2018年12月12日

富士山の雄姿!

夕陽に映えて、薄っすらとピンク色に染まっています。
遠くから見ると綺麗ですが、この時期の富士山は、人を寄せ付けぬ厳しさを併せ持っています。


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2018年12月08日

境内の落ち葉掃除!

昨日の強風で、再び境内は落ち葉の山。
今日も、みんなで境内の落ち葉掃除です。


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綺麗になりました。


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2018年12月05日

心安らかに生きる為に(2)

◇豊かで幸せな人生を生きる権利◇


私たちの魂の故郷が極楽であり、その真の姿が仏の子であることが分かっても、すぐに四苦八苦の人生が消えて無くなる訳ではありません。


その証拠に、自分を取り巻く四苦八苦の状況は、まだ何も変わっていない筈です。


自分の正体が分かっただけで極楽へ帰れるなら、この世に苦しむ人は一人もいないでしょう。


自分の正体を知っても何も変わらないのであれば、何故、四苦八苦の人生を変えるには、自分の正体を知らなければいけないと言ったのか?


そうおっしゃる方もいるでしょうが、そう申し上げたのは、苦しみながら生きている今の姿は、決して私たちの本当の姿ではないことを知っていただきたかったからです。


世間には「自分は罪深い凡夫だから、苦しむのは仕方がない」と、最初から幸せになることを諦め、まるで苦しむために生まれてきたかのようにおっしゃるお方がいますが、苦しむために生まれてきた人間など一人もいません。


誰もが豊かで幸せな人生を生きる権利を有し、それを享受する為にこの世に生まれてきたのです。そして、その事を証明しているのが、私たちの正体が仏の子であるという事実なのです。


しかし、今の私たちは、仏の子として豊かで幸せな人生を生きる権利を有しているにも拘らず、様々な問題で悩み、苦しみ、些細なことに腹を立て、人を妬み、飽くなき欲望の追及に明け暮れるなど、とても仏の子とは思えない生き方をしています。


◇四苦八苦の原因―無知無明◇


何故、仏の子として豊かで幸せな人生を生きる権利を有している筈の私たちが、四苦八苦に翻弄されて生きなければならなくなったのでしょうか?


その原因を、お釈迦様は「無知無明(むちむみょう)」とおっしゃっておられます。


「無知」とは、文字通り智慧を失くした状態、「無明」とは、光(明かり)を失くした状態を指しますが、これを段階的に説いたのが、十二縁起(十二因縁)という教えです。


十二縁起(十二因縁)とは、仏の子であった私たちが、四苦八苦の人生に翻弄されるようになった原因を、「無明、行(ぎょう)、識(しき)、名色(みょうしき)、六処(ろくしょ)、触(そく)、受(じゅ)、愛(あい)、取(しゅ)、有(う)、生(しょう)、老死(ろうし)」の十二の段階に分けて説いたもので、これを見れば、最後に来る生老病死(四苦八苦)の原因が、無明から始まっていることが分かります。


十二縁起の中には、意味不明の言葉が並び、いかにも煩瑣で難しそうに見えますが、要するに、太陽に背を向ければ、目の前に自分の影しか見えなくなるように、魂の大御祖(おおみおや)であり、光そのものであるみ仏に背を向けてしまったために闇を作り、本来持っていた仏の光(悟りの智慧)を失くしてしまったことが、仏の子とは思えない生き方をしなければならなくなった根本原因なのです。


◇六道輪廻の廻り舞台◇


無知無明によって作り出される四苦八苦の人生を、大きく六つに分けたものが、六道(ろくどう)です。


六道とは、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道の六つの世界を指しますが、六道は、み仏(光)に背を向けた為に出現した自分の影(闇の世界)ですから、そこでは、自分以外に頼る者がいません。


その結果、必然的に欲望の充足だけが生きる目的となり、欲望を充足させるために、貪り、瞋り、妬みなど、様々な悪業を犯し、その報いを受けて四苦八苦と言われる様々な苦しみを受けなければならなくなったのです。


