも他の亡者たちもみんな救われたのです。


この蜘蛛の糸は、幾ら細くても、菩提心を失くさない限り絶対に切れませんが、同時に、菩提心を失くせば、一瞬にして切れるもろい糸でもあります。


カンダタが再び地獄へ堕ちて行ったのは、自分さえ極楽へ行けたらいいという心を起こし、菩提心である蜘蛛の糸を自ら切ってしまったからです。


自分の幸せだけを考えていては、救われないことがよく分かります。他人のことを思える菩提心が、自らを救い、その心が極楽へ通じる蜘蛛の糸となるのです。お互いが支え合い、助け合っていかなければ、誰も幸せにはなれません。


そして、その当たり前のことを教えてくれているのが、先ほどお話した極楽の食事風景です。


極楽には、長い箸を使って、お互いに食べさせ合える心の持ち主しか帰れません。


菩提心を起こし、限りある人生を、みんなで支え合い、助け合って生きて行くことの出来る人だけが極楽へ帰れるのです。


合掌



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2018年12月20日

心安らかに生きる為に(3)

◇極楽と地獄の在り処◇


六道と極楽を全く別のものと見ている人は、「何故、目覚めた場所が極楽になるのか、何故そんな不思議なことが起こるのか?」と疑問に思うかも知れませんが、六道は、私たちが無知無明の心によって作り出した架空の世界ですから、極楽に居る私たちを離れては存在しません。つまり、六道も、極楽の中にあるのです。


或る浄土経典によれば、極楽は、苦しみ多きこの世界から十万億土も離れた彼方にあると説かれていますが、十万億土彼方とは、仏様がおられる世界を一仏国土として、十万億の仏国土を越えた彼方という意味です。


この教えをそのまま信じれば、極楽は、宇宙の果ての果てまで行かなければ存在しないことになりますが、そんな宇宙の果てまで行く必要はありません。


何故なら、今もお話したように、極楽に居る私たちが、み仏に背を向けて六道を作っているに過ぎず、み仏に目を向けさえすれば、いつでも六道は消えて無くなり、元の極楽が現れるからです。


私たちは、今まで一度も極楽から出たことはありませんし、これからも極楽を出る事は決してありません。


◇生死の中の善生◇


六道輪廻の夢から目覚めさえすれば、誰でも極楽へ戻れることが、これでお分かり頂けたと思いますが、一つ忘れてはいけないことがあります。


それは、六道の中で極楽へ帰れるのは、人間だけだということです。人間の身を与えられた今しか、極楽へは帰れないのです。


『涅槃経』に、「一切衆生悉有仏性」と説かれていますが、一切衆生とは、人間を含めたあらゆる生きとし生けるものを指します。


ですから、六道から目覚める機会は、生きとし生けるものすべてに平等に与えられているように見えますが、実際に六道の夢から目覚めるチャンスがあるのは、人間だけなのです。何故なら、極楽へ帰る上で欠かせない菩提心を起こせるのは、人間界だけだからです。


前にも述べたように、人間界より下にある地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪道は、苦しみばかりの世界である為、菩提心(信仰心)を起こすことが出来ません。


例えば、私たちの周囲にいる犬や猫をはじめとする様々な生き物たちが合掌して、苦しむ人々を救いたいと祈り、神仏を拝んでいる姿を見たことがあるでしょうか?


畜生界に生まれた犬や猫たちは、自分の本当の正体はおろか、極楽という世界があることさえ知りません。勿論、迷いの夢から目覚めたいという心を起こす事もありませんし、信仰心もありません。ただ毎日、寿命が尽きるまで、食欲、性欲、睡眠欲の赴くままに生きているだけです。


では人間界より上にある天上界はどうかといいますと、天上界は、逆に苦しみがないため、苦しみから救われたいという心(菩提心)を起こすことが出来ないのです。


二十八ある天上界の一番上にある世界を有頂天(うちょうてん)と言いますが、何もかも思い通りにいって天狗になっている人のことを「有頂天になっている」と言うように、有頂天に居ると、自分の思い通りになって満足しているため、救いを求めようとする心が起こせないのです。


「平家に非ざれば人にあらず」と豪語した平清盛も、「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」と喝破し、栄耀栄華を極めた藤原道長も、百姓の息子から天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉も、みな有頂天にいた人たちです。


勿論、天上界も、迷い(四苦八苦)の世界の一つに過ぎませんから、やがて思い通りにいかなくなる時が必ず来ます。


平家一族も藤原道長も豊臣秀吉もみな、有頂天の絶頂期から、瞬く間に地獄のどん底へ堕ちていったことは、歴史が示す通りです。


自分の思い通りに行っている時は、有頂天でいられても、思い通りに行かなくなると、たちまち地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間の世界へ堕ちていかねばならないのが、明日をも知れぬ六道に生きる天上界の人々の悲しい姿なのです。


◇下天の内をくらぶれば◇


織田信長が桶狭間の合戦の出陣の前、自ら謡い舞った幸若舞『敦盛』に出てくる、
 人間五十年、下天(げてん)の内をくらぶれば夢幻の如くなり
   一度(ひとたび)生(しょう)を得て、滅せぬもののあるべきか
という一節の下天とは、二十八ある天上界の中でも一番下の、四天王が住む世界(四大王衆天)のことで、人間界の五十年も、下天の一日に過ぎず、まさに夢幻の如く儚いものであるという意味です。


因みに、下天の寿命は五百歳と云われ、人間界の九百万歳に相当しますが、最上位にある有頂天の寿命は、何と人間界の八万四千劫(362兆8800億歳)に相当すると云われています。


しかし、それほどの寿命であっても、死はいつか必ず訪れます。そして、死を前にした時、天上界の人々に現れる五つの兆しが、「天人五衰」と言われる衰退の兆候です。
 一、浄らかだった衣服が垢にまみれる
 二、かつて盛りであつた頭上の華が萎む
 三、両腋から汗が流れる
 四、身体から臭気を放つ
 五、本座に安住することを楽しまなくなる


幾ら天上界で甘い夢に酔いしれていても、必ず宴の終わる時が訪れ、再び地獄界や餓鬼界に堕ちていかなければならないのです。


だからこそ、一刻も早く六道の夢から目を覚まし、魂の故郷である極楽へ帰らなければならないのですが、一時の甘い夢に酔いしれて満足している天上界では、極楽を目指そうという菩提心を起こせません。


極楽に帰りたいと思えるのは、苦しみがあるからですが、天上界は、苦しみがないため、菩提心を起こせないのです。また四悪道は、逆に苦しみばかりの世界であるため、こちらも菩提心(信心)を起こす心の余裕がありません。


道元禅師が、「生死の中の善生、最勝の生なるべし」(人間界が、六道の中で最も勝れた世界である)と説いておられるのはその為で、苦もあれば楽もある人間界だけが、菩提心を起こすには最も勝れた世界なのです。


◇人間に生まれて最も幸せなこと◇


何を幸せと感じるかは人ぞれぞれで、百人百様の幸せがあると言っていいでしょう。


世の中を見れば、社会的成功を治め、立身出世が出来ることを人間の幸せと感じる人もいれば、社会的な地位や名誉を得て、人から尊敬されることが幸せだと感じる人もいます。そして、その願いを叶えるため、身を粉にして懸命に頑張っている人々が大勢いることも事実です。


しかし、立身出世が出来たり、地位や名誉が得られたり、人から尊敬されたり、或いは、美味しいものが食べられたり、立派な家屋敷に住めることが、人間にとって本当に幸せなのでしょうか?


確かに食欲、性欲、睡眠欲の赴くまま、生まれたままの姿で生きている野生の生き物たちに比べれば、私たちが、人間に生まれた者にしか得られない幸せを享受していることは間違いないでしょう。


しかし、人間に生まれた本当の幸せとは、六道輪廻の人生に終止符を打ち、自分の本当の姿に目覚めて、魂の故郷である極楽に帰るチャンスを与えられたことなのです。


真実の自分の姿に目覚め、魂の故郷である極楽へ帰らせていただける千載一遇の好機に巡り合わせていただけたことに勝る幸せなど、どこにもありません。


社会で成功する事も、地位や名誉を得ることも、人から尊敬されることも、勿論意味のあることでしょうが、魂の故郷である極楽へ帰らせて頂けることの幸せには、比べるべくもありません。


ましてや、この世の栄耀栄華を手に入れることなど、まぼろしの如き儚い夢に過ぎません。


一介の百姓の身分から天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉は、地位も名誉も富も権力もすべて手に入れ、この世の栄耀栄華を極めた数少ない成功者の一人ですが、最後は、わが人生を振り返り、露の如き儚い人生だったとの寂しい辞世の句を残して旅立っていきました。

  露と落ち 露と消えにし 我が身かな
   浪花のことは 夢のまた夢


豊臣秀吉は、立身出世や地位や名誉や権力や富を得ることに人間の幸せを求め、生涯をかけてその全てを手に入れ、天上界の一番上にある有頂天にまで上り詰めたのです


しかし、願ったすべてを手に入れても抗えない死という現実を前にして、改めてわが人生を回顧し、自分が求めていた幸せとは何だったのかを自問自答して詠んだのが、この辞世の歌です。


この歌には、臨終の床で死という現実と向き合い、天下人であっても浪花の露と消えていかねばならない秀吉の哀しみが、よくにじみ出ています。


そんな秀吉と対照的なのが、お大師様です。お大師様は、御入定されるに当たり、

 虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば
   わが願いも 尽きなん

とのご誓願を立てられました。


御入定とは、法身をこの世に留めて、苦しむ人々の救世主として生き続けることですが、このご誓願には、常に苦しむ衆生と共に生きることを決意されたお大師様の深い慈悲心があふれています。


お大師様は、秀吉と違い、地位も名誉も富も権力も手に入れられた訳ではありません。にも拘らず、お大師様の御霊跡である紀州高野山や四国八十八ヶ所霊場には、いまなお大師様の救いを求めて、多くの人々がやってくるのです。


己が生涯を省みて儚き夢だったと嘆いて旅立った秀吉と、いまも多くの人々から救世主(生き仏)として慕われるお大師様の生き方の違いが、お二人の今を決定づけていることは間違いないでしょう。


◇万劫にも得難きは人身なり◇


人間界に生まれたという事は、魂の故郷である極楽へ帰るスタートラインに立った事を意味します。


しかし、「万劫(まんごう)にも得難きは人身なり」と説かれているように、極楽へ帰れる唯一のチャンスとも言うべき人間界に生まれてくることは、そう簡単なことではありません。


一劫(いっこう)とは、天女が地上に降りて来て、着ている薄い羽衣の袖で、四十里四方の大きな岩を百年に一度ずつ拭い、岩が擦り切れて無くなるのに要する期間、又は四十里四方の巨大なお城に芥子粒を満たし、百年に一度、天女が地上に降りて来て、その芥子粒を一粒だけ取り出し、お城に満たした芥子粒をすべて取り除くのに要する期間のことです。


一劫でさえそうなのですから、万劫ともなれば、もはや人間に生まれてくることは不可能と言っても過言ではないでしょう。まさに人間に生まれて来れたことは、あらゆるご利益を頂いた結果なのです。


そして、この地球上に、どれだけの生き物がいるのか知りませんが、極楽に帰れるのは、人間の身を与えられた私たちだけなのです。


つまり、人間の身を与えられた今生の内に、極楽に帰らせていただかなければ、チャンスはもう二度と巡ってこないかも知れないということであり、だからこそ、人間の身を与えられたこの千載一遇の好機を、決して逃してはならないのです。


合掌



心安らかに生きる為に(1)
心安らかい生きる為に(2)
心安らかに生きる為に(3)
心安らかに生きる為に(4)
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2018年12月05日

心安らかに生きる為に(2)

◇豊かで幸せな人生を生きる権利◇


私たちの魂の故郷が極楽であり、その真の姿が仏の子であることが分かっても、すぐに四苦八苦の人生が消えて無くなる訳ではありません。


その証拠に、自分を取り巻く四苦八苦の状況は、まだ何も変わっていない筈です。


自分の正体が分かっただけで極楽へ帰れるなら、この世に苦しむ人は一人もいないでしょう。


自分の正体を知っても何も変わらないのであれば、何故、四苦八苦の人生を変えるには、自分の正体を知らなければいけないと言ったのか?


そうおっしゃる方もいるでしょうが、そう申し上げたのは、苦しみながら生きている今の姿は、決して私たちの本当の姿ではないことを知っていただきたかったからです。


世間には「自分は罪深い凡夫だから、苦しむのは仕方がない」と、最初から幸せになることを諦め、まるで苦しむために生まれてきたかのようにおっしゃるお方がいますが、苦しむために生まれてきた人間など一人もいません。


誰もが豊かで幸せな人生を生きる権利を有し、それを享受する為にこの世に生まれてきたのです。そして、その事を証明しているのが、私たちの正体が仏の子であるという事実なのです。


しかし、今の私たちは、仏の子として豊かで幸せな人生を生きる権利を有しているにも拘らず、様々な問題で悩み、苦しみ、些細なことに腹を立て、人を妬み、飽くなき欲望の追及に明け暮れるなど、とても仏の子とは思えない生き方をしています。


◇四苦八苦の原因―無知無明◇


何故、仏の子として豊かで幸せな人生を生きる権利を有している筈の私たちが、四苦八苦に翻弄されて生きなければならなくなったのでしょうか?


その原因を、お釈迦様は「無知無明(むちむみょう)」とおっしゃっておられます。


「無知」とは、文字通り智慧を失くした状態、「無明」とは、光(明かり)を失くした状態を指しますが、これを段階的に説いたのが、十二縁起(十二因縁)という教えです。


十二縁起(十二因縁)とは、仏の子であった私たちが、四苦八苦の人生に翻弄されるようになった原因を、「無明、行(ぎょう)、識(しき)、名色(みょうしき)、六処(ろくしょ)、触(そく)、受(じゅ)、愛(あい)、取(しゅ)、有(う)、生(しょう)、老死(ろうし)」の十二の段階に分けて説いたもので、これを見れば、最後に来る生老病死(四苦八苦)の原因が、無明から始まっていることが分かります。


十二縁起の中には、意味不明の言葉が並び、いかにも煩瑣で難しそうに見えますが、要するに、太陽に背を向ければ、目の前に自分の影しか見えなくなるように、魂の大御祖(おおみおや)であり、光そのものであるみ仏に背を向けてしまったために闇を作り、本来持っていた仏の光(悟りの智慧)を失くしてしまったことが、仏の子とは思えない生き方をしなければならなくなった根本原因なのです。


◇六道輪廻の廻り舞台◇


無知無明によって作り出される四苦八苦の人生を、大きく六つに分けたものが、六道(ろくどう)です。


六道とは、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道の六つの世界を指しますが、六道は、み仏(光)に背を向けた為に出現した自分の影(闇の世界)ですから、そこでは、自分以外に頼る者がいません。


その結果、必然的に欲望の充足だけが生きる目的となり、欲望を充足させるために、貪り、瞋り、妬みなど、様々な悪業を犯し、その報いを受けて四苦八苦と言われる様々な苦しみを受けなければならなくなったのです。


こうして、自らの手で六道の人生を作り苦しみ続けているのが、今の私たちですが、地獄道とは、あらゆる苦しみを味わう四苦八苦の極まった世界、餓鬼道とは、欲望の赴くままに、ありとあらゆるものを貪る欲しい惜しいの世界、畜生道とは、人を押しのけてでも自分の欲望を叶えようとする利己主義の世界、修羅道とは、欲望が満たされないために愚痴をこぼしたり、嫉妬の炎を燃やす世界を意味します。


六道の中でも、地獄道、餓鬼道、畜生の世界は、苦しみばかりの世界であるため、三悪道(さんなくどう)と呼ばれ、修羅道を加えて、四悪道(しあくどう)とも呼ばれています。


その上にはさらに、苦もあれば楽もある人間界と、楽ばかりで苦しみのない天上界がありますが、この二つの世界も、み仏に背を向けた為に出来た影の世界であることに変わりはなく、み仏に目を向けない限り、いつまでも欲望の充足に翻弄され続け、やがては四悪道の世界に堕ちていかなければなりません。


要するに、み仏に背を向けている限り、自分が作り出した六道の影は消滅せず、四苦八苦の人生は果てしなく続いていくのです。


菩薩様が、
 六つの道が 廻るから
   しあわせばかりと 思うなよ
   人生廻り 舞台なり

と詠っておられるように、六道は円の世界ですから、円の外に飛び出さない限り、終わりがなく、永遠に六道の人生を歩み続けなければなりません。


お釈迦様は、私たちが六道を作って生きる姿を、丸い輪の中を果てしなく廻り続ける鼠に譬えて、「六道輪廻(ろくどうりんね)」とおっしゃいましたが、昨日天上界に居たかと思えば、今日は地獄界、明日は畜生界というように、目まぐるしく住む世界が移り変わり、いつまで経っても心の安らぎが得られない姿は、まさに終わりなき六道輪廻の有様そのものと言っていいでしょう。


◇夢に譬えられる六道◇


六道の円の外に飛び出さない限り、四苦八苦の人生に終わりはないと申しましたが、六道は、み仏に背を向けたために出来た自分の影ですから、本来はどこにも存在しません。


つまり、本来どこにも存在しない影の世界を作って怯え、自らの手で自らの首を絞めているに過ぎないのです。まるで一人相撲をとっているようなものです。


この有様は、よく夢に譬えられます。


恐ろしい夢を見て、今にも襲われそうになる寸前、夢から目覚めて、ほっとした経験が、どなたにもあると思いますが、夢から目覚めれば、恐ろしい夢も、襲われそうになった夢も現実ではなかった事がすぐに分かります。


それと同じように、六道も、迷いの夢の中で作られた架空の世界に過ぎませんから、夢から目覚めさえすれば、一瞬にして消えてなくなり、そこにはもはや地獄も餓鬼も、畜生も天上界もありません。


しかし、夢を見続けている限り、本人には、実在する本物の世界としか思えませんから、幾ら迷いの夢の中で作られた架空の世界だと言われても、信じられないのです。


しかも、夢を見続けてきた期間が余りにも永いため、夢から目覚めるのは、そう簡単ではありません。


そこで、み仏は、何とか迷いの夢から目覚めさせたいと、あの手この手の方便を使って、私たちを目覚めさせようとして下さっているのです。


◇長者窮子の譬え◇


『法華経』というお経に、「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬え」と言われる話が出てきます。


ある日、村一番の長者の家に、一人の乞食が物乞いにやってきました。


長者が門の近くを通ると、人が言い争っている声がするので何事かと思い行ってみると、雇人が、物乞いにきた乞食を追い払おうとしているところでした。


長者が「どうしたのかね」と聞くと、「仕事の邪魔になるから、あちらへ行けと言っても、なかなか云うことを聞かないので、追い払おうとしていたところです」と言うので、その乞食をよく見ると、見覚えのある顔をしていました。


それもその筈です。その乞食は、幼くして行方知れずになっていた長者の息子だったのです。


息子の方は幼くして父と別れた為、よく覚えていませんが、長者はすぐにわが子と見抜き、親子の名乗りをしようとします。


しかし、乞食に身をやつしている息子は、「自分が、こんな立派なお屋敷の息子である筈がない。うまい事を言って私を家に引き入れ、物乞いに来た事を責めるつもりに違いない」と思い込み、中々長者の言う事を信じようとしません。


今の自分の身の上を考えれば、信じられないのも無理はありません。そこで長者は、一計を案じる事にしました。


「生活に困窮しているようだから、お前さえよければ、この屋敷で働いてみないかね。住む所も食べるものも与えよう」


そう言って引き留めると、息子は、「それは願ってもない事です。雇っていただけるなら、喜んで働かせて頂きます」と言って、長者の家で働く事になったのです。


やがて長者の家の生活にも馴れ、長者の片腕と言われるまでになった息子を見て、長者は改めて親子の名乗りをすることにしました。


息子の方も、ようやくこの家が自分の生まれ故郷であったことを思い出し、無事に長者の財産を相続する事が出来たというのが、長者窮子の譬えですが、この話に出てくる長者は、極楽で私たちの帰りを待っていて下さるみ仏を現し、乞食は、六道をさまよう今の私たちを現しています。


