2018年01月12日

足跡その2

信仰に入る前の足跡その2です。



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2018年01月11日

足跡その1

信仰に入る前の足跡の一つ!
懐かしい曲です。



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2018年01月01日

新年明けましておめでとうございます!

新年明けましておめでとうございます。
今年も皆様のお帰りをお待ち申し上げております。


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標高600mの高野山法徳寺から撮った2018年元旦の初日の出です。


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2017年12月31日

迎春準備!

最近は、数万円もするお節料理がよく売れているそうですが、わが家では、毎年、手作りのお節料理を作っていただきます。
これぞ、正真正銘のおふくろの味です。


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迎春準備もようやく終わりました。
穏やかな新年であるといいですね。


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今年も色々有り難うございました。
来年も宜しくお願い致します。

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2017年12月29日

正月用の餅つき!

今日は、毎年恒例の正月用の御餅つき。
家内をはじめ、女性陣が毎年、頑張ってくれています。
昔は、どこの家でも、臼と杵を使って搗いていましたが、今は電気餅つき機という便利な助っ人がいるので、助かります。


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「何故、9(苦)の付く29日に御餅つきをするのか、「苦餅」になるじゃないか、縁起でもない?」
そう思われたお方もおられるでしょうね。
でも、そうとも限りませんよ(^-^)
http://www.takanoyama-houtokuji.com/6,houwa/houwa/105.html


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北日本や日本海側は、大雪に見舞われて大変なようですが、山梨は、雪も風もなく、穏やかな快晴の空が広がっています。
甲斐駒も綺麗に見えております。


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2017年12月21日

納め大師法要!

今日は、本年最後の御縁日、納め大師でした。
法縁の皆様には、お揃いで遠路はるばるお帰りいただき、有り難うございました。
お陰様で、本年最後の納め大師法要を無事厳修させていただく事が出来ました。
この場を借り、改めて厚く御礼申し上げます。
法徳寺開創13年目に当たる今年は、お稲荷様を勧請させていただくなど、大きな節目と年となりました。
来る年がどのような一年になるか分かりませんが、皆様にとりまして幸多き一年となりますよう、お祈り申し上げます。
また初大師には、お揃いでお帰り下さいますよう、心よりお待ち申し上げております。


合掌


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2017年12月20日

今朝の甲斐駒!

今朝の甲斐駒と鳳凰三山です。

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2017年12月11日

山の団十郎!

法徳寺から望む今朝の南アルプスと甲斐駒の雄姿です。
駒ヶ岳と呼ばれる山は全国に18ほどあるそうですが、その中で最も高いのが、標高2967メートルの甲斐駒ヶ岳です。
作家の宇野浩二は、甲斐駒を「山の団十郎」と評していますが、そそり立つ山肌を見ていると、確かに荒事を得意とする団十郎らしい山ですね。


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2017年12月10日

掃けども掃けども…!

石川啄木が作った
 働けど働けど猶わが生活楽にならざり
 ぢっと手を見る
という短歌ではありませんが…。
 掃けども掃けども猶落ち葉は無くならじ
 ぢっと地を見る
そんな心境です(笑)


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2017年12月09日

北杜市市制施行13周年記念式典!

今日午前9時から、八ヶ岳やまびこホールにおいて、「北杜市市制施行13周年記念式典」が開催されたので、区長として参列してきました。


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式典終了後、姉妹都市である韓国・抱川(ポチョン)市の市立芸術団による韓国舞踊の披露がありました。
大きな扇を使って舞う「扇の舞」と、小鼓を打ち鳴らしながら舞う「小鼓プリ」が披露され、式典に花を添えてくれました。
中々華やかでよかったです。


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舞踊終了後、隣りの韮崎市出身で、今年のノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智・北里大学特別栄誉教授の記念講演がありました。
「私の半世紀」と題して、幼い頃からの成長過程で出会った様々な人々から学んだ教訓やエピソードを交えながら、面白おかしく話をして下さいました。
子を持つ親として考えさせられる事も多々あり、特に「子供をダメにしたければ、子供のいう事を何でも聞いて、叶えてあげればいい」という言葉は、強く印象に残りました。


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2017年12月07日

恒例の落ち葉掃除!

今朝から、家族みんなで恒例の落ち葉掃除をしました。
今年で何度目になるでしょうか?
もう思い出せません(笑)
寒い中での作業なので、汗が流れる事はありませんが、大変な作業である事に変わりはありません。
老体に鞭を打って頑張っていますが、落ち葉も大自然からの贈り物の一つですから、有り難くお掃除させて頂いております。


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2017年12月05日

今日の富士山です!

今日4時過ぎの富士山ですが、見るからに寒そうです。


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2017年11月29日

人間の生死とは!