こうして、自らの手で六道の人生を作り苦しみ続けているのが、今の私たちですが、地獄道とは、あらゆる苦しみを味わう四苦八苦の極まった世界、餓鬼道とは、欲望の赴くままに、ありとあらゆるものを貪る欲しい惜しいの世界、畜生道とは、人を押しのけてでも自分の欲望を叶えようとする利己主義の世界、修羅道とは、欲望が満たされないために愚痴をこぼしたり、嫉妬の炎を燃やす世界を意味します。


六道の中でも、地獄道、餓鬼道、畜生の世界は、苦しみばかりの世界であるため、三悪道(さんなくどう)と呼ばれ、修羅道を加えて、四悪道(しあくどう)とも呼ばれています。


その上にはさらに、苦もあれば楽もある人間界と、楽ばかりで苦しみのない天上界がありますが、この二つの世界も、み仏に背を向けた為に出来た影の世界であることに変わりはなく、み仏に目を向けない限り、いつまでも欲望の充足に翻弄され続け、やがては四悪道の世界に堕ちていかなければなりません。


要するに、み仏に背を向けている限り、自分が作り出した六道の影は消滅せず、四苦八苦の人生は果てしなく続いていくのです。


菩薩様が、
 六つの道が 廻るから
   しあわせばかりと 思うなよ
   人生廻り 舞台なり

と詠っておられるように、六道は円の世界ですから、円の外に飛び出さない限り、終わりがなく、永遠に六道の人生を歩み続けなければなりません。


お釈迦様は、私たちが六道を作って生きる姿を、丸い輪の中を果てしなく廻り続ける鼠に譬えて、「六道輪廻(ろくどうりんね)」とおっしゃいましたが、昨日天上界に居たかと思えば、今日は地獄界、明日は畜生界というように、目まぐるしく住む世界が移り変わり、いつまで経っても心の安らぎが得られない姿は、まさに終わりなき六道輪廻の有様そのものと言っていいでしょう。


◇夢に譬えられる六道◇


六道の円の外に飛び出さない限り、四苦八苦の人生に終わりはないと申しましたが、六道は、み仏に背を向けたために出来た自分の影ですから、本来はどこにも存在しません。


つまり、本来どこにも存在しない影の世界を作って怯え、自らの手で自らの首を絞めているに過ぎないのです。まるで一人相撲をとっているようなものです。


この有様は、よく夢に譬えられます。


恐ろしい夢を見て、今にも襲われそうになる寸前、夢から目覚めて、ほっとした経験が、どなたにもあると思いますが、夢から目覚めれば、恐ろしい夢も、襲われそうになった夢も現実ではなかった事がすぐに分かります。


それと同じように、六道も、迷いの夢の中で作られた架空の世界に過ぎませんから、夢から目覚めさえすれば、一瞬にして消えてなくなり、そこにはもはや地獄も餓鬼も、畜生も天上界もありません。


しかし、夢を見続けている限り、本人には、実在する本物の世界としか思えませんから、幾ら迷いの夢の中で作られた架空の世界だと言われても、信じられないのです。


しかも、夢を見続けてきた期間が余りにも永いため、夢から目覚めるのは、そう簡単ではありません。


そこで、み仏は、何とか迷いの夢から目覚めさせたいと、あの手この手の方便を使って、私たちを目覚めさせようとして下さっているのです。


◇長者窮子の譬え◇


『法華経』というお経に、「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬え」と言われる話が出てきます。


ある日、村一番の長者の家に、一人の乞食が物乞いにやってきました。


長者が門の近くを通ると、人が言い争っている声がするので何事かと思い行ってみると、雇人が、物乞いにきた乞食を追い払おうとしているところでした。


長者が「どうしたのかね」と聞くと、「仕事の邪魔になるから、あちらへ行けと言っても、なかなか云うことを聞かないので、追い払おうとしていたところです」と言うので、その乞食をよく見ると、見覚えのある顔をしていました。