◇灯台下暗し◇


私たちも、長者の息子と同様、本来は仏の子であるにも拘らず、無知無明の心によって迷いの夢を見るようになり、自分の本当の姿を見失って、有りもしない六道の世界を作り、輪廻するようになったのです。


それ以来、自分の正体を知らぬまま、六道輪廻を繰り返してきたのですが、余りにも迷いの夢が長く続いたため、自分の本当の姿を忘れ、すっかり迷い多き凡夫だと思い込んでいるのです。


そんな私たちに、いきなり「お前は仏の子だ」と言われても、簡単に信じられるものではありません。


そこで、み仏は、まず私たちの欲を利用して信仰の道に導かんがため、「こちらの仏様を信仰すれば、こんな御利益を頂けますよ。あちらの仏様には、病気を治すお力がありますよ。子供も授かりますよ。商売も繁盛しますよ。色々な願い事を叶えてもらえますよ」と、あの手この手の方便を駆使して、仏の子であった頃の事を思い出させようとしておられるのです。


長者の息子が自分の本当の正体に目覚めるまで、長者の屋敷で召使として働いたように、み仏も、私たちが少しずつ自分の本当の姿を思い出せるよう、まず信仰の門に導き、目覚める機会を待っていて下さるのです。


私たちは、本来仏の子であり、御利益を求めなくても、すでに身に余るあらゆるご利益をいただいているのですが、自分の正体を忘れている為、中々そのことに気付かないのです。まさに「灯台下暗し」です。


仏教では、六道の夢を見て迷っている姿を凡夫と言い、夢から目覚めた姿を仏(覚者)と言いますが、殆どの人は、迷いの夢を見ている期間が余りにも長いため、自分の事を、すっかり罪深い凡夫だと思い込んでいます。


しかし、生まれつきの凡夫など一人もいません。


もし生まれつきの凡夫なら、仏になることは出来ませんし、いくらみ仏にすがっても極楽へは帰れません。元々仏の子だからこそ、仏になれるし、極楽へも帰れるのです。


乞食に身をやつした長者の子が、父親の財産を相続できたのは、元々長者の息子だったからです。


梅はどんなに頑張っても桜にはなれません。梅は梅にしかなれません。桜になれるのは、元々桜だからです。


それと同様、正真正銘の凡夫であれば、絶対に仏にはなれません。


本来仏の子であるにも拘らず、迷いの夢を見ているだけだからこそ、迷いの夢から目覚めれば、いつでも仏の子である元の自分に戻れるし、目覚めたその場所が極楽になるのです。


合掌



心安らかに生きる為に(1)
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2018年11月15日

心安らかに生きる為に(1)

◇今も変わらぬ四苦八苦の人生◇


厚生労働省が発表した平成28年度の人口動態統計によれば、日本人の平均寿命は、男性が80.98歳、女性が87.14歳となり、男女とも過去最高を更新し、国別では、香港に次いで世界第二位の長寿国となっています。


また平成29年9月15日(老人の日)現在、百歳以上の高齢者が全国で6万7824人を数え、この数字も、四十七年間連続して増え続けています。


平成29年度中に百歳になる人は、過去最多の3万2097人と見られ、今や人生は八十年時代から、百年時代に移行しつつあると言っても過言ではないでしょう。


そんな長寿社会に生きる私たちですが、何年寿命が延びようと変わらないことが二つあります。


一つ目は、お釈迦様が説かれた四苦八苦の人生が、今も私たちの目の前に厳然と立ちはだかっているという事実です。


四苦八苦とは、生老病死(しょうろうびょうし)の四苦に、愛別離苦(あいべつりく・愛する人と別れなければならない苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく・会いたくない人と会わなければならない苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく・求めても思うように得られない苦しみ)、五陰盛苦(ごおんじょうく・様々な欲望に縛られて生きなければならない苦しみ)の四苦を加えたものですが、医学が目覚ましい進歩を遂げ、かつて不可能と言われていた治療が可能となり、私たちの寿命が飛躍的に延びたとしても、四苦八苦の人生に翻弄されている人間の在り方そのものは、何も変わっていないのです。


病院へ行けば、様々な病いに苦しむ大勢の人々が長蛇の列を作っています。また逆走やアクセルとブレーキの踏み間違いなど、高齢者の運転ミスによる交通事故も年々増加しています。


更に認知症によって引き起こされる様々な問題、介護に携わる人材不足や介護士による高齢者虐待の問題、老々介護にまつわる問題など、超高齢化社会をむかえて避ける事の出来ない難問が、次々と噴出してきています。


目に見える現象界だけを見れば、お釈迦様の時代には想像もできなかった夢のような時代が到来しているにも拘らず、四苦八苦に翻弄されている人間の在り方そのものは、お釈迦様の時代と何も変わっていないのが現実なのです。


それどころか、日々の暮らしが豊かになった分、その反動で、心にのしかかる四苦八苦の重圧は、益々大きくなっていると言っていいでしょう。


寿命が何年延びようと変わらない二つ目は、私たちが生きられるのは、今という時しかないという事実です。


明日も明後日も、一年後も十年後も間違いなくやってきますが、過ぎ去った過去は無論のこと、まだ来ていない未来を生きることも出来ません。


私たちが生きられるのは、明日になっても明日の今、明後日になっても明後日の今だけです。一年後になっても十年後になっても、一年後、十年後の今しか生きられないのです


その今という時の流れの中で、様々な問題に悩み、苦しみ、四苦八苦に翻弄されながら生きているのが今の私たちですが、どうすれば、このような状況を変え、四苦八苦に翻弄されない確固たる人生を築くことが出来るでしょうか?


◇自己の正体を知る◇


その為には、まず自己の正体(自分の本当の姿)を知らなければなりません。


お大師様が、『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』の中で、
 生まれ生まれ生まれ生まれて
   生のはじめに暗
 死に死に死に死んで
   死の終わりに暗し

と説いておられるように、私たちは、遙かなる永遠の昔より、様々な生き物に姿かたちを変えながら、流転生死を繰り返してきました。


しかし、この世に生まれる前、私たちは何処に居たのか、何処から来て、何処へ帰って行くのか、自分の本当の故郷は何処なのか、自分は一体何者なのか、誰もその正体を知りません。


自己の正体を知らぬまま、争い、憎しみ、傷つけ合い、かけがえのない人生を四苦八苦に翻弄されながら生きているのが今の私たちですが、今の姿が在るべき本来の姿では決してありません。


人間とは、本来もっと豊かで尊い存在なのです。にも拘らず、今のような四苦八苦の人生を生きなければならなくなったのには、原因があります。


ご承知のように、この世に幸せを願わない人は一人もいません。ところが、万人が幸せを願っているにも拘らず、世の中を見れば、不幸に泣いている人が大勢います。


誰もが幸せを願っているのに何故幸せになれないのか?


先日、地元の老人クラブの皆さんに法話をさせて頂いた時、次のような質問をしました。


「皆さんは、地獄と極楽と、どちらへ往きたいですか?」


こう尋ねたところ、全員の方から、「極楽へ往きたいです」という答えが返ってきました。「地獄へ行きたい」と答える天邪鬼な人が一人や二人くらいは居るのではないかと期待したのですが、期待は見事に裏切られました。


どんな質問をしても、普通は必ず異なる意見が出てきて、賛成と反対に分かれるものですが、この質問に限っては、全員の方から「極楽へ往きたい」という答えが返ってきたのです。


誰に尋ねても、返ってくる答えはいつも同じです。


不思議と言えば不思議ですが、実はこの答えの中に、私たちの正体を知る手がかりが隠されているのです。


◇帰巣本能が教える自己の正体◇


皆さんは、「帰巣本能」という言葉をご存じでしょうか?


帰巣本能とは、自分が生まれた巣(故郷)に帰ろうとする本能ですが、この帰巣本能を利用して、電話やインターネットがなかった時代に、有力な通信手段の一つとして活用されたのが、伝書鳩です。


伝書鳩は、どんなに遠くから放しても、必ず自分の巣に戻ってくるという帰巣本能を具えているため、通信手段として大いに活躍したのですが、「地獄と極楽のどちらへ往きたいですか?」という質問に全員が極楽と答えるのは、この帰巣本能が働いているからです。


もし地獄が帰るべき生まれ故郷なら、帰巣本能が働いて、全員が地獄に行きたいと答える筈ですが、地獄へ行きたいと答える人が一人もいないのは、地獄が生まれ故郷(帰るべき巣)ではないからです。


アリクイと言う動物がいますが、このアリクイは、名前の通り、蟻を食べて生きています。もしこの世に蟻が一匹もいなければ、アリクイは生きていけません。


ですから、蟻を食べたいと言う本能を与えられたアリクイがこの世に生まれて来る為には、同時に、蟻と言う生物がこの地上に生存していなければなりません。


蟻を食べたいという本能を与えられながら、求める蟻が存在しない世界に、アリクイが生まれてくる事はあり得ません。


それと同じように、私たちに帰るべき巣(極楽)が用意されていなければ、「極楽へ往きたい」という帰巣本能が与えられる事は絶対にありません。それでは、人間はただ苦しむ存在としてしか生きて行く事が出来なくなるからです。


私たち全員に、極楽へ往きたいと願う心(帰巣本能)が与えられているのは、既に極楽という巣(故郷)が用意されているからであり、地獄へ行きたいと願う心を持つ人が一人もいないのは、地獄などという巣は、どこにも存在しないからです。


◇極楽を故郷とする仏の子◇


もうお分かりのように、私たちには、二つの故郷があります。一つは肉身の故郷、もう一つは、極楽と名付けられた魂の故郷です。


肉身の故郷は、母親のお腹を借りて、この世に産声を上げたところですから、百人いれば百ヵ所の故郷があります。


しかし、魂の故郷は、過去世、現在世、未来世を通じて、誰もが帰るべき唯一無二の故郷ですから、一つしかありません。


肉身の故郷は、人間として生きている間の仮の故郷に過ぎませんが、魂の故郷である極楽は、魂が帰るべき悠久の故郷ですから、消えて無くなることもありません。


お大師様が、
 阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて
   また立ちかえる 阿字のふるさと

と詠っておられる「阿字のふるさと」も、菩薩様が、
 生れ出た ふるさと今はなけれども
   高野山(たかの)の奥こそ われがふるさと
 肉身の 生まれし故郷はなけれども
   わが魂は 高野山(たかの)の奥に

と詠っておられる「高野山の奥」も、私たちの帰るべき魂の故郷(極楽)を現しています。


涅槃経に、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」(すべての衆生は悉く仏性を有している)と説かれている事からも明らかなように、私たちの真の姿(本性)が、地獄を故郷とする悪魔の子ではなく、極楽を故郷とする仏の子(阿字の子)である事は、もはや疑う余地がありません。


合掌



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2018年05月27日

大自然から学ぶ智慧(5)

◇菩提心の実践◇


仏教では、与える事を布施といい、与える心を菩提心と言いますが、お大師様は、この菩提心を四つに分けて説いておられます。


一つ目は信心です。信心と言いましても、ただの信心ではなく、何があっても揺るぎない金剛石(ダイヤモンド)のような堅固不動の信心を意味します。


菩薩様が、「お大師様をただ信じるのではなく、信じ切らなければならない」とおっしゃったあの信心です。


二つ目が大慈悲心で、大悲行願心とも言いますが、自分よりも先に他の人々を彼岸に渡し、救いたいと願う心です。


言い換えれば、苦しむ人々の苦を抜き、楽を与えたいという心(抜苦与楽の心)で、仏教以外の教え(外道)を信じている人々や、自らの救いだけを考えている二乗(声聞、縁覚)の人々には絶対に起こせない心と言われています。


三つ目が勝義心で、深般若心とも言いますが、劣った教えを捨てて勝れた教えに帰依していこうという心です。


仏教を内道、仏教以外の教えを外道(げどう)といいますが、昔から「邪魔外道に帰依してはならない」と言われるのは、勝れた教えに帰依しなければ、抜苦与楽の大慈悲心を起こす事が難しいからです。


四つ目が大菩提心で、一日も早く悟りを得て、彼岸浄土に帰らせて頂きたいと願う心です。


六道輪廻の連鎖を断ち切って、凡夫から抜け出したいと願う心も同じですが、何故この菩提心が起こせるのかと言えば、元々、私たちの中に、み仏の悟りの心(菩提心)が具わっているからです。


最初にお話したノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智北里大学栄誉教授がなさっておられる様々な研究や社会貢献も、まさに菩提心の実践と言っていいでしょうが、何故この菩提心が大切なのかといえば、菩提心を起こす事は決して人の為ではないからです。


菩提心の実践は、六道輪廻の人生に終止符を打つ為には必要不可欠なもので、菩提心さえ忘れなければ、もう「あれを叶えて下さい。これを叶えて下さい」と、神仏にお願いする必要もありません。


必要な事は、求める心ではなく、与える心、施す心、菩提心を起こす事です。心の中におられるみ仏に外へ出てきていただかなければ、プラスは寄って来ません。


どんな事でもいいから、持てるものを与える事です。その心さえ忘れなければ、福の神は向こうから幸せを運んで来て下さいます。


◇無財の七施◇


よく「人に施すお金も物もないから、施し出来ません」というお方がいますが、施すのに、お金も物もいりません。例えば、お金や物がなくても出来る、「無財の七施」と言われる施しがあります。


一つ目は眼施(げんせ)で、やさしい眼差しで人に接する事です。


二つ目は和顔施(わがんせ)で、にこやかな笑顔で相手に接する事です。


三つ目は愛語施(あいごせ)で、やさしい言葉で人に接する事です。


四つ目は身施(しんせ)で、荷物を持ってあげるなど、自分の身体でできる奉仕をする事です。


五つ目は心施(しんせ)で、人の気持ちを思いやり、心を配ってあげる事です。


六つ目は床座施(しょうざせ)で、席や場所を譲ってあげる事です。


七つ目は房舎施(ぼうしゃせ)で、自分の家や場所を提供する事です。


例えば、お四国霊場へ行きますと、お遍路さんに休憩場所を提供したり、お遍路さんを泊めてあげるお接待や善根宿の風習がありますが、これがまさに房舎施です。


◇新陳代謝の大切さ◇


私たちの毎日の生活を考えても、出す事の大切さがよく分かります。


食べた物を、いつまでも出したくないと言ってお腹に貯めていたらどうでしょうか?
間違いなく体を壊して病気になります。食べたら出すのが、この世の決まりです。美味しく食べたいと思ったら、まず体内から出さない事には美味しく頂けません。


人間の肉体も社会も、新陳代謝によって成り立っているのです。


例えば、お金が循環しなくなると不景気になるのは、新陳代謝がなされていないからです。


地球も月も太陽も、みんな回っているからいいのです。回転が止まったら、たちまち太陽系の秩序が崩れて大変な事になるでしょう。


降った雨水を容器の中に溜め、そのままにしておいたら必ず腐ります。容器の中に滞って循環しないからです。いつも新鮮な状態を保とうと思えば、循環させなければなりません。


今冬、北陸各地で記録的な積雪があり、国道を走っていた車が身動きできなくなり、何日間も閉じ込められ、生活にも大きな影響が出ましたが、大量の雪によって循環が止まった結果です。


人間も社会も、新陳代謝を忘れてはいけません。


お腹がふくれたままでは美味しくないのと同様、自分の持てるものを出さなければ、そこで進歩も止まってしまいます。


生きる上で最も大切な事は循環であり、新陳代謝なのです。


新陳代謝と言えば、ただ循環する事(無常)だけのように思われるかも知れませんが、そうではありません。


地上に降った雨は、川となって海へ流れ、蒸発して雲となり、また雨となって地上に落ちてきます。一か所だけを見れば、増えたり減ったりしているように見えますが、全体を見れば、水はただ循環しているだけで、増えも減りもしていません。


新鮮なものを入れる為には、一方で減らさなければ、もう一方で増えていきませんが、それでいて、全体を見れば不増不減なのです。


その事を教えているのが、先ほどお話した無財の七施です。笑顔一つ、優しい言葉一つ、気配りの心一つが、幸せを呼ぶ施しとなり、しかも、幾ら施しても尽きる事がありません。


施せば施すほど、心の新陳代謝が活発となり、功徳の器も大きくなり、幸せや喜びが次々と入ってくるようになるのです。


◇み仏のために為すべきこと◇


世間では、信仰を、願いを叶える為の手段と捉えている為、神仏が信仰の見返りに何をしてくれ、どんなご利益を与えてくれるかが、人々の最大の関心事と言っていいでしょう。


その為、折角の布施行も、それに見合ったご利益を期待するただの取引になってしまっています。


布施行は、見返りを求めない無条件のものでなければなりません。見返りを求めるひも付きの布施行は、布施行のように見えて、ただの取引に過ぎません。


これは、執着以外の何ものでもありませんから、真の救いにはつながりません。


み仏にお布施をすれば、それはすでにみ仏の御手に移ったものであり、布施行は、そこで終わっているのです。


にも拘らず、そのお布施をどのように使い、どのような見返りがあるのかにまで拘り続けるのは、執着そのものであり、これでは折角積んだ功徳が台無しになってしまいます。


一口に布施行と言っても、無財の七施を含め、様々な布施行がありますが、最も功徳が高い布施行と言えば、み仏に対する布施行です。


衆生救済の為に御苦労して下さっているみ仏のお手伝いをする布施行に勝る功徳行はありません。


この事が分かれば、み仏が私たちの為に何をしてくれるかではなく、私たちがみ仏の衆生救済の為に何が出来るかを考えるのが、真の信仰(布施行)である事も分かってきます。


お釈迦様、お大師様、菩薩様の衆生済度の為に、何をさせて頂けるのかを考えるのが、真の信心であり、布施行であり、菩提心の実践です。


アメリカのケネディ大統領が大統領就任演説で、 「国が何をしてくれるかを考えるのではなく、国の為に自分が何を成しうるかを考えて欲しい」と国民に呼びかけ、拍手喝采を浴びたのは有名な話ですが、流石はアメリカ合衆国の大統領となるに相応しい人物です。


普通の政治家は、国の為に何が出来るかを考えて欲しいなどと言ったら票が集まりませんから、国民受けを狙って耳障りのいい事しか言いませんが、ケネディ大統領は、「国の為に何が出来るかを考えて欲しい」と、国民に直接訴えたのです。


銃弾に倒れはしましたが、党利党略の為の批判しかしない日本の一部政治家とは雲泥の差で、一歩間違えば国民を敵に回すかも知れない事を避けることなく、勇気を持って訴えたケネディ大統領こそ、国を思い、国民の事を思う真の政治家と言っていいでしょう。


ケネディ大統領の言葉を借りるなら、お大師様、菩薩様が私たちに何をして下さるかを問うのではなく、お大師様、菩薩様の衆生済度の為に何が出来るかを、自らに問わなければなりません。


衆生済度のお手伝いと言えば、とても難しいように聞こえますが、例えば、先ほどお話した無財の七施の実践も、立派な衆生済度のお手伝いです。


自分の周りの人々に、親切な心を施し、優しい言葉をかけてあげる事も、まさに菩提心の実践であり、布施行の実践であり、お大師様、菩薩様の衆生済度のお手伝いとなるのです。


大切な事は、「どのような形でもいいから、自分に出来る事を、出来る範囲でさせて頂く」という事です。


合掌


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2018年05月04日

大自然から学ぶ智慧(3)

◇廻り舞台から飛び出せ◇


次々と生まれる苦しみとの果てしないイタチごっこから解放される為には、何としても六道輪廻の廻り舞台から飛び出し、苦しみの連鎖を断ち切らなければなりません。


六道の廻り舞台から飛び出した人を「仏(覚者)」と言い、六道の廻り舞台から飛び出せずにいる人を「凡夫」と言いますが、貴船の脇坂リヨ様が、「本当の幸せとは、凡夫から抜けなあかしませんのや。凡夫から抜けるという事は、悟るということどすさかい、悟らなあかしませんのや。悟ったら、体が光で守られますさかいなあ。乞食(こつじき)せなあかしません。乞食と言うのは、食べ物をもろうて歩くのと違いますのや。己を捨てる事が乞食どすえ。自分の事は考えんでもよろしいのどす。自分の事を考えると、間違いをおこしますのどすわ」とおっしゃっておられるように、己を捨てて、六道輪廻の廻り舞台から飛び出した所にしか本当の幸せ(救い)はありません。


では、どうすれば六道輪廻の廻り舞台から飛び出せるのでしょうか?