◇生き方の違い◇


誰もがみな限りある命を生きている事に変わりはありませんが、その生き方は人によって様々で、百人百様の生き方があると言っていいでしょう。


しかし、今年(平成29年)6月、神奈川県内の東名高速道路で、注意された事に腹を立て、進路を妨害したり、追い越し車線上に車を止めさせて、後方から来たトラックとの追突事故を引き起こし、ワゴン車の夫婦を事故死させ、同乗していた二人の娘にも怪我を負わせたとして、25歳になる福岡県在住の建設作業員の男が逮捕されましたが、そんな生き方しか出来ない人もいます。


また今年8月から10月にかけて、神奈川県座間市のアパートの一室で、男女9人を次々と殺害し、遺体をバラバラにして遺棄したとして、27歳の男が逮捕されましたが、僅か27年の短い生涯の中で残した愚かな爪痕は、死によっても帳消しにはならず、自らの業因縁として次の世へ相続し、償いをしなければならない事を考えると、末恐ろしい気がいたします。


与えられた命をどのように生きるかは個人の自由ですが、この二人の生き方は、反面教師にこそなれ、生き方のよき手本となりえない事だけは間違いないでしょう。


私たちがお手本とすべきは、やはりお釈迦様や、お大師様、菩薩様のように、お悟りを開かれたお方の生き方です。


お釈迦様は2500年余り前に亡くなられ、お大師様も1000年以上昔のお方です。菩薩様は、大正、昭和の時代を生きられたお方ですが、御入定されてからすでに四半世紀余りが経過しました。


お釈迦様もお大師様も菩薩様も、限られた人生を生きられた点においては、逮捕された二人の男と何ら変わりありませんが、その生き方は根本的に違います。


逮捕された男たちの生き方は、誰の共感も得られないのに対し、お釈迦様やお大師様、菩薩様の生き方は、いまも多くの人々に感銘を与え、生きるお手本となっているからです。


◇人間の生死とは◇


肉体には限りがありますが、人間は、たとえ肉体が無くなっても、その生き方次第で、生きもすれば死にもする事を忘れてはなりません。


お釈迦様やお大師様、菩薩様は、肉体なき後もまだ生き続けておられますが、逮捕された男たちは、たとえ肉体はあっても、すでに死んでいると言っていいでしょう。


肉体だけを見れば、逮捕された男たちはまだ生きているように見えますが、注意された事に腹を立て、人に嫌がらせをし、その挙句に事故死させたり、無差別に9人もの若者を殺害して恐れを感じないその心は、もはや死んでいると言わねばなりません。


それに対し、お釈迦様やお大師様、菩薩様はどうかと言えば、インド各地の仏跡を訪ねると、「お釈迦様、お釈迦様」と言ってそのお徳を慕う多くの仏教徒の姿を見る事が出来ますし、紀州高野山や四国八十八ヶ所霊場へ行けば、お大師様の足跡を辿る多くのお遍路さんが列をなしています。


このように、お釈迦様やお大師様、菩薩様と、二人の男たちの生き方の違いを見れば、人間の生死とは何かがよく分かります。


◇誰も永遠には生きられない◇


お釈迦様やお大師様、菩薩様が今も生き続けておられる事は間違いありませんが、一体何が今も生き続けているのでしょうか?


菩薩様の『道歌集』の中に、
 肉身の 生死を見るは愚かなり
   心の生死を 生死とぞいう


と詠われているように、肉体亡き後も、お釈迦様やお大師様、菩薩様が生きておられるのは、限りある人生の中で、永遠に通じる普遍的な生き方をされたからです。


つまり、その生き様が、いつの時代の人々にも感銘を与え、いまなお多くの人々の心を照らし、魂を救済し続けているからです。


勿論、お釈迦様やお大師様や菩薩様といえども、限りある肉体を、永遠に生かし、養う事は出来ません。


にも拘らず、肉体亡き後も生き続けておられるのは、今も「永遠を」生きておられるからです。


「永遠に生きる」と「永遠を生きる」とでは、何が違うのでしょうか?


「永遠に生きる」とは、百年後も千年後も生きたいという、未来に視点を置いた生き方で、生きる時間の長さだけを見据えた生き方と言っていいでしょうが、この生き方を願ったのが、秦の始皇帝です。


秦の始皇帝は、これから何十年も何百年も生き続けたいと願い、徐福という道士を東方の蓬莱国(ほうらいこく)に派遣し、不老不死の妙薬を探させました。


蓬莱国とは日本の事だと言われていますが、徐福には、そんな妙薬がない事など最初から分かっていました。しかし、始皇帝の前で、不老不死の妙薬など無いとは言えず、止む無く旅立たったのです。


帰れば殺されるか厳罰を受ける事が分かっていましたから、帰りたくても帰れなかった徐福が何とも哀れでなりませんが、限りある肉体を持つ以上、永遠に生きられる者など一人もいません。この地球も、永遠たりえず、必ず最期の時がやって来ます。要するに、誰も永遠には生きられないのです。