それもその筈です。その乞食は、幼くして行方知れずになっていた長者の息子だったのです。


息子の方は幼くして父と別れた為、よく覚えていませんが、長者はすぐにわが子と見抜き、親子の名乗りをしようとします。


しかし、乞食に身をやつしている息子は、「自分が、こんな立派なお屋敷の息子である筈がない。うまい事を言って私を家に引き入れ、物乞いに来た事を責めるつもりに違いない」と思い込み、中々長者の言う事を信じようとしません。


今の自分の身の上を考えれば、信じられないのも無理はありません。そこで長者は、一計を案じる事にしました。


「生活に困窮しているようだから、お前さえよければ、この屋敷で働いてみないかね。住む所も食べるものも与えよう」


そう言って引き留めると、息子は、「それは願ってもない事です。雇っていただけるなら、喜んで働かせて頂きます」と言って、長者の家で働く事になったのです。


やがて長者の家の生活にも馴れ、長者の片腕と言われるまでになった息子を見て、長者は改めて親子の名乗りをすることにしました。


息子の方も、ようやくこの家が自分の生まれ故郷であったことを思い出し、無事に長者の財産を相続する事が出来たというのが、長者窮子の譬えですが、この話に出てくる長者は、極楽で私たちの帰りを待っていて下さるみ仏を現し、乞食は、六道をさまよう今の私たちを現しています。


◇灯台下暗し◇


私たちも、長者の息子と同様、本来は仏の子であるにも拘らず、無知無明の心によって迷いの夢を見るようになり、自分の本当の姿を見失って、有りもしない六道の世界を作り、輪廻するようになったのです。


それ以来、自分の正体を知らぬまま、六道輪廻を繰り返してきたのですが、余りにも迷いの夢が長く続いたため、自分の本当の姿を忘れ、すっかり迷い多き凡夫だと思い込んでいるのです。


そんな私たちに、いきなり「お前は仏の子だ」と言われても、簡単に信じられるものではありません。


そこで、み仏は、まず私たちの欲を利用して信仰の道に導かんがため、「こちらの仏様を信仰すれば、こんな御利益を頂けますよ。あちらの仏様には、病気を治すお力がありますよ。子供も授かりますよ。商売も繁盛しますよ。色々な願い事を叶えてもらえますよ」と、あの手この手の方便を駆使して、仏の子であった頃の事を思い出させようとしておられるのです。


長者の息子が自分の本当の正体に目覚めるまで、長者の屋敷で召使として働いたように、み仏も、私たちが少しずつ自分の本当の姿を思い出せるよう、まず信仰の門に導き、目覚める機会を待っていて下さるのです。


私たちは、本来仏の子であり、御利益を求めなくても、すでに身に余るあらゆるご利益をいただいているのですが、自分の正体を忘れている為、中々そのことに気付かないのです。まさに「灯台下暗し」です。


仏教では、六道の夢を見て迷っている姿を凡夫と言い、夢から目覚めた姿を仏(覚者)と言いますが、殆どの人は、迷いの夢を見ている期間が余りにも長いため、自分の事を、すっかり罪深い凡夫だと思い込んでいます。


しかし、生まれつきの凡夫など一人もいません。


もし生まれつきの凡夫なら、仏になることは出来ませんし、いくらみ仏にすがっても極楽へは帰れません。元々仏の子だからこそ、仏になれるし、極楽へも帰れるのです。


乞食に身をやつした長者の子が、父親の財産を相続できたのは、元々長者の息子だったからです。


梅はどんなに頑張っても桜にはなれません。梅は梅にしかなれません。桜になれるのは、元々桜だからです。


それと同様、正真正銘の凡夫であれば、絶対に仏にはなれません。


本来仏の子であるにも拘らず、迷いの夢を見ているだけだからこそ、迷いの夢から目覚めれば、いつでも仏の子である元の自分に戻れるし、目覚めたその場所が極楽になるのです。


合掌



心安らかに生きる為に(1)
心安らかい生きる為に(2)
心安らかに生きる為に(3)
心安らかに生きる為に(4)
心安らかに生きる為に(5)
心安らかに生きる為に(6)
心安らかに生きる為に(7)

高野山法徳寺Website「救いの扉」

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2018年12月02日

恒例の落ち葉掃除!