その為には、先ず欲望の充足と救われる事の違いを知らなければなりません。欲望の充足に幸せを求めている限り、いつまで経っても六道輪廻の廻り舞台から飛び出す事は出来ません。


「飽くなき欲望」「渇望」という言葉があるように、苦しみの連鎖の裏には、欲しいものを手に入れよう、手に入れたいという強い貪りの心(貪欲)があります。


あれも欲しい、これも欲しい、有っても欲しい、無くても欲しい、欲しい惜しいと、果てしのない貪欲の奴隷となっている限り、連鎖は止められません。


欲望の充足に救いを求めている限り、有っても無くても苦労し続けなければならないのです。


ですから、どうあっても欲望の充足と救われる事の違いを悟らなければなりません。


◇大自然が教えている真理◇


欲望の充足を求める心とすれば、救われる心は与える心と言ってもいいでしょうが、その心を教えてくれているのが、大自然です。


私たちは、太陽から、ありとあらゆる恵みをいただいています。太陽がなければ、人類は生きていけません。


いま地球上に届いている太陽の光は、約8分18秒前に太陽の表面から発せられた光ですが、表面の光は、太陽の中心で発せられた光が100万年かかって表面に到達したものです。


太陽の内部は非常に密度が高いため、太陽の中心から発せられた光であっても、太陽表面に到達するまでに100万年かかるのです。


ですから、いま地球に届いている太陽光線は、100万年前に太陽の中心で発せられ、8分18秒前に太陽表面から発せられた光という事になります。


100万年と8分18秒という気が遠くなるような時間をかけて地球上に届けられた光のお陰で、私たち人類は何不自由なく生かされているのです。


太陽から頂いている恩恵は計り知れず、どれほど感謝しても感謝し切れませんが、太陽は今までその見返りを求めた事があるでしょうか?


太陽は、ただ与えるだけです。太陽から見返りを求められた事など、一度もありません。


野に咲く草花たちはどうでしょう。太陽と同様、綺麗な晴れ姿を見せて心を癒してくれているだけで、人間にその代償を求めたりはしません。


毎年、春になると、法徳寺の境内にある四十数本のソメイヨシノが満開となり、可憐な薄紅色の花を咲かせてくれますが、桜たちも、ただ可憐な姿を見せ、心に喜びを与えてくれているだけです。


それに比べ、人間はどうでしょうか?「世話をしてあげたのに、あの人は一言の礼も言わない」と言って、必ずその代償を求めます。


尊い信仰のご縁を頂いても、「これだけお布施をしたから、ご利益を下さい。これだけお参りをしたのに、ご利益を頂けません」と言って、み仏に見返りを求めます。


もし太陽から、「これだけの光を届けてあげているのだから、その見返りが欲しい」と言われたら、人類はたちまち破産してしまいます。この地球上にある全財産をつぎ込んでも、太陽の求めに応じる事など出来ません。


勿論、太陽はそんな事を望んではいませんし、求めてもいません。ただ人間に対し、「幸せになる為には何が必要か」に気付いて欲しいだけなのです。


◇出せば入ってくる真理◇


何故人間は見返りを求めるのでしょうか?


それは、先ほどお話したように、欲望の充足と救い(幸せ)を混同し、飽くなき欲望の充足に幸せを求めているからです。


限りなき欲望に縛られ、求めることしか知らず、欲望を叶える事が幸せになる条件だと錯覚している限り、出せばその分だけマイナスになるという発想しか生まれませんから、出す事も与える事も出来ません。


しかし、大自然が教えてくれているのは、その正反対の心で、マイナスにならなければプラスを呼び込む事は出来ないという普遍的な真理です。


これは、磁石の原理とも通じます。磁石にはプラス極とマイナス極があって、プラス極とマイナス極は引き合いますが、プラス極同士、マイナス極同士は反発し合います。


自分が一生懸命プラスにしようと求めてばかりいると、寄って来るのはマイナスばかりで、プラスは寄って来ないのです。


与えるマイナスの心を持っていると、寄ってくるのは、マイナスではなく、プラスの方です。


「阿吽の呼吸」という言葉があるように、息を吐かなければ吸う事が出来ません。


求めるという事は、息を吸い続けるのと同じ事で、息を吸う為には、先ず息を吐かなければならないのです。


息を吸い込む阿(あ)と、息を吐く吽(うん)が交互に繰り返される事によって、幸せの好循環が生まれ、そこに、福の神が幸せを運んで来てくれるのです。


合掌


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2018年04月27日

大自然から学ぶ智慧(2)

◇何の為のお参りか◇


世の中には、「何のために神社やお寺にお参りするのですか?」とお尋ねすると、「願いを叶えたいからです」と答えるお方が大勢おられますが、これを見ると、多くの方が、願いが叶う事と幸せになる事を混同しておられるのがよく分かります。


この方々にとっては、様々な願いを叶える事がお参りの目的ですから、願いが叶った時は「ご利益をいただき、有り難いです」と言って喜んでいられますが、いつも願いが叶うとは限りませんから、願いが叶わなくなると、神仏を仇に思うお方も出てくるのではないでしょうか?


願いが叶うか否かによって、有り難くなったり、そうでなくなったりするのは、まだ根底から救われていないからですが、願いが叶う事と救われる事は根本的に違います。


願いが叶ったからと言って、救われた訳でも幸せになれた訳でもなく、あくまで一つの願い、一つの欲望が一時的に充たされたに過ぎません。


願いが叶っても、その場限りの自己満足ですから、また新たな欲望や願いが生まれ、その願いが叶わないと更に新たな苦しみが生まれ、その苦しみから逃れたいという新たな願いが次々に生まれるという、果てしない悪循環の泥沼に陥ってしまうのです。


例えば、子供のいない人に子供が生まれても、それは「子供が欲しい」という欲望の一つが叶えられただけで、幸せが約束された訳ではありません。


子供が生まれた事によって、そこからまた新たな苦しみが始まる事は、世の中で起きる様々な事件や事故を見れば一目瞭然です。


結局、私たちの人生は、子供がなくても苦労、子供があっても苦労、商売がうまくいっても苦労、うまくいかなくても苦労、結婚しても苦労、結婚しなくても苦労、病気しても苦労、病気しなくても苦労で、どちらに転んでもそこに待っているのは苦労だけで、欲望の充足に幸せを求めている限り、いつまで経っても本当の幸せにはつながらないのです。


本当の幸せが得られるかどうかは、欲望の充足に幸せを求めていた今までの生き方を、根底から変えられるか否かにかかっていると言っても過言ではないでしょう。


◇六道輪廻の廻り舞台◇


御法歌「頼め彼岸へ法のふね」の中に、
  六つの道がめぐるから
    幸せばかりと 思うなよ
    人生廻り舞台なり
と詠われているように、今の私たちは、場面が次々と変わる廻り舞台の上で、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という六つの芝居(六道)を演じ分けている役者のようなものです。


現在は、苦もあれば楽もある人間界という舞台で芝居を演じていますが、舞台が回転すれば、他の世界の芝居を演じなければなりません。


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地獄界は、願いが悉く叶わず、自分の思い通りにいかない為に怒り狂い、悪業の報いを受けて、ありとあらゆる苦しみに苛まれ続ける極苦の世界です。


餓鬼界は、有っても欲しい、無くても欲しいと、飽くなき欲望の奴隷となり、苦しみ続ける貪りの世界です。


畜生界は、人を押し退けてでも自己の願いを叶えようとする自我我執の世界です。


以上の三つは、苦しみばかりの世界で、三悪道(三悪趣)と呼ばれています。


修羅界は、人を妬ましく思う愚痴嫉妬の世界で、三悪道に修羅界を加えて、四悪道(四悪趣)と言われています。


人間界は、苦もあれば楽もある世界です。


最後の天上界は、願いがすべて叶い自分の思い通りになっている世界で、楽ばかりの世界です。


この六つの世界の内で、苦しみのない天上界が最も幸せな世界のように見えますが、天上界といえども、迷いの廻り舞台で演じられる六つのお芝居の一つに過ぎません。


ですから、必ず自分の思い通りにいかない時が訪れます。そうすると、再び舞台が回転して、地獄や他の世界を演じなければなりません。


しかも、六道輪廻の廻り舞台には終演がなく、未来永劫、六つの世界を演じ分けながら、終わりのないお芝居を演じ続けなければなりませんから、心の安らぐ暇がありません。


もし心安らかに生きたいと思えば、六道の廻り舞台から飛び出す以外に道はないのです。


◇有っても苦労、無くても苦労◇


そもそも何故人は欲望の充足に幸せを求めるのかと言えば、自分が置かれている今の境遇に満足出来ず、不幸と感じているからです。


何か充たされないものがあり、それが充たされれば幸せになれると錯覚しているのですが、欲望が充足されても、本当の救いは得られません。


例えば、子供のいない夫婦が、子供を欲しいと願うのは、子供のいない事を不幸と考え、子供が出来れば幸せになれると錯覚しているからですが、子供のいる事が幸せとは限りませんし、子供のいない事が不幸とも決まっていません。


平成24年4月23日、京都府亀岡市で、通学途中の小学生と付き添いの保護者の列に、一晩中遊びまわっていた無免許の18歳の少年が運転する軽乗用車が突っ込み、小2年と小3年の児童、そして妊娠中の保護者の3名が死亡、7名が重軽傷を負うと言う悲惨な交通事故がありましたが、この少年の両親も、子供が出来た時は幸福に包まれていた筈です。


しかし、幸せをもたらしてくれる筈の子供が、大事故を起こし、人を死なせてしまったのですから、その幸福は偽りの幸福だった事が分かります。


貴船の脇坂リヨさまが、
 「子供がないのが不幸なのか、有るのが幸せなのか、みんな神様がなさることどすさかい。私は子供がないと思って、不幸やと思っとりゃしません。子供があったら二十二歳から済度する修行も出来しませんどしたわ。
 子供を十人も産んでも、苦労してはる方もありますし、一人きりの子供にでも見離されて苦しんでいる親もいやはるさかいなあ。子供がいても、養老院へ入らんならん人もいやはりますやろ。
 私は今は本当に幸せやと思っとります。毎日神や仏に守られてありがたいどす。
  神や仏に守られて
    行くぞうれしき道はなし
 と神様がいやはりますものね

と、子供を授からない事にも必ず意味があるとおっしゃっておられるように、子供がいない事が救いである事例も、世の中には沢山あります。


例えば、以前、酒鬼薔薇聖斗と名乗る14歳の中学生が、児童を次々と殺傷する連続殺人事件がありましたが、この少年の親も、子供が生まれた時は幸せに包まれた筈であり、まさかわが子が、将来このような大事件を引き起こすとは夢にも思っていなかったでしょう。


この事例を見ても、子供が授かれば幸せになれるという保証などどこにもない事が分かりです。


日蓮上人は、
 父母は常に子を念えども、子は父母を思わず
 親は十人の子を養えども、子は一人の母を養うことなし

と嘆いておられますが、日蓮上人の時代も、紙切れ一枚ほどの薄情な時代だったのでしょう。


昔から、「親孝行したい時には親はなし」と言われますが、今は、「親孝行したくないのに親がいて」と言われる時代だそうですから、世の中も変わったものです。


病気をする事、子供のいない事、思い通りにいかない事だけが苦労なのではありません。健康になったらなったで、子供が出来たら出来たで、またそこから新たな苦労が始まるのです。


人間の欲には限りがなく、病気をしていた時は、健康になる事だけを願い、子供のいない時は、子供が授かる事だけを願い、願いが叶えば幸せになれると錯覚していますが、願いが叶ったら叶ったで、またそこから新たな欲望が芽生え始め、次から次へと生まれる苦労との果てしないイタチごっこが始まるのです。


合掌


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2018年04月21日

大自然から学ぶ智慧(1)

◇人の為になれ◇


昨年(2017年)12月9日、山梨県北杜市高根町にある「八ヶ岳やまびこホール」において、「北杜市市制施行十三周年記念式典」が開催され、式典後、大村智北里大学特別栄誉教授の記念講演がありました。


大村智教授と言えば、2015年、ノーベル生理学・医学賞を受賞され、一躍時の人となった事は記憶に新しいところです。


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受賞理由は、アフリカで年間数千万人が感染し、重症化すると失明に至る感染症・オンコセルカ症の特効薬「イベルメクチン」の発見と開発への功績ですが、開発によって得た莫大な特許料を原資に、北里研究所メディカルセンター病院の開設や女子美術大学への支援、また2005年には、地元の山梨県韮崎市に、地域の人たちが気楽に入れる温泉施設「白山温泉」を開設し、その2年後の2007年、寄生虫薬の研究に取り組みながら収集した数多くの美術品を展示する「韮崎大村美術館」を建設し、翌年それをまるごと韮崎市に寄贈するなど、数々の社会貢献をしておられます。


受賞発表以来、地元の韮崎市では、大村美術館や白山温泉に、連日全国各地から大勢の人々が押し寄せ、大変な騒ぎになっていたのを、昨日の事のように思い出しながら、記念講演を聞いていましたが、講演の中で特に印象的だったのは、お祖母さんから言われていた「人のためになれ」という言葉が常に頭から離れなかったという言葉でした。


この薬のお陰で3億人もの人たちが、失明の危機から救われたとも言われていますが、もし「イベルメクチン」の開発を成功させた大村教授の原動力となったのが、「人の為になれ」というお祖母さんの言葉だったとすれば、真の受賞者は、大村教授のお祖母さんかも知れません。


◇人は何の為に生まれて来たのか


さて、「あなたは何をする為にこの世へ生まれてきたのですか?」と問われて、即答出来るお方が何人いるでしょうか?


「何となくこの世へ生まれてきて、何となく毎日を過ごしています」という声が彼方此方から聞こえてきそうですが、人間としてこの世に生を受け、何の役目も与えられていない人など一人もいません。


しかし、お大師様が、『秘蔵法鑰(ひぞうほうやく)』の中で、
 生まれ生まれ生まれ生まれて
   生のはじめに暗く
  死に死に死に死んで
   死の終わりに暗し
と説いておられるように、遙か悠久の昔より、姿かたちを変えながら生死を繰り返してきた中で、自分の本当の正体も、何の為にこの世へ生まれて来たのかも、自分がどこから来て、どこへ帰っていくのかも知らないまま生きているのが、今の私たちではないでしょうか。


◇幸せになる為の道すじ◇


私たちは一体何の為にこの世へ生まれて来たのか?


誰もが幸せになりたいと願い、不幸になりたいと願っている人は一人もいない事を考えれば、人は幸せになる為にこの世に生まれてきたと言ってもいいでしょう。


しかし、万人が幸せになりたいと願っているにも拘らず、世の中を見れば、悩み、苦しみ、不幸に泣いている人々が今も絶えません。


世界には、飢えに苦しみ、戦火に怯えながら暮らしている幼い子供たちが大勢います。内戦が続くシリアやアフリカ諸国では、多くの難民が欧米に押し寄せ、大きな社会問題になっており、国内に留まっている人々も戦火のまき添いとなって、尊い命を落としています。


また、アメリカでは銃規制が叫ばれながら、毎年大勢の人々が、発砲事件の犠牲となって亡くなっています。


その点、日本はまだ治安が守られ、平穏な暮らしが維持されていますが、だからといって、何もない訳ではありません。


テレビをつければ、連日のように、殺傷事件や悲惨な事故のニュースが流れ、飲酒運転やひき逃げ事件も後を絶ちません。


東日本大震災をはじめ、地球規模で頻発している天変地異によって、大勢の尊い命が失われた事実も、決して忘れる事が出来ません。


万人が幸せになりたいと願い、努力しているにも拘らず、好まざる様々な不幸や災難が、疫病神のように付いて回っているのが現実です。


世間には、このような現実を見て、「この世には神も仏もいないのか!」と、まるで不幸の責任がすべて神仏にあるかのように言われるお方がおられますが、まさに本末転倒と言わざるを得ないでしょう。


万人が幸せになりたいと願っているのに幸せになれないのは、神仏の責任でも誰の責任でもなく、幸せになれない私たち自身に何らかの原因があるからです。


幸せになるには、幸せになる為の道すじというものがあります。その道すじを悟ろうともせず、神仏や他の何かに責任を押し付け、ただ幸せになりたいと願っているだけでは、いつまで経っても幸せにはなれません。


◇願いが叶う事と幸せになる事の違い◇


幸せになる為の道すじを知る前に先ず確認しておかねばいけないのは、「そもそも人間にとって幸せとは何か?」という事です。


一口に幸せと言っても、幸福観は人それぞれで、百人百様の幸福感があると言っていいでしょう。


例えば、一杯のお酒を飲んで幸せだと感じる人もいれば、一杯のお酒で幸せになれる筈がないと考える人もいます。


病気ばかりしている人にとっては、健康を取り戻す事が幸せかも知れませんが、健康な人にとっては、健康である事は当たり前の事実ですから、健康を幸せと感じていない人も、世の中にはいるかも知れません。


子供のいない人にとっては、子供を授かる事が何よりの幸せでしょうが、子供に不孝をされて泣いている親にとっては、子供の存在は悩みの種以外の何物でもありません。


要するに、病気の人が健康になり、子供のいない人に子供が授かり、商売がとんとん拍子に繁盛し、私達が願っている事が実現したからと言って、幸せになれるとは限らないのです。


子供のいない人に子供が出来れば、もうその方は幸せが保証されるのかと言えば、そんな事はありません。子供が出来たら出来たで、またそこから新たな苦労が始まるのです。


つまり、様々な願いが叶ったからと言って、決して救われた訳でも幸せになれる訳でもなく、ただ今まで叶えられなかった願いが叶えられたに過ぎないのです。


願いが叶う事と幸せになる事は全く次元の違う話であって、その事が分かっていないと、幸せになる為の道すじも見えてきません。


目指す目的地は、欲望や願いを叶える事ではなく、幸せになる事、救われる事であって、その為に何を為すべきかを見極めなければ、目的地にはたどり着けないのです。


合掌


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2017年11月29日

人間の生死とは!