◇「永遠を生きる」とは◇


しかし、「永遠に生きる」事は出来なくても、「永遠を生きる」事は、誰にでも出来ます。


「永遠を生きる」とは、限りある人生の中で、「私もこういう生き方がしたい」と、誰もが願う永遠に通じる普遍的な生き方をする事です。


この生き方をされたのが、お釈迦様ですが、この生き方の特徴は、未来を見つめ、生きる時間の長さだけを求める「永遠に生きる」生き方とは違い、今を如何に生きるかという一点を見据えている点です。


しかも、「永遠を生きる」のは、明日でも明後日でも一年後でも十年後でもなく、今しか出来ません。


お釈迦様は二千五百年前に仏教を開かれましたが、もしお釈迦様の生き方や教えが、当時のインドの人々にしか通用しない生き方であれば、仏教は残っていませんし、日本にも伝えられていません。


お釈迦様の生き方が、現代の私たちが聞いても感銘を受け、共感出来る生き方であり、永遠に通じる普遍的な生き方だったからこそ、今も多くの人々から、「お釈迦様、お釈迦様」と慕われ続けているのです。


それは、お大師様や菩薩様も同じで、お大師様は六十二年間のご生涯を通し、菩薩様は七十一年間のご生涯を通して、永遠に通じる普遍的な生き方をされました。


その生き方は、百年後になっても、千年後になっても、未来永劫変わりません。


どの時代に生きる人々にも、共感出来る生き方であり、永遠に通じる普遍的な生き方ですから、変わろう筈がありません。


◇花の心を助くるという◇


『道歌集』に、
 み仏は 花の散るのは助けねど
   花の心を 助くるという

という道歌があります。


花の命の火が燃え尽きるのを止める事は出来ないけれども、花の心を助ける事は出来るという意味ですが、花は、傷ついた人々の心を癒し、人生に潤いや喜びや希望を与えてくれます。


花の生き様は、まさに永遠に通じる普遍的な生き方であり、仏そのもの(花仏)と言っていいでしょう。


菩薩様が作られた御法歌『無常教える花仏』の三番に、
 いのち短き 桜の花も
 可愛い笑顔に 薄化粧
   晴れの振袖 人世に見せて
   咲けと教える花仏 花仏

と詠われているように、振袖を着て微笑んでいるかのように見える淡いピンク色の桜の花びらは、僅か一週間ほどの短い命です。


しかし、その僅かな間にも、微笑みながら、「皆さんも、私と同じように、美しい花を咲かせ、多くの人々の心に喜びと潤いを与えて下さいね」と、声なき声で、私たちの歩むべき道を教えてくれているのです。


その生き方を私たちも見習い、人々の心に潤いを与える生き方が出来れば、たとえ桜の花は散っても、その心は私たちと共に生きている事になり、それがひいては「花の心を助くる」事になるのです。


◇蜘蛛の糸◇


芥川龍之介の短編小説に、『蜘蛛の糸』という小説があります。



或る時、極楽の蓮池のほとりを歩いておられたお釈迦様が、蓮の葉の間から地獄の有様をご覧になると、地獄の底の方でカンダタという男がもがき苦しんでいました。
このカンダタは、様々な罪を犯した極悪人でしたが、道端をはってゆく小さな蜘蛛の命を助けた事があり、お釈迦様は、その功徳に報い、極楽の蜘蛛の糸をカンダタの頭上に下ろされました。
カンダタがふと上方を見上げると、銀色に光り輝く蜘蛛の糸がゆらりゆらりと下りてきました。
「これはシメた!」とばかりに、カンダタは、さっそくその糸を上り始めましたが、途中でふと下の方を見ると、地獄へ堕ちた大勢の亡者たちが、その蜘蛛の糸につかまって、カンダタの後から次々と上ってきたのです。
それを見たカンダタは、蜘蛛の糸が切れたら大変だとばかり、「この蜘蛛の糸は俺のものだ。誰の許しを得て上ってくるのだ。みんな早く下りろ」と叫びました。そして、すぐ下にいた男の頭を蹴飛ばした瞬間、蜘蛛の糸は、カンダタの手元でプツリと切れ、あっという間に、蜘蛛の糸もろとも地獄の底へ真ッ逆さまに堕ちてゆきました。
その一部始終をご覧になっておられたお釈迦様は、わが身の事しか考えないカンダタの心根を哀れに思われたのでした。


◇いま為すべき事は何か◇


カンダタのいる場所が現在、上っていこうとしている上方が未来、上ってきた下方が過去です。


カンダタは、蜘蛛の糸をたどりながら上っていく途中で、ふと下(過去)を見たのですが、カンダタが見なければならなかったのは過去でも未来でもなく、今(現在)であり、今だけを見て永遠に通じる普遍的な生き方をすればよかったのです。