周囲を木々の緑に囲まれている法徳寺にとって、この時期の贈り物と云えば、紅葉の後の落ち葉です。
ご覧のように、昨日吹いた北風に乗って、落ち葉が山のように積もりました。
自然に囲まれ、美味しい空気をいただき、四季折々の美しい景色を眺めながら生かされている以上、落ち葉は付き物です。文句を言っては罰が当たります。
今日も、家族みんなで、落ち葉掃除をさせていただきましょう。


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庫裏と客殿の前に積もった落ち葉は、ご覧のように、きれいに掃き終わりました。
ただいま休憩中。
これから夢殿や汗露臺の周囲に積もった落ち葉を集めます。
もうあと一息です。頑張りましょう。


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もちろん、掃き終わっても、これで終わりではありません。
周囲の木々には、まだ赤や黄色に紅葉した葉っぱがいっぱい付いていますから、強風が吹けばまた同じ光景に戻ります。年内いっぱいはこの状態が続きます。

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2018年11月30日

富士の雄姿とイロハ紅葉!

雪をいただいたいつもの雄姿ですが、夕陽を浴びて、薄っすらとオレンジ色に染まっています。


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境内の殆どのイロハ紅葉は散ってしまいましたが、入り口の一本だけがまだ散らずにがんばっているので、思わず写真におさめたくなりました。


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2018年11月27日

区長会視察研修!

今日は、須玉町区長会の視察研修ということで、北杜市の交流姉妹都市である東京都荒川区の複合施設「ゆいの森あらかわ」へ視察に行ってきました。
荒川区役所の担当者の方から、荒川区の取り組みについての説明を聞きながら、有意義な時間を過ごしました。
浅草寺近くの某所で昼食をすませた後、少し時間があったので、目と鼻の先にある浅草寺まで歩いてお参りに行ってきました。
浅草寺にお参りするのは初めてですが、さすがは有数の観光名所だけあって、海外からも大勢の外人さんが来ていました。
雷門から浅草寺へ続く参道の両側に立ち並ぶ仲見世も、大勢の人で賑わっていました。


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その後、バスで東京スカイツリーへ行き、地上350メートルの展望台へ上りました。
今回が初めてのスカイツリーですが、展望台から見た景色はまさに絶景でした。
展望台の床に作られた透明ガラス床から下界を見た時は、足がすくみました。
写真では余り迫力がありませんが、高所恐怖症の方は、やめた方がいいです(笑)


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2018年11月21日

11月のご縁日!

今年もいよいよ、あと一か月余りとなりました。
今日は、今年11回目の御縁日となりますが、振り返ってみれば、あっという間の一年でした。
今日も遠くからようこそお帰り下さいました。
今日は、「残心」と題してお話しさせていただきましたが、皆さん、熱心に聞いて下さいました。
過去に同じような体験をされた方もおられましたが、やはり目つきが違いますね。
来月は今年最後のご縁日ですが、道中お気を付けてお越し下さい。


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2018年11月15日

心安らかに生きる為に(1)

◇今も変わらぬ四苦八苦の人生◇


厚生労働省が発表した平成28年度の人口動態統計によれば、日本人の平均寿命は、男性が80.98歳、女性が87.14歳となり、男女とも過去最高を更新し、国別では、香港に次いで世界第二位の長寿国となっています。