◇生き方の違い◇


誰もがみな限りある命を生きている事に変わりはありませんが、その生き方は人によって様々で、百人百様の生き方があると言っていいでしょう。


しかし、今年(平成29年)6月、神奈川県内の東名高速道路で、注意された事に腹を立て、進路を妨害したり、追い越し車線上に車を止めさせて、後方から来たトラックとの追突事故を引き起こし、ワゴン車の夫婦を事故死させ、同乗していた二人の娘にも怪我を負わせたとして、25歳になる福岡県在住の建設作業員の男が逮捕されましたが、そんな生き方しか出来ない人もいます。


また今年8月から10月にかけて、神奈川県座間市のアパートの一室で、男女9人を次々と殺害し、遺体をバラバラにして遺棄したとして、27歳の男が逮捕されましたが、僅か27年の短い生涯の中で残した愚かな爪痕は、死によっても帳消しにはならず、自らの業因縁として次の世へ相続し、償いをしなければならない事を考えると、末恐ろしい気がいたします。


与えられた命をどのように生きるかは個人の自由ですが、この二人の生き方は、反面教師にこそなれ、生き方のよき手本となりえない事だけは間違いないでしょう。


私たちがお手本とすべきは、やはりお釈迦様や、お大師様、菩薩様のように、お悟りを開かれたお方の生き方です。


お釈迦様は2500年余り前に亡くなられ、お大師様も1000年以上昔のお方です。菩薩様は、大正、昭和の時代を生きられたお方ですが、御入定されてからすでに四半世紀余りが経過しました。


お釈迦様もお大師様も菩薩様も、限られた人生を生きられた点においては、逮捕された二人の男と何ら変わりありませんが、その生き方は根本的に違います。


逮捕された男たちの生き方は、誰の共感も得られないのに対し、お釈迦様やお大師様、菩薩様の生き方は、いまも多くの人々に感銘を与え、生きるお手本となっているからです。


◇人間の生死とは◇


肉体には限りがありますが、人間は、たとえ肉体が無くなっても、その生き方次第で、生きもすれば死にもする事を忘れてはなりません。


お釈迦様やお大師様、菩薩様は、肉体なき後もまだ生き続けておられますが、逮捕された男たちは、たとえ肉体はあっても、すでに死んでいると言っていいでしょう。


肉体だけを見れば、逮捕された男たちはまだ生きているように見えますが、注意された事に腹を立て、人に嫌がらせをし、その挙句に事故死させたり、無差別に9人もの若者を殺害して恐れを感じないその心は、もはや死んでいると言わねばなりません。


それに対し、お釈迦様やお大師様、菩薩様はどうかと言えば、インド各地の仏跡を訪ねると、「お釈迦様、お釈迦様」と言ってそのお徳を慕う多くの仏教徒の姿を見る事が出来ますし、紀州高野山や四国八十八ヶ所霊場へ行けば、お大師様の足跡を辿る多くのお遍路さんが列をなしています。


このように、お釈迦様やお大師様、菩薩様と、二人の男たちの生き方の違いを見れば、人間の生死とは何かがよく分かります。


◇誰も永遠には生きられない◇


お釈迦様やお大師様、菩薩様が今も生き続けておられる事は間違いありませんが、一体何が今も生き続けているのでしょうか?


菩薩様の『道歌集』の中に、
 肉身の 生死を見るは愚かなり
   心の生死を 生死とぞいう


と詠われているように、肉体亡き後も、お釈迦様やお大師様、菩薩様が生きておられるのは、限りある人生の中で、永遠に通じる普遍的な生き方をされたからです。


つまり、その生き様が、いつの時代の人々にも感銘を与え、いまなお多くの人々の心を照らし、魂を救済し続けているからです。


勿論、お釈迦様やお大師様や菩薩様といえども、限りある肉体を、永遠に生かし、養う事は出来ません。


にも拘らず、肉体亡き後も生き続けておられるのは、今も「永遠を」生きておられるからです。


「永遠に生きる」と「永遠を生きる」とでは、何が違うのでしょうか?


「永遠に生きる」とは、百年後も千年後も生きたいという、未来に視点を置いた生き方で、生きる時間の長さだけを見据えた生き方と言っていいでしょうが、この生き方を願ったのが、秦の始皇帝です。


秦の始皇帝は、これから何十年も何百年も生き続けたいと願い、徐福という道士を東方の蓬莱国(ほうらいこく)に派遣し、不老不死の妙薬を探させました。


蓬莱国とは日本の事だと言われていますが、徐福には、そんな妙薬がない事など最初から分かっていました。しかし、始皇帝の前で、不老不死の妙薬など無いとは言えず、止む無く旅立たったのです。


帰れば殺されるか厳罰を受ける事が分かっていましたから、帰りたくても帰れなかった徐福が何とも哀れでなりませんが、限りある肉体を持つ以上、永遠に生きられる者など一人もいません。この地球も、永遠たりえず、必ず最期の時がやって来ます。要するに、誰も永遠には生きられないのです。


◇「永遠を生きる」とは◇


しかし、「永遠に生きる」事は出来なくても、「永遠を生きる」事は、誰にでも出来ます。


「永遠を生きる」とは、限りある人生の中で、「私もこういう生き方がしたい」と、誰もが願う永遠に通じる普遍的な生き方をする事です。


この生き方をされたのが、お釈迦様ですが、この生き方の特徴は、未来を見つめ、生きる時間の長さだけを求める「永遠に生きる」生き方とは違い、今を如何に生きるかという一点を見据えている点です。


しかも、「永遠を生きる」のは、明日でも明後日でも一年後でも十年後でもなく、今しか出来ません。


お釈迦様は二千五百年前に仏教を開かれましたが、もしお釈迦様の生き方や教えが、当時のインドの人々にしか通用しない生き方であれば、仏教は残っていませんし、日本にも伝えられていません。


お釈迦様の生き方が、現代の私たちが聞いても感銘を受け、共感出来る生き方であり、永遠に通じる普遍的な生き方だったからこそ、今も多くの人々から、「お釈迦様、お釈迦様」と慕われ続けているのです。


それは、お大師様や菩薩様も同じで、お大師様は六十二年間のご生涯を通し、菩薩様は七十一年間のご生涯を通して、永遠に通じる普遍的な生き方をされました。


その生き方は、百年後になっても、千年後になっても、未来永劫変わりません。


どの時代に生きる人々にも、共感出来る生き方であり、永遠に通じる普遍的な生き方ですから、変わろう筈がありません。


◇花の心を助くるという◇


『道歌集』に、
 み仏は 花の散るのは助けねど
   花の心を 助くるという

という道歌があります。


花の命の火が燃え尽きるのを止める事は出来ないけれども、花の心を助ける事は出来るという意味ですが、花は、傷ついた人々の心を癒し、人生に潤いや喜びや希望を与えてくれます。


花の生き様は、まさに永遠に通じる普遍的な生き方であり、仏そのもの(花仏)と言っていいでしょう。


菩薩様が作られた御法歌『無常教える花仏』の三番に、
 いのち短き 桜の花も
 可愛い笑顔に 薄化粧
   晴れの振袖 人世に見せて
   咲けと教える花仏 花仏

と詠われているように、振袖を着て微笑んでいるかのように見える淡いピンク色の桜の花びらは、僅か一週間ほどの短い命です。


しかし、その僅かな間にも、微笑みながら、「皆さんも、私と同じように、美しい花を咲かせ、多くの人々の心に喜びと潤いを与えて下さいね」と、声なき声で、私たちの歩むべき道を教えてくれているのです。


その生き方を私たちも見習い、人々の心に潤いを与える生き方が出来れば、たとえ桜の花は散っても、その心は私たちと共に生きている事になり、それがひいては「花の心を助くる」事になるのです。


◇蜘蛛の糸◇


芥川龍之介の短編小説に、『蜘蛛の糸』という小説があります。



或る時、極楽の蓮池のほとりを歩いておられたお釈迦様が、蓮の葉の間から地獄の有様をご覧になると、地獄の底の方でカンダタという男がもがき苦しんでいました。
このカンダタは、様々な罪を犯した極悪人でしたが、道端をはってゆく小さな蜘蛛の命を助けた事があり、お釈迦様は、その功徳に報い、極楽の蜘蛛の糸をカンダタの頭上に下ろされました。
カンダタがふと上方を見上げると、銀色に光り輝く蜘蛛の糸がゆらりゆらりと下りてきました。
「これはシメた!」とばかりに、カンダタは、さっそくその糸を上り始めましたが、途中でふと下の方を見ると、地獄へ堕ちた大勢の亡者たちが、その蜘蛛の糸につかまって、カンダタの後から次々と上ってきたのです。
それを見たカンダタは、蜘蛛の糸が切れたら大変だとばかり、「この蜘蛛の糸は俺のものだ。誰の許しを得て上ってくるのだ。みんな早く下りろ」と叫びました。そして、すぐ下にいた男の頭を蹴飛ばした瞬間、蜘蛛の糸は、カンダタの手元でプツリと切れ、あっという間に、蜘蛛の糸もろとも地獄の底へ真ッ逆さまに堕ちてゆきました。
その一部始終をご覧になっておられたお釈迦様は、わが身の事しか考えないカンダタの心根を哀れに思われたのでした。


◇いま為すべき事は何か◇


カンダタのいる場所が現在、上っていこうとしている上方が未来、上ってきた下方が過去です。


カンダタは、蜘蛛の糸をたどりながら上っていく途中で、ふと下(過去)を見たのですが、カンダタが見なければならなかったのは過去でも未来でもなく、今(現在)であり、今だけを見て永遠に通じる普遍的な生き方をすればよかったのです。


永遠に通じる普遍的な生き方とは、下から上って来た人たちも一緒に、極楽へ導いてあげるという事です。


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自分だけ助かりたいという思いで、すぐ下の男の頭を蹴った為に、再び地獄へ堕ちていったのですが、それは、カンダタの行動が、永遠に通じる生き方ではなかったからです。


カンダタが見なければいけなかったのは、過去でも未来でもなく、今自分が何をしなければいけないかという事であり、今だけを見て、永遠に通じる生き方をしていれば、自ずと未来は開け、地獄で苦しむ多くの人々と共に極楽へ行けたのです。


逮捕された二人の男たちの生き方は、まさにカンダタと同じ生き方と言っていいでしょうが、自分さえよければいいという利己的、刹那的な生き方の先に待っているのは、奈落の底でしかありません。


彼らにも救いの道がない訳ではありませんが、救われる為には、先ず根底からその生き方を変える以外に道はありません。


合掌


高野山法徳寺Website

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2017年11月18日

稲荷大明神勧請(7)

◇勧請までの経緯◇


六回に亘って、天(伏見稲荷大社)と地(紀州高野山)から、稲荷大明神様を勧請させていただいた経緯をお話してきましたが、この体験を通して皆さんにお伝えしたかった事が、もう一つあります。


それは、「今まで見えなかった神仏(真理)の世界が観えて来た時の感動」についてです。


改めて今回のお計らいを振り返ってみますと、事の発端は、高野山法徳寺が開創十三年目を迎えて間もない今年(平成二十九年)四月十六日、境内に薄汚れたスリッパが数足落ちているのを発見した事でした。


その日から五月八日までの二十三日間、ほぼ毎日のように、ゴミとして捨てられていたと思われるスリッパや靴、スニーカー、長靴など足に関係するものが、境内の各所に散乱していました。


やがてその犯人が、境内の東側の土手で子育てをしている親狐と五匹の子狐である可能性が高まり、更に狐が運んできたであろうと思われる鹿の角と足の一部が、境内や土手で相次いで発見されるなど、今までなかった出来事が相次いだ事から、ただの偶然とは思えず、「これは、天(神)と地(仏)に足を運べというお大師様、菩薩様のお指図に違いない」と悟らせていただきました。


最初にスリッパを発見してから九日後の四月二十四日、母が高野山に居る夢を見たので、先ず地(仏)である紀州高野山へ開創十三年目のお礼参りに行かせていただくつもりでしたが、「天地が逆になる事は避けよ」とのお指図をいただいた為、先に天(神)である伏見稲荷大社にお参りさせていただく事にしました。


ところが、お参りする前日の五月十二日、神戸市内にある寺院の住職をしている知り合いのU氏が、何の前触れもなく突然、法徳寺へ来られたのです。


聞けば、習っている剣術の稽古が甲府であったため、前日甲府市内で一泊され、神戸に帰る道すがら、法徳寺へ立ち寄って下さったとの事でしたが、U氏の訪問が、伏見稲荷大社へお参りする前日であった為、「お大師様、菩薩様が、何か必要があって、U氏を立ち寄らせたに違いない」と直感しました。


清里のレストランで一緒に食事をしながら、明日伏見稲荷へお参りする予定である旨を告げると、U氏が「折角伏見稲荷へお参りされるのですから、お稲荷様を勧請して来られたらどうですか!」と言ったので、「彼を法徳寺へ立ち寄らせたのは、この事を伝えさせる為だったのだ」と確信しました。


お計らいはその後も続き、翌五月十三日、家族みんなで伏見稲荷大社へ参拝し、無事に勧請を終え、その足で山梨へ帰るつもりでしたが、一緒に行った子供が、駅前の京都タワーの地下にあるお店に行きたいというので、予定を変更して、京都駅の南側にある「イオンモール京都」へ立ち寄る事になりました。


その時はただの寄り道と思っていましたが、山梨へ帰って暫くしてから、この寄り道は、勧請したお稲荷様に、「イオンモール京都」の真向かいにある「伏見稲荷大社御旅所」へ立ち寄っていただく為のお計らいであり、寄り道をしなければ勧請は完了していなかった事を悟らせていただきました。


伏見稲荷へお参りする前日、U氏が突然法徳寺へ立ち寄られた事も、子供を通して「イオンモール京都」へ導かれた事も、ただの偶然ではなく、すべて稲荷大明神様を無事に勧請させていただく為のお大師様、菩薩様のお計らいだったのです。


こうして、天からの勧請は無事に終わりましたが、「天(神)と地(仏)へ足を運べ」というのが、お大師様、菩薩様のお計らいである以上、地からの勧請が予定されていない筈はありません。


そこで、もう一度、母が見た高野山の夢を再吟味したところ、やはり高野山へのただのお礼参りでなく、奥の院に祀られている白髭稲荷大明神様を勧請せよとのお指図である事が分かってきたのです。


天(伏見稲荷)の勧請から一か月余り後の六月十日、白髭稲荷大明神を勧請させていただくため、家族みんなで高野山へお参りさせていただき、地からの勧請も無事に終える事が出来ました。


しかし、お大師様、菩薩様のお計らいは更に続き、夢殿にお祀りさせていただいてから三ヶ月半余り後の九月二十九日、S建築所にお勤めのMさんを通して、稲荷大明神様が間違いなく法徳寺へ御鎮座しておられる更なる念押しをいただきました。


◇悟りによって初めて観えてくる世界◇


こうして、お稲荷様を勧請させていただくまでの一連の経緯を辿ってくると、見えてくる事が一つあります。


それは、いまお話した数々のお計らいの一つでも欠けていれば、そして、それぞれのお計らいをただの偶然と考え、そこに隠されている神仏のみ心を悟ろうとしなければ、稲荷大明神の勧請というお計らいは無いに等しくなり、お稲荷様を法徳寺に勧請させていただく事は、絶対に不可能だったという事です。


何故かと言えば、稲荷大明神の勧請は、悟りによって初めて見えてくる神秘のお計らいであり、悟りという鍵がなければ、眼に見えない神仏の扉を開ける事は出来ないからです。


すべての出来事を偶然と考えれば、スリッパや靴などのゴミや、鹿の角と足の一部が境内に落ちていた事も、母が高野山の夢を見た事も、伏見稲荷大社へお参りする前日にU氏が訪ねてきた事も、予定を変更して「イオンモール京都」へ立ち寄った事も、すべて偶然に過ぎず、ただの点でしかありません。


しかし、稲荷大明神の勧請というお計らいは、その点と点を結び、線となって初めて見えてくる真相の世界なのです。


偶然(点)としか見えない出来事であっても、線として結んでみれば、そこには神仏のお計らいによる真相の世界が隠されており、しかも、それらのお計らいには、すべてを見通しておられる神仏の慈悲心が注がれ、最善最良の手立てを以て、私たちを導こうとしておられる事が、ハッキリ分かってきます。


残念ながら、救いの為の最善最良のお計らいが何度も訪れているにも拘らず、その事に全く気付いていないお方が、世の中には大勢います。


神仏が準備しておられる救いの舟に乗れないまま、大勢の人々が、限りある命の大河に翻弄されながら、浮き沈みを繰り返しているのが、現実なのです。


◇お釈迦様のお悟り◇


歴史上、最初に見えない世界を観る悟りの眼を開かれたお方は、お釈迦様です。


ご承知のように、お釈迦様は二十九歳で出家され、六年間の苦行の末、三十五歳で真理を悟って仏陀と成られましたが、それまでの六年間の苦行は、凄まじいものであったと伝えられています。


ガンダーラ美術の最高傑作と言われる釈迦苦行像を、実際にご覧になったお方もおられると思いますが、痩せ衰えて、肋骨も露わになったお姿は余りにも痛々しく、見る者をして戦慄させずにはおきません。


しかし、これは決して誇張ではなく、かつてこれほどの苦行をした人はいないと言われる程の苦行をなさったお釈迦様ですから、このお姿に限りなく近かったのではないかと思います。


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こうして、自らを極限まで追い詰められたお釈迦様ですが、ただ肉体を傷つけ、苦しめるだけの苦行では真の安らぎは得られない事を悟られ、苦行で傷ついた肉体をガンジス川の水で清められた後、村の娘スジャータが差し出す乳粥の供養を受けられました。


そして、菩提樹の下に結跏趺坐(けっかふざ)して四十九日間の瞑想に入られ、十二月八日未明、東の空に輝く明けの明星(金星)をご覧になり、忽然と悟りを開かれたのです。


「明けの明星を見たくらいで何故悟りが開けるのか?」と、疑問を抱かれるお方もいるでしょうが、物事をただ表面的に見ているだけでは疑問は晴れません。


それまでお釈迦様は、様々な思いの中で生きてこられました。


王族である釈迦族の世継ぎに生まれながら、親や妻子を残して出家なさったお釈迦様にとって、釈迦族の人々や家族の行く末は、何よりも案じられた事でしょう。


また、多くの人々が悩み苦しむ姿にも心を痛められ、自らも様々な煩悩によって悶々とされた日々を送っておられたに違いありません。


悟りを開かれるまでのお釈迦様は、そうした様々な思いや計らいによって曇らされた眼で、この世界をご覧になり、明けの明星をご覧になってきたのです。


お釈迦様がご覧になってきた明けの明星は、様々な計らい心を通して見た明けの明星であり、悩み苦しみというフィルターを通して見た明けの明星に過ぎなかったのです。


しかし、六年間の苦行によって、あらゆる計らいの心が消えてなくなり、無垢の状態となってご覧になった明けの明星は、お釈迦様の澄み切った心の鏡に、今まで見たこともない明けの明星として映し出されたに違いありません。


◇有るようで無く、無いようで有る真理の世界◇


太陽が出ている内は、太陽という縁で明けの明星は見えません。


しかし、太陽が沈み、夜という縁によって再びその姿を現した時、お釈迦様の心眼には、「有るようで無く、無いようで有る」存在としての明けの明星の真の姿が、はっきり映し出されたに違いありません。


その時、お釈迦様は、この世の真理を説法する明けの明星の声なき声を、ハッキリお聞きになられたのです。


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「そうか。私も明けの明星も同じなのだ。有るようで無く、無いようで有る空(くう)なる存在に過ぎないのだ。みんな無常の中で移り変わっていく身なのだ」


その体験は、お釈迦様にとって、天地が逆転するほどの大きな衝撃と感動をもたらした事でしょう。


それまでもお釈迦様は、すべてが無常の中にあり、移り変わっていく存在だという事を、知識として知っておられました。


しかし、その時お釈迦様が体得されたのは、知識としての無常ではなく、心の底から湧き上がってくる悟りの智慧で観た無常の真理であり、明けの明星が発する天の声だったのです。


勿論、明けの明星は、その時初めてお釈迦様に真理を説法した訳ではありません。


遙かなる永遠の昔から、一瞬たりとも休む事なく真理を説法し続けていたのですが、お釈迦様には、今までその説法が聞こえなかったのです。


何故なら、お釈迦様の心の中には、様々な煩悩や計らいや不安や執着が錯綜し、真理の説法を聞く心の耳を閉ざしていたからです。


今までは、様々な思いや計らいや分別心が邪魔をして、明けの明星の真の姿を見る事も、その説法を聞く事も出来なかったのですが、六年間の苦行の末に、心が澄み切った湖面の如く無垢の状態になったため、明けの明星の説法が、お釈迦様の心に在るがまま聞えてくるようになったのです。