永遠に通じる普遍的な生き方とは、下から上って来た人たちも一緒に、極楽へ導いてあげるという事です。


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自分だけ助かりたいという思いで、すぐ下の男の頭を蹴った為に、再び地獄へ堕ちていったのですが、それは、カンダタの行動が、永遠に通じる生き方ではなかったからです。


カンダタが見なければいけなかったのは、過去でも未来でもなく、今自分が何をしなければいけないかという事であり、今だけを見て、永遠に通じる生き方をしていれば、自ずと未来は開け、地獄で苦しむ多くの人々と共に極楽へ行けたのです。


逮捕された二人の男たちの生き方は、まさにカンダタと同じ生き方と言っていいでしょうが、自分さえよければいいという利己的、刹那的な生き方の先に待っているのは、奈落の底でしかありません。


彼らにも救いの道がない訳ではありませんが、救われる為には、先ず根底からその生き方を変える以外に道はありません。


合掌


高野山法徳寺Website

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2017年11月28日

今夕の富士山!

夕日を浴びて、薄っすらとオレンジ色に染まりつつある今夕の富士山。
いつ見ても、その雄大さに圧倒されます。


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2017年11月21日

11月の法要!

今日は、高野山法徳寺の今年11回目の御縁日ですが、いつもの如く、法縁の皆様にお帰り頂き、無事報恩法要を厳修させていただく事が出来ました。
法要の後、1時間余りの法話をさせていただき、お昼からは、聖歌ご奉納、そして自由に体験談などを語り合う法座があり、無事一日の日程を終了いたしました。
今年もあとひと月余りを残すだけとなりましたが、来月はいよいよ今年最後の納め大師。
しっかりと今年一年間の納めをしていただけますように…。
関係者一同、皆様のお帰りを、心よりお待ち申し上げております。

合掌


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2017年11月18日

稲荷大明神勧請(7)

◇勧請までの経緯◇


六回に亘って、天(伏見稲荷大社)と地(紀州高野山)から、稲荷大明神様を勧請させていただいた経緯をお話してきましたが、この体験を通して皆さんにお伝えしたかった事が、もう一つあります。


それは、「今まで見えなかった神仏(真理)の世界が観えて来た時の感動」についてです。


改めて今回のお計らいを振り返ってみますと、事の発端は、高野山法徳寺が開創十三年目を迎えて間もない今年(平成二十九年)四月十六日、境内に薄汚れたスリッパが数足落ちているのを発見した事でした。


その日から五月八日までの二十三日間、ほぼ毎日のように、ゴミとして捨てられていたと思われるスリッパや靴、スニーカー、長靴など足に関係するものが、境内の各所に散乱していました。


やがてその犯人が、境内の東側の土手で子育てをしている親狐と五匹の子狐である可能性が高まり、更に狐が運んできたであろうと思われる鹿の角と足の一部が、境内や土手で相次いで発見されるなど、今までなかった出来事が相次いだ事から、ただの偶然とは思えず、「これは、天(神)と地(仏)に足を運べというお大師様、菩薩様のお指図に違いない」と悟らせていただきました。


最初にスリッパを発見してから九日後の四月二十四日、母が高野山に居る夢を見たので、先ず地(仏)である紀州高野山へ開創十三年目のお礼参りに行かせていただくつもりでしたが、「天地が逆になる事は避けよ」とのお指図をいただいた為、先に天(神)である伏見稲荷大社にお参りさせていただく事にしました。


ところが、お参りする前日の五月十二日、神戸市内にある寺院の住職をしている知り合いのU氏が、何の前触れもなく突然、法徳寺へ来られたのです。


聞けば、習っている剣術の稽古が甲府であったため、前日甲府市内で一泊され、神戸に帰る道すがら、法徳寺へ立ち寄って下さったとの事でしたが、U氏の訪問が、伏見稲荷大社へお参りする前日であった為、「お大師様、菩薩様が、何か必要があって、U氏を立ち寄らせたに違いない」と直感しました。


清里のレストランで一緒に食事をしながら、明日伏見稲荷へお参りする予定である旨を告げると、U氏が「折角伏見稲荷へお参りされるのですから、お稲荷様を勧請して来られたらどうですか!」と言ったので、「彼を法徳寺へ立ち寄らせたのは、この事を伝えさせる為だったのだ」と確信しました。


お計らいはその後も続き、翌五月十三日、家族みんなで伏見稲荷大社へ参拝し、無事に勧請を終え、その足で山梨へ帰るつもりでしたが、一緒に行った子供が、駅前の京都タワーの地下にあるお店に行きたいというので、予定を変更して、京都駅の南側にある「イオンモール京都」へ立ち寄る事になりました。