また平成29年9月15日(老人の日)現在、百歳以上の高齢者が全国で6万7824人を数え、この数字も、四十七年間連続して増え続けています。


平成29年度中に百歳になる人は、過去最多の3万2097人と見られ、今や人生は八十年時代から、百年時代に移行しつつあると言っても過言ではないでしょう。


そんな長寿社会に生きる私たちですが、何年寿命が延びようと変わらないことが二つあります。


一つ目は、お釈迦様が説かれた四苦八苦の人生が、今も私たちの目の前に厳然と立ちはだかっているという事実です。


四苦八苦とは、生老病死(しょうろうびょうし)の四苦に、愛別離苦(あいべつりく・愛する人と別れなければならない苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく・会いたくない人と会わなければならない苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく・求めても思うように得られない苦しみ)、五陰盛苦(ごおんじょうく・様々な欲望に縛られて生きなければならない苦しみ)の四苦を加えたものですが、医学が目覚ましい進歩を遂げ、かつて不可能と言われていた治療が可能となり、私たちの寿命が飛躍的に延びたとしても、四苦八苦の人生に翻弄されている人間の在り方そのものは、何も変わっていないのです。


病院へ行けば、様々な病いに苦しむ大勢の人々が長蛇の列を作っています。また逆走やアクセルとブレーキの踏み間違いなど、高齢者の運転ミスによる交通事故も年々増加しています。


更に認知症によって引き起こされる様々な問題、介護に携わる人材不足や介護士による高齢者虐待の問題、老々介護にまつわる問題など、超高齢化社会をむかえて避ける事の出来ない難問が、次々と噴出してきています。


目に見える現象界だけを見れば、お釈迦様の時代には想像もできなかった夢のような時代が到来しているにも拘らず、四苦八苦に翻弄されている人間の在り方そのものは、お釈迦様の時代と何も変わっていないのが現実なのです。


それどころか、日々の暮らしが豊かになった分、その反動で、心にのしかかる四苦八苦の重圧は、益々大きくなっていると言っていいでしょう。


寿命が何年延びようと変わらない二つ目は、私たちが生きられるのは、今という時しかないという事実です。


明日も明後日も、一年後も十年後も間違いなくやってきますが、過ぎ去った過去は無論のこと、まだ来ていない未来を生きることも出来ません。


私たちが生きられるのは、明日になっても明日の今、明後日になっても明後日の今だけです。一年後になっても十年後になっても、一年後、十年後の今しか生きられないのです


その今という時の流れの中で、様々な問題に悩み、苦しみ、四苦八苦に翻弄されながら生きているのが今の私たちですが、どうすれば、このような状況を変え、四苦八苦に翻弄されない確固たる人生を築くことが出来るでしょうか?


◇自己の正体を知る◇


その為には、まず自己の正体(自分の本当の姿)を知らなければなりません。


お大師様が、『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』の中で、
 生まれ生まれ生まれ生まれて
   生のはじめに暗
 死に死に死に死んで
   死の終わりに暗し

と説いておられるように、私たちは、遙かなる永遠の昔より、様々な生き物に姿かたちを変えながら、流転生死を繰り返してきました。


しかし、この世に生まれる前、私たちは何処に居たのか、何処から来て、何処へ帰って行くのか、自分の本当の故郷は何処なのか、自分は一体何者なのか、誰もその正体を知りません。


自己の正体を知らぬまま、争い、憎しみ、傷つけ合い、かけがえのない人生を四苦八苦に翻弄されながら生きているのが今の私たちですが、今の姿が在るべき本来の姿では決してありません。


人間とは、本来もっと豊かで尊い存在なのです。にも拘らず、今のような四苦八苦の人生を生きなければならなくなったのには、原因があります。


ご承知のように、この世に幸せを願わない人は一人もいません。ところが、万人が幸せを願っているにも拘らず、世の中を見れば、不幸に泣いている人が大勢います。


誰もが幸せを願っているのに何故幸せになれないのか?