真理の声が聞こえるようになったのは、明けの明星が変ったからではありません。お釈迦様ご自身が根底から変られたからです。


真理の声が聞こえた時、お釈迦様は、「私も明けの明星と同じなのだ。これが宇宙の真実の姿(実相)なのだ」という衝撃と、お釈迦様が明けの明星なのか、明けの明星がお釈迦様なのか分からない一体感(感動)に包まれた事でしょう。


最初に、皆さんにお伝えしたいと申し上げた「今まで見えなかった神仏の世界が観えて来た時の感動」とは、まさに、この時お釈迦様が体験された真理(神仏)との一体感なのです。


しかし、稲荷大明神の勧請を通じて体験した神仏との一体感と感動を、言葉で伝える事は容易ではなく、皆さんにどこまで伝えられたかは分かりませんが、この拙い体験談が、見えない神仏(悟り)の世界へいざなう一つのきっかけとなれば、これに勝る喜びはありません。


合掌



稲荷大明神勧請(1)
稲荷大明神勧請(2)
稲荷大明神勧請(3)
稲荷大明神勧請(4)
稲荷大明神勧請(5)
稲荷大明神勧請(6)
稲荷大明神勧請(7)

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2017年11月10日

稲荷大明神勧請(6)

◇Mさんの眼に映った輝く境内


五月十三日は天である伏見稲荷大社に、六月十日は地である紀州高野山に、それぞれお参りし、稲荷大明神様を勧請させていただきましたが、それから三か月半余り後の九月二十九日、お大師様、菩薩様より、お稲荷様が確かに法徳寺へ御鎮座され、お働き下さっている更なる念押しをいただきました。


そのお役目をして下さったのは、今まで何度もお計らいに出てこられた地元のS建築所にお勤めの女性事務員Mさんでした。


Mさんは非常に霊感の強いお方で、以前、汗露水授与所「汗露臺(かんろだい)」を建立していただいた時に、こうおっしゃっておられました。


私、今日初めてお寺へ来させて頂いたんですが、ここは本当に凄い所ですね。言葉ではうまく言い表せないんですが、境内全体が光り輝いているのをひしひしと感じます。
でも、光っているのは境内だけで、境内から一歩外へ出ると、周りは全然輝いてないんです。この境内だけが、煌々(こうこう)と光り輝いているんです。
私、夜も一人で外へ出られないほど怖がり屋なんですが、この境内なら一晩でも二晩でも、平気で寝られます。この境内は守られている事がよく分かるから、「ゴザを敷いて寝てみませんか」と言われても平気です。不安はまったくありません。
極楽浄土がどんなところか知らないし、行った事もありませんが、今日初めてここへ来て、「極楽というのは、きっとこんな所なんだろうな〜」と思いました。
ここは、いつまでも居たいと思わせてくれる本当に素晴らしい所です。


また、初めて汗露水を頂かれた時の感動を、次のように述べておられました。


このお水は、もの凄いお水です。ただの地下水じゃありません。
飲んだ時にハッとして、“何なの、このお水は”と言いたくなるようなお水です。光に包まれているというか、守られているというか、お水が光り輝いているんです。
有り難いお水だから、一人でも多くの皆さんに「飲んで、飲んで」と言いたくなるんですけど、このお水だけは、誰も彼もに飲んで欲しくないです。
それだけ尊いお水だから、その尊さが分かる人にだけ飲んで欲しいです。お水の尊さや値打ちが分らない人には飲んで欲しくありません。


◇人心を惑わす霊感◇


最初は、施工をお願いしているS建築所の事務員さんだから、お世辞でそう言っているだけだろうと思っていたのですが、S建築所の棟梁のお話では、Mさんは非常に霊感の強いお方で、或る日、Mさんに、水道屋さんにお願いしていた見積書を取りに行ってもらったそうです。


その水道屋さんへ行くには、万年橋という橋を通っていかなければいけないのですが、この橋は、地元でも有名な知る人ぞ知る自殺の名所で、過去に何人もの方が、万年橋から身を投げて亡くなっているので、Mさんにその事を話すと行くのを嫌がると思い、黙っていたそうです。


すると、帰って来るなり、「棟梁、もう二度とあの橋を通りたくありません」と言うので、「どうして?」と聞くと、「あの橋を通ると、色々な人の霊が乗り移ってきて、気持ち悪くて仕方ないんです。もう二度とあそこへは行かせないで下さい」と、泣きそうな顔で訴えたそうです。


そこで、「やはりこの人は、霊感が強いんだ」と再認識したそうです。


私は、霊感そのものを信用していませんが、Mさんの霊感は信用出来ると思っています。


世間には、ご先祖の霊が祟っているとか、動物の霊が憑いているとか、方角が悪いとか、相が良くないとか、根拠のない様々な事を言っては、迷える人々を益々迷わせる霊感者が少なくありませんが、Mさんには、人を迷わせたり、騙して利益を得ようというような邪心が全くなく、感じた在りのままを話しておられる事がよく分かるからです。


Mさんの霊感を信じる二つ目の理由は、Mさんがおっしゃった通りの事が現実に起きているからです。


例えば、東日本大震災が起こる三日程前、Mさんは、東北地方で大きな地震が起きて、家や人や車が流されて行く夢をご覧になり、その翌日も同じように、何もかも流された後、ガレキの山になっている夢をご覧になり、その事を棟梁に話されたそうです。


棟梁は、Mさんから「二日も続けて、変な夢を見たから、もしかすると近い内に、東北地方で大きな地震か何かが起きて、大勢の人が亡くなるかも分からないよ」と聞かされていたので心配していたら、案の定、三月十一日に東北地方を中心に、千年に一度といわれる大震災が起き、大勢の人が犠牲になったので、改めてMさんの霊感の強さを再認識されたそうです。


◇御住職夫人の言葉◇


以前、Mさんと同じように、強い霊感をお持ちの女性が、法徳寺を訪ねて来られた事があります。


高野山で一緒に修行し、現在広島県府中市のお寺でご住職をしておられるお方の奥様で、平成十九年十二月はじめ、ご夫婦揃って長野の善光寺にお参りに来られた際、わざわざ足を延ばして法徳寺までお参りに来て下さったのです。


その時、奥様が、「私、ここへ来るまでは何とも思わなかったのですが、境内に入った途端、あっ、ここは他の土地と違う!ここへ来ると、心が癒されるというか、清められるというか、他と違う所だという事を強く感じました」と言われたので、「実は、地元の工務店にお勤めのMさんというお方も、周囲は輝いていないけれど、この境内だけが光り輝いているとおっしゃっているんです」とお話すると、「そうなんです。この土地だけが光り輝いているんです。この土地から出ている凄いパワーを感じます」と言われたのです。


その言葉を聞いて改めて、「境内地が光り輝いているというMさんの言葉は、決して嘘偽りではないのだ」と確信しました。


◇御同行Kさんの夢◇


霊感を信じない私が、Mさんや御住職の奥様の霊感を素直に信じるようになった三つ目の理由は、邪心がない事の他に、お二人が感じられた光り輝く聖地の姿を、何年も前に夢でご覧になったお方がおられるからです。


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大阪にお住まいのご同行のKさんが不思議な夢をご覧になったのは、法徳寺が開創される十四年も前の平成二年でした。


平成二年と言えば、菩薩様が御入定(ごにゅうじょう)なさった年で、私達にとっては非常に大きな節目となった年ですが、御入定される三ヶ月ほど前の平成二年一月十日にお参りされ、「一月八日に、不思議な夢を見せて頂いたんです」と言って、次のような話をして下さいました。


私は、僧侶が着る法衣を着ていました。他にも法衣を着た人たちが何人かいました。その人たちと一緒に、仏像を運んできたのですが、その場所は、石ころがゴロゴロ転がっている広い原っぱのような所でした。
不思議な事に、周囲は真っ暗闇なのに、その原っぱだけが煌々(こうこう)と光り輝いているのです。
ふと見ると、家が一軒あって、屋根の上に月が煌々と光り輝いているので、初めは、月の光に照らされて原っぱが光っているのかなアと思ったのですが、相変わらず原っぱの周囲は真っ暗闇なので、月に照らされて輝いているのではなく、原っぱが自ら光を発して輝いているのだと思いました。
その内、太陽が昇ってきて燦燦と光り輝いているのに、相変わらず原っぱの周囲は真っ暗闇で、原っぱだけが煌々と光り輝いているので、「ここは、間違いなく、救済道場が建つ聖地だ」と思ったのです。


こう話されてから十四年後の平成十六年春、高野山法徳寺が北杜市須玉町若神子の聖地に開創されましたが、この土地は、至る所から石ころが出てくる石山で、Kさんの夢に出てきた石ころがゴロゴロしている原っぱを髣髴とさせる所でした。


しかも、プレハブが一軒建っていて、「家が一軒あった」というKさんの夢と同じであった事から、「この土地がKさんの夢に出てきた聖地である事に間違いはない」と確信しました。


また、Mさんや御住職の奥様が、「光っているのは境内だけで、境内から一歩外へ出ると、周りは全然輝いてないんです」「境内に入った途端に、あっ!ここは他の土地と違う!ここへ来ると、心が癒されるというか、清められるというか、他と違う所だという事を強く感じました」とおっしゃった話の内容が、Kさんの夢の内容とまったく同じであった事から、お二人の言葉に嘘偽りはないと確信したのです。


◇更なる念押し◇


こうして、Mさんや御住職の奥様は、霊感によって光り輝く境内をご覧になり、Kさんの夢が正夢である事を証明して下さったのですが、今回、稲荷大明神様の勧請についても、Mさんは大切なお役目を与えられました。


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紀州高野山から白髭稲荷大明神様を勧請させて頂いてから三ヶ月余り後の九月二十九日、Mさんは、S建築事務所に依頼した仕事の事で法徳寺へ来られ、夢殿の方をご覧になって、次のようにおっしゃったのです。


Mさんー最近、夢殿と客殿(昇龍閣)の方で、何か変わった事がありましたか?
どうしてですか?

Mさんー夢殿と客殿の方角が、前にも増して光り輝いているから、何か変わった事があったのかと思いまして!
実は、今年四月にお計らいがあって、お稲荷様を夢殿と客殿にお祀りさせて頂いたんです。

Mさんーあっ、そうだったんですか。光が強くなっているのは、きっとそのせいですね。間違いありません。


お大師様、菩薩様のお計らいに狂いはありませんから、無事に勧請が終わっている事に何の疑いもありませんが、お稲荷様を勧請させていただいた事を全く御存じないMさんが、夢殿と客殿の方角が前よりも光り輝いているとおっしゃったのを聞いて、改めて、お大師様、菩薩様が、念押しをして下さったと確信いたしました。


ただ、この念押しは、「お稲荷様を勧請させていただいた者の責任を忘れてはならないぞ」というお大師様、菩薩様からのメッセージでもあり、ただ有り難いと言って喜んでばかりはいられません。


改めて、仏法興隆と衆生救済に向けて、今まで以上の精進をお誓いすると共に、お稲荷様をお迎えさせていただいた責任の重さを、肝に銘じた次第です。


合掌



稲荷大明神勧請(1)
稲荷大明神勧請(2)
稲荷大明神勧請(3)
稲荷大明神勧請(4)
稲荷大明神勧請(5)
稲荷大明神勧請(6)
稲荷大明神勧請(7)


高野山法徳寺Website

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2017年11月07日

稲荷大明神勧請(5)

◇母の夢に隠された真相◇


伏見稲荷の稲荷大明神様を無事に勧請させていただいた後、早速、依り代の腕数珠を納めた水玉を、法徳寺客殿(昇龍閣)の内本堂にお祀りさせていただきましたが、これで勧請がすべて終わった訳ではありません。


伏見稲荷大明神の勧請は、天地(神仏)の内の天(神)からの勧請が終わっただけで、地(仏)からの勧請がまだ残っていたからです。


地からの勧請は、紀州高野山の奥の院に祀られている白髭(しらひげ)稲荷大明神を勧請させていただく事になっていましたが、母が高野山に居る夢を見た四月二十四日の時点では、まだ開創十三年目のお礼参りに行く事しか念頭になく、勧請までは考えていませんでした。


ところが、稲荷大明神勧請(3)で述べたように、伏見稲荷大社へお参りする前日の五月十二日、知り合いの御住職が突然法徳寺を訪問され、お参りの目的が、伏見稲荷大明神を勧請させていただく為である事が明らかとなり、更に伏見稲荷の起源を調べていく内に、稲荷三神と言われる宇迦之御魂大神の本地仏が如意輪観音、左田彦大神の本地仏が千手観音、大宮能女大神の本地仏が十一面観音と、いずれも観音様が本地仏である事が分かってきた為、夢の意味をもう一度見直す必要が出てきたのです。


夢の内容は、母が前方を見ると、十三人の人がいて、その中の山崎さんという人が「あれを見て!」と言ったので、そちらを見ると、そこに二人の人が立っていて、その内の一人が、縦に長い鳥かごを持っていたので、中を見ると、鳥かごの端の方に、黒い色をした観音様が立っておられたというものですが、夢の意味を再度見直していく内に、今まで見えていなかった真相が少しずつ見えてきました。


◇鳥かごの観音様の正体◇


悟るべき要点は幾つかありますが、一つ目は、「何故、黒い色をした観音様が、鳥かごの端に立っておられたのか?」という事です。


先ずこの鳥かごですが、高野山全体を象徴していると考えていいでしょう。


御承知の通り、紀州高野山は、東の端の大門(だいもん)から、西の端の奥の院まで、東西六キロに亘って開かれた、標高九百メートルの山上の盆地にある宗教都市ですが、俗世間から隔絶された天空の別世界という意味で、高野山はまさに鳥かごそのものと言えましょう。


鳥かごを高野山とすれば、観音様が立っておられる鳥かごの端は、高野山の西の端にある奥の院に当たります。


更に伏見稲荷の稲荷三神の本地仏が観音様である事を考えれば、鳥かごの端(奥の院)に立っておられる観音様は、奥の院の弘法大師御廟の向かって右側に祀られている白髭稲荷大明神と考えていいでしょう。


二つ目の要点は、「山崎さんが指し示した二人の人とは誰か?」という事ですが、このお二人は、弘法大師と法舟菩薩様のお二人で、鳥かごを持っている人は、高野山の御本尊として、今も苦しむ人々に救いの御手を差し伸べておられるお大師様です。


もう一人は高野山法徳寺の御本尊の法舟菩薩様ですが、二人を指し示した山崎さんが十三人の内の一人で、十三が菩薩様の御縁日である事、そして、今回のお計らいが、お大師様、菩薩様のお二人によるものである事などから、菩薩様と考えて間違いないでしょう。


◇弘法大師と稲荷大明神の関係


三つ目の要点は、「何故、観音様が黒い色をしていたのか?」という事ですが、ご存じのように、弘法大師は、御入定から八十六年後の延喜二十一年、醍醐天皇の夢枕に立たれて、次のお歌を詠まれたと伝えられています。


高野山(たかのやま) 結ぶ庵(いおり)に袖(そで)朽ちて
 苔(こけ)の下にぞ 有明(ありあけ)の月


当時、お大師様にはまだ大師号がなく、空海上人と呼ばれていましたが、衆生救済に御苦労して下さっているお姿を霊夢にご覧になられた醍醐天皇は、早速、勅使を高野山へ遣わし、「弘法大師」の諡号(おくりな)と、新しい御衣を御下賜されました。


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時の東寺長者で、高野山金剛峯寺の座主(ざす)であった観賢(かんげん)僧正は、御下賜された御衣を丁重に押しいただき、御廟窟の扉を開けて中に入り、お大師様の御衣を替えさせていただいた後、御廟窟の扉を固く閉ざされました。


それ以来、御廟窟の扉は一度も開かれておらず、お大師様は今も漆黒の御廟窟の中で、苦しむ人々を救済し続けておられますが、この状況を、黒い色で暗示しているのではないでしょうか。


鳥かごの端に立っておられる観音様は、弘法大師御廟の右隣りに祀られている白髭稲荷大明神を、黒い色は、漆黒の御廟窟で人々を救済し続けておられるお大師様を暗示しているとすれば、「黒い色をした観音様が鳥かごの端に立っておられる」光景は、奥の院の弘法大師と白髭稲荷大明神が一体となって、人々を救済しておられる状況を彷彿とさせてくれます。


◇白髭稲荷大明神を勧請せよ◇


四つ目の要点は、「何故、十三人なのか?」という事ですが、紀伊田辺市で出会った弘法大師と白髭稲荷大明神が、東寺での再会を約束して別れてから再開されたのが、七年後の弘仁十四年四月十三日である事を考えれば、十三という数字もまた、奥の院のお大師様と白髭稲荷大明神が一体である事を示唆していると考えられます。


しかも、十三人の中の山崎という人が、「あれを見て!」と言ったので、そちらを見ると、鳥かごの端に立っておられる観音様が見えたと言うのですから、「あれを見て!」とは、「奥の院の弘法大師と白髭稲荷大明神が一体となって衆生を救済しておられる姿を見て!」という意味でしょう。


こうして、幾つかの要点を紐解きながら夢に隠された真相を悟っていくと、高野山奥の院に御入定しておられるお大師様と、お大師様の右隣りに祀られている白髭稲荷大明神様が一体となって、人々を救済しておられるお姿が見えてくるのですが、弘法大師と稲荷大明神が一体であるという事は、弘法大師と一体である菩薩様と稲荷大明神もまた一体でなければならないという事です。


しかし、法徳寺には、菩薩様と一体である筈のお稲荷様が、まだお祀りされておりません。


そこで、御開創十三年目という節目の年を迎え、天(伏見稲荷大社)の稲荷大明神様の勧請に続いて、地の高野山からも、御廟所の右隣りに祀られている白髭稲荷大明神を勧請させたいというのが、今回のお大師様、菩薩様のお計らいではないかと思います。


母の夢は、まさにそのお指図だったのです。


こうして、天(伏見稲荷大社)と地(高野山)の双方から、稲荷大明神様を勧請させていただけるという、思いも寄らぬお計らいをいただく事になったのですが、改めて弘法大師様と稲荷大明神様、弘法大師様と法舟菩薩様との深い絆を考えますと、高野山(たかのやま)の山号をいただき、弘法大師と不二一体の生き仏となられた普門法舟大菩薩様をご本尊に仰ぐ法徳寺が、御開創十三年目にして、天と地の双方から稲荷大明神様を勧請させていただくご縁を結ばせていただいたとしても、何ら不思議はありません。


お稲荷様は、稲荷の名前からもわかるように、本来は農耕の神様ですが、今は商売繁盛の神様としてもよく知られ、多くの会社等に稲荷社がお祀りされている事は周知の事実です。


お大師様が、東寺を根本道場として密教を広めようとしておられた時に、稲荷大明神様との深いご縁をいただかれたように、開創十三年目を迎えた法徳寺にとりましても、更なる仏法興隆と衆生救済に向けて力強く前進していく為には、どうしても天地の稲荷大明神様とご縁を結ばせていただき、その威神力をいただく必要があるのです。


◇夢殿に御鎮座されたお稲荷様◇


母の夢を通じて、天(伏見稲荷大社)のみならず、地(高野山)からも白髭稲荷大明神様を勧請させていただける事になり、天(伏見稲荷大社)の勧請が終わって一か月後の六月十日、家族みんなで、高野山へお参りさせていただきました。


伏見稲荷の稲荷大明神様の依り代は、十三連の腕数珠でしたが、高野山の白髭稲荷大明神様の依り代は、鳥かごを持っておられたのが弘法大師である事から、お大師様のご縁日(三月二十一日)に因み、二十一個の数珠玉で作った二十一連の腕数珠を持参しました。


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当日、白髭稲荷大明神様の御宝前に、二十一連の腕数珠を入れた水玉をお祀りし、伏見稲荷大明神の時と同様、「今日は、家族みんなで、お迎えに参りました。どうか、この腕数珠を依り代として、法徳寺にお越し下さいますよう、お願い申し上げます。お祀りさせていただいた暁には、末代までもお守りさせていただきます事を、ここにお誓いいたします」と心に念じながら、勧請させていただきました。


翌十一日から三日間、勧請させていただいた白髭稲荷大神様に御法楽を捧げ、六月十三日、晴れて菩薩様の御廟所である夢殿の内陣に、依り代の腕数珠を入れた水玉をお祀りさせていただきました。


紀州高野山の発展の陰で、白髭稲荷大神様の威神力が寄与している事は言うまでもなく、高野山(たかのやま)法徳寺ご開創十三年目を迎えるに当たり、不可思議な数々のお計らいによって、晴れて天(伏見稲荷大社)と地(紀州高野山)の双方から、稲荷大明神様を勧請させて頂けました事は、誠に有り難く、これに勝る喜びはありません。


合掌



稲荷大明神勧請(1)
稲荷大明神勧請(2)
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2017年10月30日

稲荷大明神勧請(4)

◇まだ終わっていなかった勧請◇


当初、私たちは、伏見稲荷大社へお参りし、稲荷大明神を勧請させていただいたその足で、山梨へ帰るつもりでした。


ところが、子供がどうしても京都タワーの地下にあるお店に行きたいというので、予定を変更して、「イオンモール京都」へ立ち寄る事になったのですが、その時は、「イオンモール京都」が、御旅所の真向いにある事など知る由もなく、京都タワー近くの駐車場を探している内に、「イオンモール京都」を見つけたのでした。


ですから、表面的に見れば、「イオンモール京都」へ立ち寄ったのは、ただの偶然に過ぎません。


しかし、その裏側に隠された真相を悟ってみれば、決して偶然ではなく、導かれるべくして導かれていたのです。


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では、何故、お大師様、菩薩様は、私たちを、「イオンモール京都」へ導かれたのでしょうか?何故、私たちは「イオンモール京都」へ立ち寄らなければならなかったのでしょうか?