その時はただの寄り道と思っていましたが、山梨へ帰って暫くしてから、この寄り道は、勧請したお稲荷様に、「イオンモール京都」の真向かいにある「伏見稲荷大社御旅所」へ立ち寄っていただく為のお計らいであり、寄り道をしなければ勧請は完了していなかった事を悟らせていただきました。


伏見稲荷へお参りする前日、U氏が突然法徳寺へ立ち寄られた事も、子供を通して「イオンモール京都」へ導かれた事も、ただの偶然ではなく、すべて稲荷大明神様を無事に勧請させていただく為のお大師様、菩薩様のお計らいだったのです。


こうして、天からの勧請は無事に終わりましたが、「天(神)と地(仏)へ足を運べ」というのが、お大師様、菩薩様のお計らいである以上、地からの勧請が予定されていない筈はありません。


そこで、もう一度、母が見た高野山の夢を再吟味したところ、やはり高野山へのただのお礼参りでなく、奥の院に祀られている白髭稲荷大明神様を勧請せよとのお指図である事が分かってきたのです。


天(伏見稲荷)の勧請から一か月余り後の六月十日、白髭稲荷大明神を勧請させていただくため、家族みんなで高野山へお参りさせていただき、地からの勧請も無事に終える事が出来ました。


しかし、お大師様、菩薩様のお計らいは更に続き、夢殿にお祀りさせていただいてから三ヶ月半余り後の九月二十九日、S建築所にお勤めのMさんを通して、稲荷大明神様が間違いなく法徳寺へ御鎮座しておられる更なる念押しをいただきました。


◇悟りによって初めて観えてくる世界◇


こうして、お稲荷様を勧請させていただくまでの一連の経緯を辿ってくると、見えてくる事が一つあります。


それは、いまお話した数々のお計らいの一つでも欠けていれば、そして、それぞれのお計らいをただの偶然と考え、そこに隠されている神仏のみ心を悟ろうとしなければ、稲荷大明神の勧請というお計らいは無いに等しくなり、お稲荷様を法徳寺に勧請させていただく事は、絶対に不可能だったという事です。


何故かと言えば、稲荷大明神の勧請は、悟りによって初めて見えてくる神秘のお計らいであり、悟りという鍵がなければ、眼に見えない神仏の扉を開ける事は出来ないからです。


すべての出来事を偶然と考えれば、スリッパや靴などのゴミや、鹿の角と足の一部が境内に落ちていた事も、母が高野山の夢を見た事も、伏見稲荷大社へお参りする前日にU氏が訪ねてきた事も、予定を変更して「イオンモール京都」へ立ち寄った事も、すべて偶然に過ぎず、ただの点でしかありません。


しかし、稲荷大明神の勧請というお計らいは、その点と点を結び、線となって初めて見えてくる真相の世界なのです。


偶然(点)としか見えない出来事であっても、線として結んでみれば、そこには神仏のお計らいによる真相の世界が隠されており、しかも、それらのお計らいには、すべてを見通しておられる神仏の慈悲心が注がれ、最善最良の手立てを以て、私たちを導こうとしておられる事が、ハッキリ分かってきます。


残念ながら、救いの為の最善最良のお計らいが何度も訪れているにも拘らず、その事に全く気付いていないお方が、世の中には大勢います。


神仏が準備しておられる救いの舟に乗れないまま、大勢の人々が、限りある命の大河に翻弄されながら、浮き沈みを繰り返しているのが、現実なのです。


◇お釈迦様のお悟り◇


歴史上、最初に見えない世界を観る悟りの眼を開かれたお方は、お釈迦様です。


ご承知のように、お釈迦様は二十九歳で出家され、六年間の苦行の末、三十五歳で真理を悟って仏陀と成られましたが、それまでの六年間の苦行は、凄まじいものであったと伝えられています。


ガンダーラ美術の最高傑作と言われる釈迦苦行像を、実際にご覧になったお方もおられると思いますが、痩せ衰えて、肋骨も露わになったお姿は余りにも痛々しく、見る者をして戦慄させずにはおきません。


しかし、これは決して誇張ではなく、かつてこれほどの苦行をした人はいないと言われる程の苦行をなさったお釈迦様ですから、このお姿に限りなく近かったのではないかと思います。


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こうして、自らを極限まで追い詰められたお釈迦様ですが、ただ肉体を傷つけ、苦しめるだけの苦行では真の安らぎは得られない事を悟られ、苦行で傷ついた肉体をガンジス川の水で清められた後、村の娘スジャータが差し出す乳粥の供養を受けられました。