先日、地元の老人クラブの皆さんに法話をさせて頂いた時、次のような質問をしました。


「皆さんは、地獄と極楽と、どちらへ往きたいですか?」


こう尋ねたところ、全員の方から、「極楽へ往きたいです」という答えが返ってきました。「地獄へ行きたい」と答える天邪鬼な人が一人や二人くらいは居るのではないかと期待したのですが、期待は見事に裏切られました。


どんな質問をしても、普通は必ず異なる意見が出てきて、賛成と反対に分かれるものですが、この質問に限っては、全員の方から「極楽へ往きたい」という答えが返ってきたのです。


誰に尋ねても、返ってくる答えはいつも同じです。


不思議と言えば不思議ですが、実はこの答えの中に、私たちの正体を知る手がかりが隠されているのです。


◇帰巣本能が教える自己の正体◇


皆さんは、「帰巣本能」という言葉をご存じでしょうか?


帰巣本能とは、自分が生まれた巣(故郷)に帰ろうとする本能ですが、この帰巣本能を利用して、電話やインターネットがなかった時代に、有力な通信手段の一つとして活用されたのが、伝書鳩です。


伝書鳩は、どんなに遠くから放しても、必ず自分の巣に戻ってくるという帰巣本能を具えているため、通信手段として大いに活躍したのですが、「地獄と極楽のどちらへ往きたいですか?」という質問に全員が極楽と答えるのは、この帰巣本能が働いているからです。


もし地獄が帰るべき生まれ故郷なら、帰巣本能が働いて、全員が地獄に行きたいと答える筈ですが、地獄へ行きたいと答える人が一人もいないのは、地獄が生まれ故郷(帰るべき巣)ではないからです。


アリクイと言う動物がいますが、このアリクイは、名前の通り、蟻を食べて生きています。もしこの世に蟻が一匹もいなければ、アリクイは生きていけません。


ですから、蟻を食べたいと言う本能を与えられたアリクイがこの世に生まれて来る為には、同時に、蟻と言う生物がこの地上に生存していなければなりません。


蟻を食べたいという本能を与えられながら、求める蟻が存在しない世界に、アリクイが生まれてくる事はあり得ません。


それと同じように、私たちに帰るべき巣(極楽)が用意されていなければ、「極楽へ往きたい」という帰巣本能が与えられる事は絶対にありません。それでは、人間はただ苦しむ存在としてしか生きて行く事が出来なくなるからです。


私たち全員に、極楽へ往きたいと願う心(帰巣本能)が与えられているのは、既に極楽という巣(故郷)が用意されているからであり、地獄へ行きたいと願う心を持つ人が一人もいないのは、地獄などという巣は、どこにも存在しないからです。


◇極楽を故郷とする仏の子◇


もうお分かりのように、私たちには、二つの故郷があります。一つは肉身の故郷、もう一つは、極楽と名付けられた魂の故郷です。


肉身の故郷は、母親のお腹を借りて、この世に産声を上げたところですから、百人いれば百ヵ所の故郷があります。


しかし、魂の故郷は、過去世、現在世、未来世を通じて、誰もが帰るべき唯一無二の故郷ですから、一つしかありません。


肉身の故郷は、人間として生きている間の仮の故郷に過ぎませんが、魂の故郷である極楽は、魂が帰るべき悠久の故郷ですから、消えて無くなることもありません。


お大師様が、
 阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて
   また立ちかえる 阿字のふるさと

と詠っておられる「阿字のふるさと」も、菩薩様が、
 生れ出た ふるさと今はなけれども
   高野山(たかの)の奥こそ われがふるさと
 肉身の 生まれし故郷はなけれども
   わが魂は 高野山(たかの)の奥に

と詠っておられる「高野山の奥」も、私たちの帰るべき魂の故郷(極楽)を現しています。


涅槃経に、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」(すべての衆生は悉く仏性を有している)と説かれている事からも明らかなように、私たちの真の姿(本性)が、地獄を故郷とする悪魔の子ではなく、極楽を故郷とする仏の子(阿字の子)である事は、もはや疑う余地がありません。


合掌



心安らかに生きる為に(1)
心安らかい生きる為に(2)
心安らかに生きる為に(3)
心安らかに生きる為に(4)
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心安らかに生きる為に(7)


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2018年11月10日

暖かい霧の朝!