それは、「イオンモール京都」へ立ち寄る事によって、お稲荷様が伏見稲荷大社を出て来られる時に、必ずお泊りになる御旅所へ立ち寄っていただく為です。


何故、御旅所に立ち寄らなければいけないのかと言えば、そうしないとお稲荷様の勧請が完了しなかったからです。


◇勧請に欠かせない御旅所◇


勧請させていただいたお稲荷様は、伏見稲荷大明神の御分霊ですが、お稲荷様を勧請させていただくという事は、お稲荷様に法徳寺までの長旅をしていただき、末代までも法徳寺に御鎮座いただき、衆生済度のお手伝いをしていただくという事です。


その為には、伏見稲荷大社から、直接、法徳寺へ来ていただくのではなく、まず毎年伏見稲荷からお出ましになる御旅所に立ち寄っていただき、御旅所を経由して法徳寺へ来ていただくのが、神仏の世界でのお稲荷様が旅立たれる時の順路であり、お迎えする時の仕来りなのではないでしょうか?


見えぬ神仏の世界では、伏見稲荷大社で勧請しただけでは、まだ勧請は終わっていなかったのです。


お稲荷様を法徳寺にお迎えする為には、御旅所は避けて通れない場所であり、「イオンモール京都」へ立ち寄る事は、お稲荷様を勧請する上で欠かせない道のりだったのです。


残念ながら、御旅所が「イオンモール京都」の真向いにある事や、御旅所へ立ち寄る事の重大さに気付いたのは、山梨へ帰ってからですので、御旅所には立ち寄れませんでしたが、仮に前もって御旅所が「イオンモール京都」の真向いにある事を知っていたとしても、多分、御旅所には立ち寄っていなかったと思います。


何故なら、御旅所に立ち寄る事が、お稲荷様を勧請する上で欠かせない道のりである事に、全く気付いていなかったからです。


◇子供に与えられたお役目◇


勿論、お大師様、菩薩様は、前もってその事をすべて見通された上で、子供を一緒に来させ、「イオンモール京都」へ私たちを導き、お稲荷様が、御旅所に立ち寄られるようお計らい下さったに違いありません。


しかし、ここで一つ疑問が残ります。


「実際にこの足で御旅所へ立ち寄った訳ではないのに、どうしてお稲荷様が御旅所へ立ち寄られたと分かるのか?」という疑問ですが、確かに、直接御旅所へ立ち寄ってお参りした訳ではありません。


「イオンモール京都」へ導かれたお計らいの意味に気付いたのは、山梨へ帰ってからですから、御旅所へ立ち寄れる筈もありませんが、目に見えぬ神仏の世界では、この足で御旅所に立ち寄らなくても、すぐ隣にある「イオンモール京都」へ立ち寄った事によって、お稲荷様に御旅所へ立ち寄っていただいた事になるのではないでしょうか?


だからこそ、わざわざ子供を一緒に来させ、御旅所の真向いにある「イオンモール京都」へ導いて下さったのです。


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何故そう確信するのかと言えば、もし子供が一緒に来ていなければ、「イオンモール京都」へ寄り道する事は絶対にありえなかったからです。


そうなれば、お稲荷様に御旅所へ立ち寄っていただく事はおろか、お稲荷様を法徳寺に勧請する事さえ出来なかったかも知れません。


お稲荷様を勧請させていただく為には、ただ伏見稲荷大社で勧請するだけではなく、どうしてもお稲荷様に、御旅所へ立ち寄って頂かなければならなかったのです。


勿論、先ほども言ったように、直接、御旅所へお参りさせて頂いた訳ではありませんが、もし直接、御旅所へ立ち寄らなければいけないのであれば、お大師様、菩薩様は、必ずそのようなお計らいをして下さった筈です。


子供を使って、ここまでのお計らいをして下さっている以上、そうなさらなかった筈がありません。


にも拘らず、直接御旅所に立ち寄らせなかったのは、そうしなくても、目に見えぬ神仏の世界では、真向かいにある「イオンモール京都」へ立ち寄る事により、お稲荷様に御旅所へ立ち寄っていただいた事になるからだと思います。


◇勧請への確信◇


こうして、お大師様、菩薩様は、私たちを伏見稲荷大社から更に「イオンモール京都」へ導く事によって、伏見稲荷大明神様の勧請が滞りなく終わった事を証明して下さったのです。


もし、このようなお計らいがなければ、本当に法徳寺へ勧請出来たのかどうかの不安や疑問が残ったかも知れません。


しかし、「イオンモール京都」に導かれた事によって、間違いなくお稲荷様を勧請させていただけた事を、ハッキリ確信させていただけるのです。


いまにして思えば、知り合いのU氏を、伏見稲荷へお参りする前日に法徳寺へ立ち寄らせ、伏見稲荷へのお参りは、お稲荷様を法徳寺へ勧請する為のお参りであり、依り代は十三連の腕数珠が相応しい事に気付かせて下さった事も、予定があると言っていた子供を東京から帰らせ、一緒に伏見稲荷へお参りさせ、御旅所の真向かいにある「イオンモール京都」へ導いて下さった事も、すべてお稲荷様の勧請が無事に済むようにとの、お大師様、菩薩様の最善最良のお計らいだったのです。


合掌



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2017年10月28日

稲荷大明神勧請(3)

◇思いがけない訪問者◇


こうして、様々なお計らいを頂く中で、伏見稲荷大社にお参りさせていただく事になったのですが、問題が一つありました。


それは、「伏見稲荷大明神をどのような形で法徳寺にお迎えすればよいのか?」という事です。


最初の予定では、伏見稲荷大社で御祈祷していただいたお札をお祀りさせていただくつもりでしたが、お大師様、菩薩様のお考えは全く違っていました。


伏見稲荷へお参りさせていただく前日の五月十二日、融通尊寺(神戸市)の住職をしておられる知り合いのU氏が、何の前触れもなく突然、法徳寺へ来られたのです。


聞けば、柳生新陰流の剣術を習っておられ、その稽古の為に、前日甲府市内に一泊され、神戸に帰る道すがら、法徳寺へ立ち寄って下さったとの事でした。


思わぬ突然の訪問に驚いたのですが、伏見稲荷へお参りする前日の訪問でしたので、「もしかすると、お大師様、菩薩様のお計らいかも知れない。何か悟らなければいけない事があるのではないか」と感じました。


今までの経験上、思いがけない事が起こる時は、そこに何らかのお計らいがなされている事が多々ありましたので、今回の突然の訪問にも、お大師様、菩薩様のお計らいがなされているような気がしてなりませんでした。


丁度お昼前でしたので、U氏と一緒に、八ヶ岳の麓に広がる清里のレストランに行き、食事をしながら、明日、伏見稲荷へお参りして、御祈祷をしてもらう予定である旨を告げると、「大西さん、御祈祷をしてもらうのもいいですが、せっかく伏見稲荷へ行かれるなら、ご自分でお稲荷様を勧請(かんじょう)して来られたらどうですか」という思いがけない言葉が返ってきたのです。


勧請とは、お稲荷様を法徳寺へお迎えさせていただく事ですから、勧請させていただくという事になれば、ただ願いを叶える為の御祈祷と違って、お迎えする側の決意や覚悟も大きく変ってきます。


勧請させていただくという事は、お稲荷様に法徳寺へお越しいただき、末代までも衆生済度のお手伝いをしていただく事を意味しますから、安易な気持ちで勧請する訳にはいきません。


それまで、私の脳裏にあったのは御祈祷していただく事だけで、勧請までは全く考えていなかったので、U氏の言葉は、まさに青天の霹靂でした。


しかし、言われてみればまさにその通りで、最初の驚きは、次第に、お稲荷様を法徳寺に勧請せよとのお大師様、菩薩様のお指図に違いないという確信に変わっていきました。


◇お稲荷様の依り代◇


お大師様、菩薩様が、伏見稲荷へ行く前日に、U氏を法徳寺に立ち寄らせるお計らいをなさったのは、その事を伝えたかったからでしょうが、お稲荷様を勧請させていただく事になれば、どうしても決めなければならない事が一つあります。


それは、「何をお稲荷様の依り代(よりしろ)にすればよいのか」という事です。


先ず脳裏に浮かんだのは御幣ですが、御幣よりもっと相応しいものがあるような気がしてならなかったので、あれこれ思案していると、U氏がこう言ったのです。



御幣もいいのですが、法徳寺にある物を、お稲荷さんの依り代にした方がいいと思います。法徳寺にある物なら、石でも木でも何でもいいんです。例えば、以前大西さんからいただいた腕数珠はどうでしょうか。

腕数珠なら、紙で作った御幣のように破れたりボロボロになる心配はないし、神様にお供えするお水を入れる水玉に入れてお祀りすればいいのです。

法舟菩薩様の御縁日の十三日に因んで、数珠玉を十三個つないで腕数珠を作り、依り代にされてはどうですか?



U氏からそう提案され、法舟菩薩様のご縁日の四月十三日に因んで、十三連の腕数珠を依り代とするのが最も相応しいと確信したのですが、一つ疑問がありました。


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そもそも、U氏を伏見稲荷へお参りする前日に法徳寺へ立ち寄らせるお計らいをなさったのは、お大師様、菩薩様ですから、菩薩様の御縁日ではなく、お大師様の御縁日(三月二十一日)に因んで、二十一連の腕数珠を依り代にしてはどうかと、U氏に言わせてもいい筈ですが、何故そう言わせなかったのかという事です。


恐らく、次の二つの理由からではないでしょうか。


一つは、「稲荷大明神勧請(2)」でも述べたように、四月十三日は、菩薩様の御縁日であると同時に、紀伊田辺市で出会ったお大師様と白髭稲荷大明神が、東寺での再会を約束して別れ、七年後に再開された日(弘仁十四年四月十三日)でもあるという事です。


この再会がご縁で、お大師様がお稲荷様をお祀りされたのが、伏見稲荷大社の起源となっており、十三という数字がお稲荷様にとって特別な意味合いを持つ数字である事を考えれば、十三連の腕数珠以外に、お稲荷様に相応しい依り代はないと言っても過言ではないでしょう。


もう一つは、「稲荷大明神勧請(5)」で述べるように、天(伏見稲荷大社)に続いて、地(高野山)からも稲荷大明神を勧請させていただく事になり、その時の依り代を、お大師様の御縁日に因んで、二十一連の腕数珠とさせていただいたので、天(伏見稲荷大社)からの勧請には、菩薩様の御縁日に因んだ十三連の腕数珠でなければならなかったという事です。


いずれにしましても、伏見稲荷大社へお参りする目的が、単なる御祈祷ではなく、お稲荷様を勧請する為である事、そして依り代は十三連の腕数珠が相応しい事を伝えるため、伏見稲荷へお参りする前日に、U氏を法徳寺へ立ち寄らせて下さった事は間違いありません。


U氏が山梨へ来られた表向きの理由は、剣術の稽古ですが、それはあくまで山梨へ来させる為のみ仏の手立てに過ぎず、真の目的は、伏見稲荷へお参りするのは、稲荷大明神を勧請する為である事を、U氏に伝えさせる為だったのです。


◇京都駅への寄り道◇


U氏とのやり取りを通じて、改めて生き仏様のお計らいの絶妙さに感服させられた事は言うまでもありませんが、彼と別れた後、早速法徳寺に帰り、白い十三個の数珠玉を集めて十三連の腕数珠を作り、翌五月十三日、家族揃って、伏見稲荷大社へお参りさせていただきました。


生憎の小雨模様にも拘らず、境内は、信者らしき人々の他に、海外からの観光客の団体や修学旅行生でごった返し、色とりどりの傘の花が所狭しと咲いていました。


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早速、境内の一角にある神具店で水玉を購入し、本殿で御祈祷をしていただいたのですが、その間、御祭壇に、腕数珠を入れた水玉をお祀りしていただき、「今日は、家族みんなで、お稲荷様をお迎えに参りました。何卒この腕数珠を依り代として、法徳寺にお越し下さいますよう、お願い申し上げます」と心に念じながら、勧請させていただきました。


御祈祷が終わる頃には雨も上がり、無事に勧請を済ませ、晴れてお稲荷様を法徳寺へお迎えさせて頂ける喜びを家族みんなで噛みしめながら、帰路につくつもりでしたが、お大師様、菩薩様は、私たちの予想を遙かに超えるお計らいをしておられました。


一緒に行った子供が、「京都駅前の京都タワーの地下にあるお店に行きたい」と言うので、急遽予定を変更して、京都駅へ寄り道をする事になったのですが、実はこの寄り道の中に、予想もしていなかったお大師様、菩薩様のお計らいが隠されていたのです。


京都タワーの地下と言っても、車を止めておく場所がないので、近くに駐車場はないかと探したところ、京都タワーと反対側の京都駅の南側に、「イオンモール京都」という七階建ての複合施設があり、買い物や食事をする人たちの駐車場があると言うので、お昼前でもあった事から、そこへ車を止め、食事をする事にしました。


子供が行きたい京都タワーは、京都駅を挟んで北側にある為、南側にある「イオンモール京都」から歩いていかなければなりませんが、それでもいいと言うので、妻と子供の二人は、京都タワーまで歩いていく事になり、残った私たちは、イオンモールで昼食を済ませてから、京都タワーの近くで二人と落ち合う事にしました。


食事を済ませた後、京都タワー近くで二人を車に乗せ、その足で山梨へ帰ってきたのですが、その時はまだ、お大師様、菩薩様がお計らいをしておられる事など、知る由もありませんでした。


◇「イオンモール京都」へ導かれた真の理由◇


当初は、伏見稲荷にお参りし、勧請を済ませたらすぐに帰る予定でしたが、子供が京都タワーの地下にあるお店に行きたいというので、予定を変更して、京都駅の南側にある「イオンモール京都」へ立ち寄る事になったのですが、このような予定変更は、我々の日常生活の中ではよくある事で、決して珍しい出来事ではありません。


ですから、いつもなら気にもかけず、そのまま見過ごしているところですが、予定変更は、伏見稲荷大社へお参りして稲荷大明神様を勧請した後だったのです。


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お稲荷様の勧請がお大師様、菩薩様のお計らいである事を考えれば、「イオンモール京都」へ立ち寄ったその後の行動も、お大師様、菩薩様のお計らいである可能性が出てきますが、残念ながら、当日はそこまで深く考えないまま帰ってきたので、お計らいに気付かず、気付いたのは、山梨へ帰って数日経ってからでした。


山梨へ帰って暫くしてから、ふと「何故、勧請を済ませた後、わざわざ京都駅の南側にあるイオンモール京都まで寄り道させられたのだろう?」という疑問が頭をもたげてきたのです。


子供が京都タワーの地下にあるお店に行きたいと言うのが表向きの理由ですが、京都タワーへ行くのであれば、京都駅の北側へ行った方が近い筈です。


わざわざ京都駅を挟んで、京都タワーと反対側にある「イオンモール京都」まで行かなければならない必然性はどこにもなく、「イオンモール京都」へ寄り道したのは、私たちをそこへ導きたいお大師様、菩薩様のお計らいに違いありませんが、何故、私たちを「イオンモール京都」へ寄り道させたかったのでしょうか?