そして、菩提樹の下に結跏趺坐(けっかふざ)して四十九日間の瞑想に入られ、十二月八日未明、東の空に輝く明けの明星(金星)をご覧になり、忽然と悟りを開かれたのです。


「明けの明星を見たくらいで何故悟りが開けるのか?」と、疑問を抱かれるお方もいるでしょうが、物事をただ表面的に見ているだけでは疑問は晴れません。


それまでお釈迦様は、様々な思いの中で生きてこられました。


王族である釈迦族の世継ぎに生まれながら、親や妻子を残して出家なさったお釈迦様にとって、釈迦族の人々や家族の行く末は、何よりも案じられた事でしょう。


また、多くの人々が悩み苦しむ姿にも心を痛められ、自らも様々な煩悩によって悶々とされた日々を送っておられたに違いありません。


悟りを開かれるまでのお釈迦様は、そうした様々な思いや計らいによって曇らされた眼で、この世界をご覧になり、明けの明星をご覧になってきたのです。


お釈迦様がご覧になってきた明けの明星は、様々な計らい心を通して見た明けの明星であり、悩み苦しみというフィルターを通して見た明けの明星に過ぎなかったのです。


しかし、六年間の苦行によって、あらゆる計らいの心が消えてなくなり、無垢の状態となってご覧になった明けの明星は、お釈迦様の澄み切った心の鏡に、今まで見たこともない明けの明星として映し出されたに違いありません。


◇有るようで無く、無いようで有る真理の世界◇


太陽が出ている内は、太陽という縁で明けの明星は見えません。


しかし、太陽が沈み、夜という縁によって再びその姿を現した時、お釈迦様の心眼には、「有るようで無く、無いようで有る」存在としての明けの明星の真の姿が、はっきり映し出されたに違いありません。


その時、お釈迦様は、この世の真理を説法する明けの明星の声なき声を、ハッキリお聞きになられたのです。


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「そうか。私も明けの明星も同じなのだ。有るようで無く、無いようで有る空(くう)なる存在に過ぎないのだ。みんな無常の中で移り変わっていく身なのだ」


その体験は、お釈迦様にとって、天地が逆転するほどの大きな衝撃と感動をもたらした事でしょう。


それまでもお釈迦様は、すべてが無常の中にあり、移り変わっていく存在だという事を、知識として知っておられました。


しかし、その時お釈迦様が体得されたのは、知識としての無常ではなく、心の底から湧き上がってくる悟りの智慧で観た無常の真理であり、明けの明星が発する天の声だったのです。


勿論、明けの明星は、その時初めてお釈迦様に真理を説法した訳ではありません。


遙かなる永遠の昔から、一瞬たりとも休む事なく真理を説法し続けていたのですが、お釈迦様には、今までその説法が聞こえなかったのです。


何故なら、お釈迦様の心の中には、様々な煩悩や計らいや不安や執着が錯綜し、真理の説法を聞く心の耳を閉ざしていたからです。


今までは、様々な思いや計らいや分別心が邪魔をして、明けの明星の真の姿を見る事も、その説法を聞く事も出来なかったのですが、六年間の苦行の末に、心が澄み切った湖面の如く無垢の状態になったため、明けの明星の説法が、お釈迦様の心に在るがまま聞えてくるようになったのです。


真理の声が聞こえるようになったのは、明けの明星が変ったからではありません。お釈迦様ご自身が根底から変られたからです。


真理の声が聞こえた時、お釈迦様は、「私も明けの明星と同じなのだ。これが宇宙の真実の姿(実相)なのだ」という衝撃と、お釈迦様が明けの明星なのか、明けの明星がお釈迦様なのか分からない一体感(感動)に包まれた事でしょう。


最初に、皆さんにお伝えしたいと申し上げた「今まで見えなかった神仏の世界が観えて来た時の感動」とは、まさに、この時お釈迦様が体験された真理(神仏)との一体感なのです。


しかし、稲荷大明神の勧請を通じて体験した神仏との一体感と感動を、言葉で伝える事は容易ではなく、皆さんにどこまで伝えられたかは分かりませんが、この拙い体験談が、見えない神仏(悟り)の世界へいざなう一つのきっかけとなれば、これに勝る喜びはありません。


合掌



稲荷大明神勧請(1)
稲荷大明神勧請(2)
稲荷大明神勧請(3)
稲荷大明神勧請(4)
稲荷大明神勧請(5)
稲荷大明神勧請(6)
稲荷大明神勧請(7)

高野山法徳寺Website

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2017年11月17日

いざ!リンゴの収穫へGO!!