今朝の法徳寺は、深い霧に包まれました。
暖冬の影響でしょうか、季節外れの暖かさが続いています。
この暖かさが続くようだと、今年は、山梨特産の干し柿(枯露柿)の出来が余りよくないかも知れません。枯露柿の生産者は心配でしょう。
寒い季節は、やはり寒くないと駄目ですね。


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2018年11月07日

晩秋のいろは紅葉!

境内の桜は、すっかり落葉して冬支度に入っていますが、いろは紅葉は、今を盛りと、真っ赤に紅葉しています。
紅葉した紅葉が散り始めると、いよいよ冬本番です。


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2018年10月22日

雪に覆われた富士山!

富士山の頂きも、すっかり雪に覆われました。
山梨にも寒い冬がやってきますが、美しい富士の雄姿が見えるのも、冬ならではの楽しみの一つです。


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2018年10月20日

秋の大法要!

本日は、快晴の中、ご縁の皆様にお帰りいただき、秋の大法要を厳修させて頂きました。
法舟菩薩様のお誕生日である十月二十日に、秋の大法要を厳修させて頂くようになったのは、平成十年からですので、今年で二十周年を迎える事になります。
まさに「光陰矢の如し」の言葉通り、あっという間の二十年でしたが、お元気であれば、今日で九十九歳の白寿を迎えられます。
お目出たい一日ですので、今日は、菩薩様の御生涯を振り返りながら、「己が心の清き御姿」と題してお話をさせて頂きました。
来月もまた皆様お揃いでお帰り下さいますよう、お待ちしております。
合掌


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2018年10月03日

ヤマザクラと合歓の木の伐採!

午後1時過ぎ、棟梁が木の伐採に来てくれたので、私も手伝いながら、何とか4時半過ぎに終わりました。。
滑車とワイヤーを使って、庫裏の方に倒れないように注意しながらの伐採でしたが、予想通り、かなりの重労働でした。
もうやりたくありませんね(笑)


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2018年10月02日

思わぬお計らい!

昨日に続き、倒れたヤマザクラの後片付けと、残ったヤマザクラ、そして庫裏の方に倒れそうになっている合歓の木の伐採を始めたところ、長年使っているチェンソーの刃が余り切れなくなったので、そろそろ替え時かと思い、チェンソーの替え刃を買いにいってもらった。
帰ってくるまで、とりあえず合歓の木を伐採していたところ、汗露臺や帰郷庵の施工をしていただいた地元の棟梁が、「今朝採ってきたので、お供えしておいて下さい」と言って、見事なマッタケを持ってきて下さった。


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早速、菩薩様にお供えさせていただいた後、台風24号で倒れたヤマザクラを見てもらった。
残ったヤマザクラと合歓の木を切るところだと話したら、「素人が切ると思わぬ事故に巻き込まれる恐れがあるから、注意した方がいいですよ。チェンソーで切る前に、倒したい方向に受け口を作っておかないと、思ったように倒れないし、自分の方に倒れてきた倒木の下敷きになって亡くなる人もいるから、くれぐれも注意して下さい」と言われた。
斜面を降りて、ヤマザクラの根元まで行くと、見るに見かねたのか、棟梁が、「今日は仕事があるから無理ですが、もし明日でもよければ、切ってあげますよ」と言って下さった。
今日突然、棟梁がお寺に来られたのも、ただの偶然とは思えず、何らかの理由があってのお計らいに違いないと直感し、お願いする事にした。
切り方も知らない素人の私がこのまま作業を続けていたら、思わぬ事故に巻き込まれていたかも知れない。
思えば、昨日、倒れたヤマザクラの処理で体力を使い果たし、疲れが残っている状態で、残ったヤマザクラと合歓の木を伐採しようとしていたのだが、恐らく、菩薩様は、このままでは大きな事故につながる恐れがある事を見通されたのであろう。
だから、まずチェンソーの刃を切れなくさせて作業を中断させ、更にマッタケという方便を使って棟梁を寺に呼び寄せ、私の作業を止めて下さったのである。
拙い伐採作業を見るに見かねたのは、棟梁ではなく、菩薩さまだったのである。
改めて、守られている身の有り難さを、身に染みて感じた一日であった。
合掌

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2018年10月01日

台風24号の被害!