◇伏見稲荷大祭の舞台・御旅所◇


伏見稲荷大社の起源について、「秦氏系の伊奈利伝承」と「荷田氏系の稲荷伝承」がある事は、「稲荷大明神勧請(2)」でお話した通りですが、伏見稲荷に昔から伝わる伝統行事があるのをご存じでしょうか。


それは、毎年四月二十日直近の日曜日から五月三日までの二週間余りに亘って行われる伏見稲荷大祭で、「神幸祭(しんこうさい)」と「還幸祭(かんこうさい)」という二つの行事から成り立っています。


四月二十日に伏見稲荷を出発した御輿が、「伏見稲荷御旅所(ふしみいなりおたびしょ)」までお出ましになられ、そこに五月三日までの二週間お泊りになり、氏子の参拝を受けられるのが「神幸祭」、そして、最終日の五月三日、東寺へ立ち寄られ、東寺の僧侶から供養を受けた後、伏見稲荷大社へ帰られるのが「還幸祭」で、伏見稲荷大社にとっては、最も重要な毎年恒例の伝統行事です。


この稲荷大祭は、お大師様が、白髭稲荷大明神ご一家を芝守り(柴守)長者の屋敷でもてなされ、東寺の鎮守神としてお祀りされた故事に由来しています。


伏見稲荷大社は、創建年代について、「秦氏系の伊奈利伝承」の和銅四年(711)を採用し、稲荷大祭については、「荷田氏系の稲荷伝承」に則って行っている事から、どちらの伝承も採り入れている事になりますが、白髭稲荷大明神ご一行が滞在された「芝守り(柴守)長者」の屋敷跡と言うのが、実は稲荷大祭の重要な舞台となっている現在の「伏見稲荷御旅所」なのです。


御旅所の存在は、伏見稲荷の起源を調べていく内に知ったのですが、伏見稲荷大社へお参りする前は、東寺の近くにあるのだろうと想像する程度で、どこにあるのかも全く知りませんでした。


ところが、山梨へ帰ってから急に「イオンモール京都」へ立ち寄った事が気になり始め、改めて「伏見稲荷御旅所」の場所を調べたところ、思いもよらぬ場所にある事が分かったのです。


どこにあったかと言えば、何と私たちが車を止めた「イオンモール京都」の真向かいにあったのです。


油小路通りと名付けられた南北に走る幹線道路を挟んで、「イオンモール京都」が東側、「伏見稲荷御旅所」が西側にあって、お互いが向かい合う形になっていたのです。



これを見た時は、私たちを「イオンモール京都」へ導かれたお大師様、菩薩様のお計らいの絶妙さに、思わず唸らざるを得ませんでした。


合掌



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2017年10月25日

稲荷大明神勧請(2)

◇伏見稲荷大社にまつわる二つの伝承◇


京都の伏見稲荷大社へお参りさせていただく事に決まったものの、その時はまだ、何故、開創十三年目に入るや否や、伏見稲荷大社に導くお計らいがなされたのかについては、よく分かりませんでした。


そのお計らいの意味を知る為には、やはり伏見稲荷大社の起源について知る必要があったのです。


伏見稲荷大社の起源については、二つの伝承が伝えられています。


一つは、大陸から渡来し、日本に土着した秦(はた)氏一族に連なる「秦氏系の伊奈利(いなり)伝承」、もう一つは、荷田(にだ)氏に連なる「荷田氏系の稲荷伝承」と言われるものです。


秦氏も荷田氏も、代々、伏見稲荷大社の神官を勤めてきた社家の家柄ですから、伝承もそれほど違わないであろうと想像していたのですが、その予想は見事に裏切られ、二つの伝承の内容は大きく異なっていました。


◇秦氏系の伊奈利伝承◇


先ず「秦氏系の伊奈利伝承」の根拠となっている『山城国風土記逸文・伊奈利の社条(やましろのくにふどきいつぶん・いなりのしゃじょう)』によれば、稲や粟などの穀物で財をなした京都市深草の長者、秦伊呂具(はたのいろぐ)が、稲荷山に稲荷大明神を祀ったのが起源と言われています。


秦伊呂具は、秦氏の遠祖と言われている人物で、稲荷神社の『稲荷社神主家大西(秦)氏系図』(いなりしゃかんぬしけおおにし(はた)しけいず)によれば、賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)二十四世、賀茂県主久治良(かものあがたぬしくじら)の末子とされています。


賀茂建角身命は、神武東征の際、高木神(たかぎのかみ・注1)・天照大神の命を受けて日向(ひゅうが)の曾の峰(高千穂峰)に天降り、大和の葛木山に至り、八咫烏(やたがらす)に姿を変えて神武天皇を先導し、勝利に貢献したと言われている古代神話の神様で、秦伊呂具は、八咫烏二十四代目の人物の子孫という事になります。


秦氏は、大陸から渡来し、京都の太秦(うずまさ)を本拠地として活躍した有力豪族で、太秦の広隆寺は秦氏の氏寺、松尾大社は氏神としてよく知られています。


その秦氏を統率していたのが、秦都理(はたのとり)と言われる人物で、秦伊呂具は、秦都理の弟と言われていますので、秦氏の分家の長という事になります。


或る日、秦伊呂具が、餅を的にして矢を射たところ、その矢が餅に命中し、餅が白い鳥に変って稲荷山の頂上へ飛んで行き、そこに稲が生えたので、不思議に思った伊呂具がその地を霊地と感じ、稲の霊である稲荷大明神を祀り、「伊奈利社(いなりしゃ)」と名付けたのが、伏見稲荷大社の起源と言われています。


その日が、和銅四年(西暦711年)二月七日壬午(みずのえうま)の日であった事から、二月の初午が稲荷大明神の紋日とされています。


秦伊呂具が餅を的にして矢を射たら、餅が白鳥に変って稲荷山の山頂に飛んで行ったという伝承は、五穀豊穣をもたらす穀物の霊(穀霊)である餅を弓の的としたため、餅に潜んでいた穀霊が白鳥となって飛び去った事を暗示しています。


それによって災厄がもたらされる事を恐れた子孫が、餅を的にした先祖の過ちを悔い、社の木を根こそぎ引き抜いて家に植え、祀ったのですが、その木を植えて根付けば福が授かり、枯れると福はないと言われ、これが、今に伝わる稲荷神のご神木「験(しるし)の杉」の起源となっています。


イナリという名前は、山の頂上に稲が生えた事に由来しており、「イネナリ(稲生)」が「イナリ」に転じ、「稲荷」の漢字をあてて、社名としたものですが、何故、秦伊呂具が、本家の氏神とは別に、分家の氏神として新たに「伊奈利社」を創建し、稲荷大明神を祀ったのかについては、よく分かっていません。


◇荷田氏系の稲荷伝承◇


もう一つの伝承である「荷田氏系の稲荷伝承」の根拠となっているのが、『稲荷大明神流記(いなりだいみょうじんるき)』で、それによれば、弘法大師が、弘仁七年(816)、熊野詣での途中、紀伊田辺に滞在しておられた時、女性二人と子供二人を連れ、稲を担いで杉の杖をついた、身長二メートル四十センチもある白髭の老翁が訪ねて来られ、


私は稲荷の神である。あなたとはすでに唐土で面会している。これからあなたの仏法興隆事業をお手伝いしようと思う。


と言われたので、弘法大師は大変喜ばれ、


確かに貴方とは先年、私が唐に留学していた時にお会いしました。その時交わした誓約を、今でも忘れる事が出来ません。私には密教を日本に広め、仏法を隆盛させたいという願いがあります。その仏法興隆事業をお助け下さるのは大変有り難い事です。

私は今、わが国に密教を興隆させたいと、京都の東寺で大事業に着手したところです。ぜひ貴方様のお力をお貸し願いたい。京都の東寺でお待ちしておりますので、是非お越しください。


と告げ、東寺での再会を約束して別れました。


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伝承によれば、弘法大師と稲荷明神が出逢った場所は、紀伊田辺駅より西北へ数キロ行った田辺市稲成(いなり)町にある高山寺(真言宗御室派)のある場所とされており、現在お寺の正門には、「弘法大師稲荷明神 値遇の霊跡 高山寺」と刻まれた石柱が建っています。


弘法大師と稲荷明神が京都・東寺での再会を約束してから七年後の弘仁十四年(823)四月十三日、東寺の南大門に、二人の女性と二人の子供を連れ、稲を担いだ白髭の老翁が、紀伊田辺で別れた時の姿のまま訪ねてこられ、


お約束通りやって参りました。これから東寺とあなたの為にお手伝いさせていただきましょう。

と言われたので、弘法大師は、


お稲荷様、よく訪ねてくださいました。貴方様のお力をいただき、私の東寺の仕事も、密教興隆の仕事も、きっとうまく行くに違いありません。東寺には、お稲荷様ご家族をお泊めする場所がありませんので、すぐ近くの芝守り(柴守)長者の屋敷でしばらくご滞在下さい。


と言って、長者の屋敷へ案内され、お稲荷様ご一家を篤くもてなされました。


お稲荷様ご一家は、そこでしばらく滞在され、滞在期間中、弘法大師は、壇を組んで、十七日間の行に入り、お稲荷様を東寺の鎮守として祀り、後に稲荷山に勧請したのが、伏見稲荷の起源と言われています。


弘仁十四年(823)を伏見稲荷の起源とする「荷田氏系の稲荷伝承」と、和銅四年(711)を起源とする「秦氏系の伊奈利伝承」とでは、百年余りの開きがあり、どちらの伝承が正しいかは不明ですが、伏見稲荷大社では、平成二十三年(2011)に創建千三百年祭を催していますので、創建年代については、「秦氏の伊奈利伝承」の和銅四年(711)説を採用している事になります。


◇稲荷山の神・竜頭太と弘法大師のつながり◇


更に、東寺に伝わる『稲荷大明神縁起(いなりだいみょうじんえんぎ)』には、次のように記されています。


和銅年中(708〜715)より百年間、稲荷山の麓には、竜頭太(りゅうとうた)という山の神が住んでいた。
 稲荷山の山麓に草庵を結び、昼は田を耕し、夜は薪を集めていたが、その容貌は竜のようで、顔の上に光があたって夜を照らすほどであったという。
 稲を荷いでいたことから、姓を荷田(にだ)と言ったが、弘仁の頃、弘法大師がこの山で修行していると、竜頭太が現れ、「吾は稲荷山の神である。仏法を守護しようと願っているので、真言の教えを説いてほしい。そうすれば、当山をあなたに譲り渡そう」と言ったので、弘法大師は大層喜んで法を説き、その容貌を写して御神体とし、東寺の台所に安置したと言う。


この伝承によれば、竜頭太なる人物は、荷田氏の先祖であると同時に、秦伊呂具が稲荷山の頂上に「伊奈利社」を建てて稲荷明神を祀る以前から、山の神として稲荷山に鎮座し、弘法大師が修行の為にこの山へ来るのを待っていたのです。


そして、紀伊田辺で出会った白髭稲荷(しらひげいなり)大明神が東寺を訪ねて来られたのを機に、弘法大師が竜頭太から譲り受けた稲荷山に白髭稲荷大明神を勧請したのが、伏見稲荷大社の起源という事になります。


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先ほど述べたように、秦伊呂具が、餅を的にして矢を射たところ、餅が白い鳥になって稲荷山の頂上に飛んでいき、そこに稲が生えた事から、その場所に「伊奈利社」を建てて稲荷大明神(稲荷三神)を祀り、秦氏の氏神としたという「秦氏系の伊奈利伝承」と、稲荷山の神である竜頭太が、弘法大師から仏法を授けられたお礼に稲荷山を授け、そこに白髭稲荷大明神を祀ったのが伏見稲荷の起源であるとする「荷田氏系の稲荷伝承」とでは、内容も創建年代も大きく異なっています。


いずれにしても、弘法大師と東寺が、伏見稲荷の創建に深くかかわっている事は間違いないでしょうが、竜頭太にまつわる伝承を聞いて思い出したのは、境内の一角で肩を並べて死んでいたモグラとネズミです。


モグラは、漢字で「土竜」と書きますが、靴やスリッパなどと一緒に、死んだモグラを、短期間の内に、一度ならず三度までも見た事が不思議でならなかったのですが、いまにして思えば、伏見稲荷へ導く為、「荷田氏系の稲荷伝承」に出てくる竜頭太との関連性を示唆していたのかも知れません。


またモグラと肩を並べて死んでいたネズミは、昔から大黒天の使いと言われていますが、大黒天は、稲荷大明神と同一視されているヒンズー教のダーキニー(荼吉尼天)に法を説き、仏教の守護神に生まれ変わらせた神で、ダーキニーにとっては、仏法に目覚めさせてくれた救世主ともいえる存在で、大黒天と稲荷大明神との間には深い因縁があります。


モグラとネズミが死んでいるのを見かけた時期と、足にまつわるスリッパや靴、鹿の角と足の一部が落ちていた時期が重なっていたのも、ただの偶然ではなく、伏見稲荷へ導くためのお計らいであったに違いありません。


◇伏見稲荷の五社明神◇


様々な謎に包まれている伏見稲荷大社ですが、現在、大社に祀られている伏見稲荷大明神は、「稲荷五社大神」「稲荷五社明神」とも言われるように、五柱の神様の総称であって、一柱の神様ではありません。


その五柱の神様も、時代によって変遷してきている為、異なる二つの稲荷伝承を含めて、伏見稲荷にまつわる謎を一層深める要因となっています。


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現在、伏見稲荷大社には、宇迦之御魂大神(うかのみたまおおがみ)、左田彦大神(さたひこおおがみ)、大宮能女大神(おおみやのめおおがみ)、田中大神(たなかのおおがみ)、四大神(しのおおがみ)の五柱の神様が祀られていますが、稲荷三神の一柱である宇迦之御魂大神は、古事記に出てくる稲の神様で、日本書紀では、「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」として登場します。


稲荷山の麓の下社に鎮まる稲荷大社の主祭神で、本殿の中央座におられます。


五穀と養蚕を司る穀物霊で、宇迦之御魂の宇迦は、食物の古代語「ウケ、ウカ」で、ウカノミタマは、食物の霊を意味します。


稲荷は、「稲生り」が「イナリ」に転じ、「稲を荷う」という漢字が当てはめられた事は、先に述べた通りですが、伊勢神宮の外宮に祀られ、「天照大御神」の食物を司る「豊受大神(とようけおおがみ)」と同体視されています。


伏見稲荷大社は、明治の廃仏毀釈(注2)までは、愛染寺という真言密教の寺院として栄え、宇迦之御魂の本地仏(ほんぢぶつ)は如意輪観音とされていました。


稲荷三神の一柱である左田彦大神は、稲荷山の中腹にある中社に鎮まる神様で、本殿の北座(向かって左側)におられます。


道開きの神として知られる伊勢の猿田彦大神(さるたひこおおがみ)と同一視され、本地仏は千手観音とされています。


稲荷三神の一柱である大宮能女大神は、稲荷山の頂上にある上社に鎮まる神様で、本殿の南座(向かって右側)におられます。本地仏は、十一面観音とされています。


田中大神は、下社摂社に鎮まる神様で、本殿の最北座(向かって左端)におられます。大己貴神(おおなむちのかみ・注3)と同一視され、本地仏は不動明王とされています。


四大神は、中社摂社に鎮まる神様で、本殿の最南座(向かって右端)におられます。五十猛命(いたけるのみこと)、大屋姫(おおやつひめ)、抓津姫(つまつひめ)、事八十神(ことやそがみ)の四柱の神様で、本地仏は毘沙門天とされています。


合掌



稲荷大明神勧請(1)
稲荷大明神勧請(2)
稲荷大明神勧請(3)
稲荷大明神勧請(4)
稲荷大明神勧請(5)
稲荷大明神勧請(6)
稲荷大明神勧請(7)


高野山法徳寺Website

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2017年10月18日

稲荷大明神勧請(1)

◇ご開創十三年目のお計らい◇


月日が経つのは早いもので、平成十六年四月十三日に高野山(たかのやま)法徳寺が発足して、早や十二年の歳月が流れました。「十年ひと昔」と申しますが、アッと言う間の十二年間だったような気が致します。


いままで全くご縁のなかった新天地での発足でしたので、将来に向けての不安が全くなかった訳ではありませんが、お陰様で、今年(平成二十九年)の四月十三日で、開創十三年目を迎える事が出来ました。


これも、ひとえにお大師様、菩薩様のご加護と、御同行の皆様の変らぬご支援の賜物であり、この場をお借りして厚く御礼を申し上げます。


さて、今年は、菩薩様のご縁日(十三日)に因む御開創十三年目に当たる事から、高野山法徳寺にとって大きな節目の年となるのではないかと、心に期するものがありました。


今年四月十三日の春の大法要でも、そのような趣旨の法話をさせていただきましたが、間髪入れず申しましょうか、三日後の四月十六日、お大師様、菩薩様から、思いも寄らぬお計らいをいただきました。


その日、夢殿の御回廊廻りを終え、境内に生えている草の様子を見に行ったところ、スリッパの片方だけが、四足分落ちていました。


開創から十二年が経過しましたが、今までこのような事は一度も無く、不思議に思っていたところ、翌十七日にも、靴、スリッパ、長靴、スニーカー、空き缶などが、境内のあちらこちらに散乱していました。


境内に落ちていたスリッパや靴やスニーカー等は、いずれも薄汚れ、ゴミとして捨てられていたものである事は明らかでした。


誰かがここまで運んできたものと思われますが、それからもほぼ毎日のように、境内の各所に、スリッパ、長靴、スニーカー、靴など、主に足に関係するものが散乱していました。


また十七日には、ネズミとモグラが、境内の一角で、仲良く肩を並べて死んでいるという、珍しい光景にも遭遇しました。


◇犯人は誰か?◇


境内へ運ばれてきた数々の足に関係する落とし物は、四月十六日から五月八日まで、ほぼ毎日続き、落ちていなかったのは、四月十八日、四月二十日、五月三日の三日間だけでしたが、一体誰がこんなものを運んできたのでしょうか?


どこかに捨てられていた靴やスリッパや長靴を、わざわざこんな所まで運んで来る人はいないでしょうから、恐らく犯人は、この辺りに住む狐か鹿かカラスのいずれかであろうと思われますが、最も可能性が高いのは、やはり狐です。


と言いますのも、境内の東側にある土手に、穴が数か所掘られ、その中に狐の親子が住んでいるのを何度も目撃していたからです。


今年の春先から土手の上で、五匹の子狐が、じゃれ合いながら楽しそうに遊んだり、日向ぼっこをしている光景を何度も見かけましたので、犯人は、狐に相違ありません。


実は、その念押しとも言うべきお計らいが、四月三十日にありました。


狐.JPG


その日、家内が、境内に靴やスリッパが落ちていないかと、いつものように土手に添って歩いて行くと、土手のすぐ下に、鹿の足の一部らしきものが落ちていたのです。


恐らく、どこかで死んでいた鹿の足の一部を、ここまで運んできたのでしょうが、この辺りで、死んだ鹿の肉を食べたり運ぶ習性のある動物と言えば、やはり肉食の狐しかいません。


スリッパや靴を運んできた犯人が狐である事は、ほぼ間違いありませんが、肉食である狐の習性を考えれば、鹿の足を運んできたのも、狐と考えて間違いないでしょう。


狐が土手に穴を掘って子供を育てているのは今年が初めてではありませんが、狐が、どこかに捨てられていた物を境内まで運んできた事は、法徳寺が発足してから一度もなく、まさに十三年目のサプライズと言ってよいでしょう。


しかし、十三年目に入るや否や、間髪入れずに、靴、スリッパ、スニーカー、鹿の足など、主に足に関係するものばかりが運ばれてきた事を考えれば、ただの偶然と見過ごす訳にはいかず、やはり、お大師様、菩薩様のお計らいと考えざるを得ませんでした。


◇何を悟らなければいけないのか◇


もし一連の出来事が、お大師様、菩薩様のお計らいだとすれば、悟らなければならないのは、その目的です。


最初に発見してから八日目の四月二十四日、母(寿法様)が不思議な夢を見ました。


母は紀州高野山に居るそうで、前方を見ると、十三人の人が居て、その中の山崎さんという人が、「あれを見て!」と言ったので、そちらを見ると、そこに二人の人が立っていて、その内の一人が、縦に長い鳥かごを持っていました。


鳥かごの中を見ると、かごの端の方に、黒い色をした観音様が立っておられるので、母は、「観音経を唱えないといけないのだろうか?」と思ったそうですが、夢を見たその日、家内が、土手の上で、鹿の角を見つけました。


鹿の角.JPG


先ほどお話したように、鹿の足の一部を発見したのは、それから一週間後の四月三十日でしたから、一週間の内に、鹿の角と鹿の足を相次いで発見した事になりますが、法徳寺が発足してから今日までの十二年間、鹿の角と足が落ちていたり拾ったりした事は一度もなく、やはりこれも、お大師様、菩薩様のお計らいと考えざるを得ませんでした。


鹿の角と足から連想するものと言えば、天と地です。


天地は神仏であり、境内に落ちていたものが、主に足に関係するものであった事や、天地を連想させる鹿の角と足を相次いで発見した事などから、「これは、神社(神)と寺院(仏)に足を運べというお指図ではないか?」と悟らせていただいたのですが、問題は、「どこの神社と寺院にお参りすればよいのか?」という事です。


母が四月二十四日に高野山に居る夢を見たので、お参りする寺院は、紀州高野山と考えて間違いないだろうと思い、五月のゴールデンウィーク明けに、高野山へお礼参りをさせていただく事にしました。


この時は、高野山にお参りすれば、お参りする神社についても、何らかのお計らいがあるのではないかと思っていましたので、どこの神社にお参りするかは、まだ決めていませんでした。


ところが、翌五月一日、境内を見ると、前日同様、各所に、靴やスリッパが落ちていたのです。


過去の経験上、お悟りに間違いがなければ、翌日からお計らいが止まる場合が多いので、翌日も落ちていたという事は、先に高野山へお参りする事は、お大師様、菩薩様のみ心ではないという事になります。


恐らく、先にお寺(高野山)へお参りしたのでは、天地が逆になるから、それを避けよという事かも知れません。


そこで、先に神様(神社)へお参りさせていただく事にしたのですが、問題は、「どこの神様(神社)にお参りすればよいのか」という事です。


◇稲荷大明神と狐の伝承◇


思うに、四月十六日から五月八日までの二十三間、主に足に関係するものを運んできた犯人が狐である事を考えれば、狐に縁の深い神様である稲荷大明神と考えて間違いないでしょう。