今日は、オーナーになっているリンゴの木の収穫に行ってきました。
津金のリンゴと言えば、地元でも有名で、11月下旬には、「津金のリンゴ祭り」も開催されます。
周囲には、幾つものリンゴ畑が広がり、たわわに実った真っ赤なリンゴが垂れ下がっています。
2万円の木ですと、ダンボール8箱、約300個余りのリンゴが収穫出来ます。
家で頂いたり、お参りの皆様に差し上げたりしていますが、食べきれません(笑)


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2017年11月10日

稲荷大明神勧請(6)

◇Mさんの眼に映った輝く境内


五月十三日は天である伏見稲荷大社に、六月十日は地である紀州高野山に、それぞれお参りし、稲荷大明神様を勧請させていただきましたが、それから三か月半余り後の九月二十九日、お大師様、菩薩様より、お稲荷様が確かに法徳寺へ御鎮座され、お働き下さっている更なる念押しをいただきました。


そのお役目をして下さったのは、今まで何度もお計らいに出てこられた地元のS建築所にお勤めの女性事務員Mさんでした。


Mさんは非常に霊感の強いお方で、以前、汗露水授与所「汗露臺(かんろだい)」を建立していただいた時に、こうおっしゃっておられました。


私、今日初めてお寺へ来させて頂いたんですが、ここは本当に凄い所ですね。言葉ではうまく言い表せないんですが、境内全体が光り輝いているのをひしひしと感じます。
でも、光っているのは境内だけで、境内から一歩外へ出ると、周りは全然輝いてないんです。この境内だけが、煌々(こうこう)と光り輝いているんです。
私、夜も一人で外へ出られないほど怖がり屋なんですが、この境内なら一晩でも二晩でも、平気で寝られます。この境内は守られている事がよく分かるから、「ゴザを敷いて寝てみませんか」と言われても平気です。不安はまったくありません。
極楽浄土がどんなところか知らないし、行った事もありませんが、今日初めてここへ来て、「極楽というのは、きっとこんな所なんだろうな〜」と思いました。
ここは、いつまでも居たいと思わせてくれる本当に素晴らしい所です。


また、初めて汗露水を頂かれた時の感動を、次のように述べておられました。


このお水は、もの凄いお水です。ただの地下水じゃありません。
飲んだ時にハッとして、“何なの、このお水は”と言いたくなるようなお水です。光に包まれているというか、守られているというか、お水が光り輝いているんです。
有り難いお水だから、一人でも多くの皆さんに「飲んで、飲んで」と言いたくなるんですけど、このお水だけは、誰も彼もに飲んで欲しくないです。
それだけ尊いお水だから、その尊さが分かる人にだけ飲んで欲しいです。お水の尊さや値打ちが分らない人には飲んで欲しくありません。


◇人心を惑わす霊感◇


最初は、施工をお願いしているS建築所の事務員さんだから、お世辞でそう言っているだけだろうと思っていたのですが、S建築所の棟梁のお話では、Mさんは非常に霊感の強いお方で、或る日、Mさんに、水道屋さんにお願いしていた見積書を取りに行ってもらったそうです。


その水道屋さんへ行くには、万年橋という橋を通っていかなければいけないのですが、この橋は、地元でも有名な知る人ぞ知る自殺の名所で、過去に何人もの方が、万年橋から身を投げて亡くなっているので、Mさんにその事を話すと行くのを嫌がると思い、黙っていたそうです。


すると、帰って来るなり、「棟梁、もう二度とあの橋を通りたくありません」と言うので、「どうして?」と聞くと、「あの橋を通ると、色々な人の霊が乗り移ってきて、気持ち悪くて仕方ないんです。もう二度とあそこへは行かせないで下さい」と、泣きそうな顔で訴えたそうです。


そこで、「やはりこの人は、霊感が強いんだ」と再認識したそうです。


私は、霊感そのものを信用していませんが、Mさんの霊感は信用出来ると思っています。


世間には、ご先祖の霊が祟っているとか、動物の霊が憑いているとか、方角が悪いとか、相が良くないとか、根拠のない様々な事を言っては、迷える人々を益々迷わせる霊感者が少なくありませんが、Mさんには、人を迷わせたり、騙して利益を得ようというような邪心が全くなく、感じた在りのままを話しておられる事がよく分かるからです。


Mさんの霊感を信じる二つ目の理由は、Mさんがおっしゃった通りの事が現実に起きているからです。


例えば、東日本大震災が起こる三日程前、Mさんは、東北地方で大きな地震が起きて、家や人や車が流されて行く夢をご覧になり、その翌日も同じように、何もかも流された後、ガレキの山になっている夢をご覧になり、その事を棟梁に話されたそうです。


棟梁は、Mさんから「二日も続けて、変な夢を見たから、もしかすると近い内に、東北地方で大きな地震か何かが起きて、大勢の人が亡くなるかも分からないよ」と聞かされていたので心配していたら、案の定、三月十一日に東北地方を中心に、千年に一度といわれる大震災が起き、大勢の人が犠牲になったので、改めてMさんの霊感の強さを再認識されたそうです。