超大型の台風24号が日本列島を縦断して、各地に大きな被害をもたらしましたが、昨夜は、山梨も暴風雨が吹き荒れました。
今朝、被害状況を見ると、西側斜面にあるヤマザクラの大木が、根元から裂け、庫裏の屋根に倒れていました。


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周囲の山林でも、枯れた松が何本も倒れていましたから、超大型の台風だったことが分かります。
倒れた時の衝撃の大きさは分かりませんが、屋根瓦の一部が割れただけで済んだのは不幸中の幸いでした。
シラカシの垣根と、積んである土嚢が緩衝帯の役目をして、衝撃を和らげてくれたのかも知れません。


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早速、倒れたヤマザクラをチェンソーで少しずつ切りながら、午前中いっぱい、台風の後片付けに追われました。
今日はここまでが限度です。
「余り無理をしないで」と言われますが、無理をしないと、とても出来ません(笑)。
明日また、老体に鞭を打ってこの続きをします。


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2018年09月23日

境内に漂う金木犀の香り!

お彼岸に咲く花と言えば、彼岸花がすぐ頭に浮かびますが、木犀もこの時期に無くてはならない花です。
つい先日まで、まだ白かったのに、いつの間にかすっかりオレンジ色に染まっています。
近くを通ると、風に乗って甘い香りが漂ってきます。
何とも言えないですね。この香り!


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2018年09月21日

秋の彼岸法要!

今日は、朝から生憎の雨模様でしたが、午前9時半より、帰郷庵において、秋の彼岸法要を厳修させていただきました。
不思議な事に、彼岸法要開始時刻になると雨も止み、傘をさす事もなく、無事に法要を終えることが出来ました。
10時からは、いつものように、場所を昇龍閣に移して御祈祷、法話を行い、午後から聖歌をご奉納させていただきました。
来月20日は、いよいよ秋の大法要です。是非皆様、お揃いでお気を付けてお帰り下さい。
南無大師遍照金剛
南無普門法舟大菩薩
合掌


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2018年09月17日

秋の訪れを告げる彼岸花!

境内の一角で、紅白の彼岸花が咲き誇り、秋の訪れを告げています。
赤い彼岸花に混じって咲く2本の白い彼岸花!
多勢に無勢ですが、中々頑張って咲いています。


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2018年08月21日

暑い八月のご縁日!

本日は暑い中をようこそお帰り下さいました。
お陰様で、八月のご縁日法要も無事に終わりました。
さて今日は、甲子園球場で夏の高校野球の決勝戦が行われ、大阪桐蔭高校が二回目の春夏連覇を達成しました。
また公立高校でありながら決勝戦まで勝ち上がり、地元の秋田のみならず全国で一大フィーバーを巻き起こした金足農業高校の選手にも、惜しみない拍手が送られていました。
地元の山梨学院高校は残念ながら一回戦で敗退しましたが、来年の再挑戦を期待したいものです。
法徳寺の暑い夏もようやくピークを過ぎ、朝夕は少しずつ秋の気配を感じさせる涼しさが戻りつつあります。
来月のご縁日は、彼岸法要と御縁日法要を兼ねて、9時半から執り行いたいと思います。
また来月も皆様のお帰りを心よりお待ちしております。
合掌


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2018年07月29日

台風一過の空に虹が!

台風一過の東の空に、虹の架け橋がかかりました。
ダブルレインボーでないのが残念ですが…


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