しかし、一口にお稲荷様と言っても、神社に祀られている佐賀の祐徳稲荷、茨城の笠間稲荷をはじめ、寺院にお祀りされている愛知の豊川稲荷や岡山の最上稲荷など、お稲荷様を祀る神社仏閣は、全国に約三万五千社余りあると言われています。


ですから、どのお稲荷様にお参りすればよいのか一概には決められませんが、全国の稲荷社の総本社と言えば、やはり京都の伏見稲荷大社です。


今回のお計らいも、他の稲荷神社に導かれていると思えるような特段の事情がないので、総本社である伏見大社に導かれていると考えるのが妥当でしょうが、この他にも、伏見稲荷大社に導かれていると思った理由が、二つありました。


まず一つは、稲荷大明神の使いとなった狐にまつわる伝承です。


愛知の豊川稲荷や岡山の最上稲荷など、寺院にお祀りされているお稲荷様は、大日如来の化身である大黒天の導きによって、仏法を守る守護神となったヒンズー教の女鬼、ダーキニーの事で、日本では、音写して、荼吉尼天(だきにてん)と呼ばれています。


ダーキニー(荼吉尼天)は、ヒンズー教の女神カーリーが連れている女鬼の一人で、半年前から人の死を知り、死んだ人間の心臓や血肉を食べると言われている恐ろしい夜叉の仲間ですが、先ほど述べたように、稲荷大明神の使いとされている狐も肉食で、死体を食べる習性があると言われています。


このように死体を食べるダーキニー(荼枳尼天)の習性と、狐の習性がよく似ている事から、豊川稲荷や最上稲荷にお祀りされている荼枳尼天は、白狐に乗る天女の姿で描かれているのですが、この白狐が稲荷大明神(荼枳尼天)の使いになった縁起について、次のような伝承が残っています。


荼枳尼天.jpg



昔、京都北区の船岡山の辺りに、老いたキツネの夫婦が住んでいました。牝は銀の針を立てたような白毛で、身体は狐でしたが、首は鹿で、五匹の子狐を連れていました。  弘仁年間、狐の老夫婦は、五匹の子狐を連れて稲荷山にお参りし、神前にぬかずいて、「私たちは畜生の身ですが、生まれたときから霊智を備え、世を守り、諸人を助けたいとの願いを持っています。しかし、狐の身では、この願いを遂げる事は難しく、叶えられるならば、今日から当社の眷属となり、神威をかりてこの願いを成し遂げたいと思います」と申し出たところ、稲荷大神は大変喜ばれ、「汝等の願いは殊勝である。よって、今から長く当社に仕え、お参りの人々を助けよ。牡の狐は「小薄(こすすき)」と名乗って上之宮に仕え、牝の狐は「阿古町(あこまち)」と名乗って下之宮に仕えよ」と告げられたので、狐の夫婦は、各々十の誓約を立てて、万人の幸を守り、願いを満たしてきたと言われています。



この伝承を読んですぐ脳裏に浮かんだのは、スリッパや靴を運んできた狐が五匹の子連れであった事と、境内に鹿の角と足が落ちていた事です。


法徳寺で起こったこれら一連の出来事と、京都に住んでいた狐夫婦の牝の首が鹿で、しかも五匹の子狐を連れていたと言う船岡山伝承の内容が重なり、「境内に住んでいた狐の家族を、稲荷大明神の遣いとなった船岡山の狐に見立て、私たちを伏見稲荷へ導く手立てに違いない」と悟らせて頂いたのです。


◇弘法大師と伏見稲荷とのご縁◇


もう一つは、やはり伏見稲荷と弘法大師様との深いご縁です。


後述するように、伏見稲荷大社の創建には二つの伝承があり、その内の「荷田(にだ)氏系の稲荷伝承」によれば、伏見稲荷大社の創建に、お大師様が深く関わっておられる事が明らかになっています。


法徳寺は、お大師様と不二一体の生き仏となられた普門法舟大菩薩様をご本尊と仰ぎ、高野山(たかのやま)の山号を頂く聖地であり、お大師様とご縁の深い稲荷大明神が、新たに法徳寺とご縁を結ばれたとしても何ら不思議はありません。


こうして、法徳寺で起こった一連の出来事と、狐が伏見稲荷大明神の使いとなった船岡山の伝承、そして、お大師様と伏見稲荷大社との深い因縁などから、京都の伏見稲荷大社に導かれていると悟らせて頂いたのです。


お参りの日は、連休明けの五月十三日(土曜日)に決まりましたが、家族全員でお参りしたいと思い、東京にいる子供にも、お参り出来ないかどうか尋ねたところ、予定があると言うので、一旦は一緒に行く事を諦めていました。


ところが、その後、「予定が変わったので、一緒にお参りできるようになった」との連絡が入り、家族全員でお参りさせていただけるようになったのですが、実は、この予定変更の中に、お大師様、菩薩様のお計らいが隠されていたのです。


後述するように、どうしても子供が一緒に行かなければならない理由があるから、お大師様、菩薩様が、子供の予定を変更して、一緒に行けるようにして下さったのです。


残念ながら、そのお計らいの意味を悟らせて頂いたのは、伏見稲荷大社へお参りする前ではなく、お参りから帰って数日経ってからでした。


合掌



稲荷大明神勧請(1)
稲荷大明神勧請(2)
稲荷大明神勧請(3)
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2017年08月01日

報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(2)

◇隠された真相◇


二つ目は、事実を在りのまま報道すべきマスコミの責任を放棄した点についてですが、朝日、毎日の二紙が、加戸発言を一切報道しなかったのは、いま述べたように、加戸発言が、二紙にとって「国民に知らせたくない事実」であり、国民に知られては困る情報」だからでしょうが、何故、加戸発言が国民に知られては困るのでしょうか?


それは、加戸発言の中に、加計学園問題の真相が語られており、その真相を知られては何としても倒閣運動を成功させたい自分達に不利益となるからです。


もし二紙が、前川発言が正しく、加戸発言が間違っていると確信しているなら、誰に隠す必要がありましょう。


発言内容をありのまま伝えた上で、正々堂々と、国民の前に、加戸発言が間違っている事を、根拠を示して証明し、説明すればいいのです。


それが自由に出来るのが、まさに憲法で認められた「報道の自由」の自由たる所以であり、同時に、マスコミに課せられた使命でもありましょう。


しかし、それをしなかったのは、「都合のいいことはカットされて、私の申し上げたいことを取り上げて頂いたメディアは極めて少なかったことは残念」という加戸発言が雄弁に物語っているように、加戸発言を正しいと認めざるを得なかったからでしょう。


勿論、それを認めれば、今まで報道してきた事が、倒閣運動や野党の印象操作の片棒を担ぐ手段として、意図的に捏造されたものである事が明らかになってしまいますから、口が裂けても認められません。


そこで、「報道しない自由」という詭弁を弄し、不都合な発言を国民の眼から隠そうとしたのですが、インターネットが網の目のように張り巡らされている今の世では、国民の眼を欺き通す事はもはや不可能と言えましょう。


重ねて申し上げれば、「報道しない自由」が、「報道する責任」と相容れない自由であり、詭弁である事は、誰の目にも明らかです。


勿論、マスコミにも、マスコミ独自のカラーがあり、それぞれのカラーに基づいて自社の主義主張を、誰の干渉も受けずに発信する事は自由であり、その事を否定するつもりは全くありません。


しかし、自社の意見を主張する事と、その前提として、いま問題になっている事実を賛否両論問わず、すべて包み隠さず国民に知らせる責任がある事とは全く別問題です。


朝日や毎日の主義主張が正しいか否かの判断も、実は、すべての事実が国民の前に明らかにされて、初めて可能となるのです。


もし、朝日や毎日に都合のよい情報しか知らされなければ、国民は、朝日や毎日の主張が正しいのか、間違っているのかの判断さえ出来なくなり、「国民の知る権利」を著しく損なう事になります。


◇一部マスコミの偏った正義◇


それとも、「事の是非の判断は我々マスコミがするから、何も知らない国民は、そんな判断をする必要はない」とでも強弁されるつもりなのでしょうか?


そんな事は万が一にもないと思いますが、最近驚くべきニュースを耳にしました。


テレビ朝日アナウンス室長の大下容子氏が、「蓮舫二重国籍問題を一切報道しないのは何故ですか?」 という視聴者からの問い合せに対し、「報道しない権利と自由、これが我がテレビ朝日の正義です。文句があるなら、日本人として恥だと思います。今後一切テレビ朝日を見ないで欲しい」と答えたというのですが、本当なのでしょうか?


もし本当だとすれば、「報道する自由と責任」を国民から託されたマスコミ人としての資質を疑わざるを得ません。


「テレビ朝日の正義」があるなら、国民の一人として視聴者にも「視聴者の正義」があり、その「視聴者の正義」の視点から、テレビ朝日の報道姿勢に疑問をなげかけたとしても、何ら非難されるべき事ではありません。


むしろ「文句があるなら、日本人として恥だ」と非難し、「テレビ朝日の正義に従いなさい。それが出来ないなら、見ないで欲しい」と、まるで独裁者のように服従を強いる態度こそ問題ではないでしょうか?この発言のどこに、「テレビ朝日の正義」を見出せばいいのか、理解に苦しみます。


テレビ朝日の報道姿勢に賛成の視聴者もいれば、反対の試聴者もいるのは、民主主義国家なら当たり前で、反対意見にも真摯に耳を傾けるのが、成熟した民主主義国家におけるマスコミの在るべき姿ではないでしょうか?


政府に都合のよい情報しか報道しない、報道出来ない共産主義国家のマスコミならいざ知らず、自由に発信できる民主主義国家のマスコミに籍を置く大下氏の発言を聞いていると、まるで共産主義国家のマスコミの発言を聞いているような錯覚さえ覚えます。


偏向報道が当たり前の共産主義国家のマスコミと同じ報道姿勢に終始する今の一部マスコミの現状を見れば、猶更その行動に疑問の眼を向け、将来に不安を抱くのが当たり前で、それが、民主主義国家に生かされ、平和を願う国民としての在るべき姿と言えましょう。


その意味で、「蓮舫二重国籍問題を一切報道しないのは何故ですか?」 という視聴者の疑問は至極尤もであり、テレビ朝日には、「何故報道しないのか?」という疑問に真摯に答える責任があります。


民主主義国家であればこそ、マスコミといえども、国民の批判の眼から逃れる事は出来ないのです。


にも拘わらず、疑問には一切答えず、「文句があるなら日本人として恥だ。今後は一切見ないで欲しい」と突き放す態度は、とても「事実に基づく公平公正なる報道」を旨とする公共の電波を預かるマスコミ人の姿勢とは思えません。


たとえ自社の主義主張に添わなくても、否、自社の主義主張に添わない意見であればなおさら、どのような疑問にも真摯に向き合い、丁寧に説明していく責任があるのではないかと思います。


野党議員が、盛んに口にする「説明責任を果す」事の使命の重さを自覚しなければならないのは、実はマスコミ自身なのです。


国民は、信頼するに足るマスコミか否かを、絶えず注視して見守っている事を、決して忘れてはならないでしょう。


◇偏向報道の先にある悲惨な未来◇


いくらマスコミといえども、有った事を無かった事に、無かった事を有った事には出来ません。否、「国民の知る権利」を守るべき立場にあるマスコミだからこそ、有ったことを無かった事に、無かった事を有った事にしてはならないのです。


我々国民が、一部マスコミの報道姿勢に不安を覚えるのは、有った事を無かった事に、無かった事を有った事にしようとする偏向報道の中に、国民を再び戦争の惨禍に巻き込む危険性の萌芽を見るからです。


例えば、自社の主義主張に添わない政権を倒すため、手段を択ばぬ偏向報道姿勢をとる朝日、毎日ですが、自社の主張に添った政権が誕生した時、どのような報道姿勢を取るのでしょうか?


恐らく、政権にとって不都合な事はひたすら隠し、都合のよい事だけしか報道しない偏向姿勢を貫くでしょう。


その先に待っているのは、「報道しない自由」を盾にして、自社に都合のよい政権を擁護する情報だけを流し、国民を誤った方向に誘導し、戦時中にあったような滅亡の道へと突き進む暗黒の未来ではないでしょうか?


御承知のように、朝日新聞は、戦時中、当時の政府の対応を弱腰と批判して戦争を煽り、国民を徹底的にたきつけて戦争を賛美し続け、日本の軍国主義化に協力して日本を破滅に導いた過去を背負っています。


戦後、朝日新聞は、その反省の下に生まれ変わり再出発をしたと言われていますが、戦時中に見られた偏向報道姿勢は本当に改まったのでしょうか?


残念ながら、朝日新聞の言う過去の反省は、「珊瑚礁記事捏造事件」「慰安婦強制連行捏造事件」「吉田調書誤報事件」など、その後の一連の捏造事件を見る限り、報道姿勢に活かされているとは到底思えません。それどころか、偏向報道は、戦時中にもましてエスカレートしているのではないでしょうか?


マスコミが恣意的な判断で、偏った情報しか報道しない姿勢をとり続ければ、どれほどの不利益を被るかを、我々国民は、戦時中は無論の事、これまでの一連の捏造事件によって痛いほど思い知らされてきました。


我々が、偏向報道姿勢に真っ向から反対するのは、再びマスコミの偏向報道によってもたらされる様々な不利益や、その最悪のシナリオとも言うべき戦時中の日本のような悲惨な状況になる事を懸念しているからです。


もしこのまま偏った報道姿勢に沈黙すれば、日本は再び、滅びの道へ進んでいく事になるかも知れません。


杞憂である事を祈らずにはいられませんが、今回の加計学園問題で示された偏向報道は、一部マスコミの報道姿勢の中に、いまなおそのような危険性の萌芽が見え隠れしている事を、改めて我々国民に強く印象付けたのです。


合掌


報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道(1)
報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道(2)

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2017年07月31日

報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(1)

◇病巣の根深さ◇


近年、一部マスコミによる偏向報道が一段と加速している事は周知の事実ですが、「加計学園問題」において再び顕著となった偏向報道姿勢は、改めてマスコミに巣食う病巣の根深さを、全国民に知らしめる結果となりました。


2017年7月10日に行われた「加計学園問題」の参議院閉会中審査において、「行政がゆがめられた」と言う前川喜平・前文科次官の発言に対し、元愛媛県知事の加戸守行氏が、「10年間、我慢させられてきた岩盤規制に、ドリルで穴を開けていただいた。行政がゆがめられたのではなく、ゆがめられてきた行政が正されたのです」と発言した内容を、朝日、毎日の二大新聞が全く報道しなかった事に、批判や疑問が相次いでいます。


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これに対し、「報道しない自由」を行使しただけだという意見もありますが、今回のように発言内容が相反し、野党が印象操作に狂騒している極めて政治色の強い事案について、自社や自社の主張に近い政党に都合のよい一方の発言だけを報道し、不都合なもう一方の発言を一切国民に伝えないという報道姿勢には、誰もが強い違和感を覚えたのではないでしょうか?


朝日、毎日の二紙が、一方の発言内容しか伝えないという偏った報道姿勢をとったのは、憲法改正を唱える安倍内閣を倒すためだというのが大方の一致した見方で、国民が違和感を感じる最大の要因もそこにあります。


勿論、国民の中には、安倍政権を擁護したい人もいれば、安倍政権を倒したい人もいるでしょうから、国民一人一人が、それぞれの立場や考え方から、その是非を判断すればよい事で、極めて公共性の高いマスコミという立場を利用して、倒閣運動や野党の印象操作の片棒を担ぐ事には違和感を覚えるものの、それが二紙の立場なら、あえて異を唱えるつもりはありません。


ただ、私たちが危惧しなければならないのは、倒閣運動の是非よりも、むしろ手段を択ばぬ二紙の報道姿勢の在り方です。


何故なら、今回二紙がとった行動は、マスコミの生命線ともいうべき「報道の自由」と、その大前提である憲法で保障された「国民の知る権利」を、二つの点で大きく損なったからです。


一つは、所謂「報道しない自由」なる詭弁を弄して「国民の知る権利」を大きく損なった点において、もう一つは、事実を在りのまま報道すべきマスコミの責任を大きく損なった点においてです。


◇報道する自由と責任◇


先ず、相対する発言の一方しか伝えない「報道しない自由」という詭弁を弄して、「国民の知る権利」を大きく損なった点についてですが、御承知のように、「報道する自由」は、憲法第21条の「国民の知る権利」を守る為に認められた権利と自由で、「報道する責任」と一体不可分のものです。


強大な国家権力、官僚機構が、自らに不都合な情報を隠避し、都合のよい情報だけを流すようになれば、国民の正しい判断は阻害され、権力機構の意のままに操られ、間違った方向に誘導される危険性が高まります。


戦時中、政府が、日本にとって都合のよい情報だけを国民に流し、不都合な情報は一切明らかにしなかったのがその好例で、マスコミも、政府の片棒を担ぐ役割を荷った事は周知の事実です。


このような過去の苦い経験から、憲法21条で「国民の知る権利」が保障され、知る権利を担保する為、マスコミに「報道する自由」が認められたのです。


「報道の自由」が認められた経緯を見れば明らかなように、国民が間違った方向に誘導されるのを未然に防ぐため、知り得る限りの情報を、在りのまま包み隠さず国民の前に示す事は、マスコミに課せられた重い責任であり、いかなる圧力や抵抗があっても守り通さなければならないマスコミの生命線と言っても過言ではないでしょう。


その意味で、「報道する自由」を託されたマスコミは、知り得る限りのあらゆる事実や情報を、賛否の如何を問わず、在りのまま包み隠さず国民に伝える「報道する責任」を国民に負っていると言っていいでしょう。


「報道する自由」が「報道する責任」と一体不可分の権利である事を考えれば、「報道する自由があるのだから、報道しない自由もあって当然だ」という奇妙な論理は、どこからも出てきません。


ましてや、「報道しない自由」が、報道する側のマスコミに不都合な情報を伝えない事を正当化する為の道具に利用されているとすれば由々しき事で、「国民の知る権利」を守る上で欠かせない「報道する責任」を、マスコミ自ら放棄したものと言わねばなりません。


問題なのは、朝日、毎日の二紙が、たとえ安倍政権の倒閣運動の為とは言え、「報道する責任」を自ら放棄し、国民の信頼を大きく裏切った事です。


そればかりか、マスコミ全体に対する信頼をも大きく損ねた点において、二紙の責任は重大と言わねばなりません。


不都合な事実を隠そうとする国家権力、官僚機構から、国民の知る権利を守る為に認められた「報道する自由」の旗手である筈のマスコミが、今や監視される権力機構と同じ立場に立つという前代未聞の珍事を、朝日、毎日の二紙は、我々国民の前で、見事に演じて見せてくれたのです。


◇報道しない自由の実体◇


「報道しない自由」と言えば、一見尤もらしく聞こえますが、その実体は、「国民に知らせたくない事実を知らせない偏向的自由」であり、「国民に知られては困る情報を伝えない隠匿の自由」に他なりません。


危惧するのは、国民に知らせたくない事実を知らせない「報道しない自由」を、国家権力側ではなく、国民から「報道する自由」を託されたマスコミ側が行使する時、その深刻さは、国家権力側が知らせない自由を行使する時の比ではないという事です。


何故なら、何も知らない国民は、今まで、自分たちの側に立っている筈のマスコミが、国民を騙し、不都合な事を隠す筈がないと、固く信じてきたからです。


皮肉にも、今回の加計学園問題での二紙の目に余る偏向報道は、マスコミといえども、国家権力と同様、否、それ以上に「国民に知らせたくない事実」を隠すのだという当たり前の事実を、国民の前にハッキリ露見させてくれたのですから、その意味では国民にとって幸いだったと言えるかも知れません。


今まで素朴にマスコミを信じてきた人々に、覚醒を促す一定の効果があった事は間違いないでしょう。


合掌


報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道(1)
報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道(2)

posted by カンロくん at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 法話