◇御住職夫人の言葉◇


以前、Mさんと同じように、強い霊感をお持ちの女性が、法徳寺を訪ねて来られた事があります。


高野山で一緒に修行し、現在広島県府中市のお寺でご住職をしておられるお方の奥様で、平成十九年十二月はじめ、ご夫婦揃って長野の善光寺にお参りに来られた際、わざわざ足を延ばして法徳寺までお参りに来て下さったのです。


その時、奥様が、「私、ここへ来るまでは何とも思わなかったのですが、境内に入った途端、あっ、ここは他の土地と違う!ここへ来ると、心が癒されるというか、清められるというか、他と違う所だという事を強く感じました」と言われたので、「実は、地元の工務店にお勤めのMさんというお方も、周囲は輝いていないけれど、この境内だけが光り輝いているとおっしゃっているんです」とお話すると、「そうなんです。この土地だけが光り輝いているんです。この土地から出ている凄いパワーを感じます」と言われたのです。


その言葉を聞いて改めて、「境内地が光り輝いているというMさんの言葉は、決して嘘偽りではないのだ」と確信しました。


◇御同行Kさんの夢◇


霊感を信じない私が、Mさんや御住職の奥様の霊感を素直に信じるようになった三つ目の理由は、邪心がない事の他に、お二人が感じられた光り輝く聖地の姿を、何年も前に夢でご覧になったお方がおられるからです。


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大阪にお住まいのご同行のKさんが不思議な夢をご覧になったのは、法徳寺が開創される十四年も前の平成二年でした。


平成二年と言えば、菩薩様が御入定(ごにゅうじょう)なさった年で、私達にとっては非常に大きな節目となった年ですが、御入定される三ヶ月ほど前の平成二年一月十日にお参りされ、「一月八日に、不思議な夢を見せて頂いたんです」と言って、次のような話をして下さいました。


私は、僧侶が着る法衣を着ていました。他にも法衣を着た人たちが何人かいました。その人たちと一緒に、仏像を運んできたのですが、その場所は、石ころがゴロゴロ転がっている広い原っぱのような所でした。
不思議な事に、周囲は真っ暗闇なのに、その原っぱだけが煌々(こうこう)と光り輝いているのです。
ふと見ると、家が一軒あって、屋根の上に月が煌々と光り輝いているので、初めは、月の光に照らされて原っぱが光っているのかなアと思ったのですが、相変わらず原っぱの周囲は真っ暗闇なので、月に照らされて輝いているのではなく、原っぱが自ら光を発して輝いているのだと思いました。
その内、太陽が昇ってきて燦燦と光り輝いているのに、相変わらず原っぱの周囲は真っ暗闇で、原っぱだけが煌々と光り輝いているので、「ここは、間違いなく、救済道場が建つ聖地だ」と思ったのです。


こう話されてから十四年後の平成十六年春、高野山法徳寺が北杜市須玉町若神子の聖地に開創されましたが、この土地は、至る所から石ころが出てくる石山で、Kさんの夢に出てきた石ころがゴロゴロしている原っぱを髣髴とさせる所でした。


しかも、プレハブが一軒建っていて、「家が一軒あった」というKさんの夢と同じであった事から、「この土地がKさんの夢に出てきた聖地である事に間違いはない」と確信しました。


また、Mさんや御住職の奥様が、「光っているのは境内だけで、境内から一歩外へ出ると、周りは全然輝いてないんです」「境内に入った途端に、あっ!ここは他の土地と違う!ここへ来ると、心が癒されるというか、清められるというか、他と違う所だという事を強く感じました」とおっしゃった話の内容が、Kさんの夢の内容とまったく同じであった事から、お二人の言葉に嘘偽りはないと確信したのです。


◇更なる念押し◇


こうして、Mさんや御住職の奥様は、霊感によって光り輝く境内をご覧になり、Kさんの夢が正夢である事を証明して下さったのですが、今回、稲荷大明神様の勧請についても、Mさんは大切なお役目を与えられました。


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紀州高野山から白髭稲荷大明神様を勧請させて頂いてから三ヶ月余り後の九月二十九日、Mさんは、S建築事務所に依頼した仕事の事で法徳寺へ来られ、夢殿の方をご覧になって、次のようにおっしゃったのです。


Mさんー最近、夢殿と客殿(昇龍閣)の方で、何か変わった事がありましたか?
どうしてですか?

Mさんー夢殿と客殿の方角が、前にも増して光り輝いているから、何か変わった事があったのかと思いまして!
実は、今年四月にお計らいがあって、お稲荷様を夢殿と客殿にお祀りさせて頂いたんです。

Mさんーあっ、そうだったんですか。光が強くなっているのは、きっとそのせいですね。間違いありません。


お大師様、菩薩様のお計らいに狂いはありませんから、無事に勧請が終わっている事に何の疑いもありませんが、お稲荷様を勧請させていただいた事を全く御存じないMさんが、夢殿と客殿の方角が前よりも光り輝いているとおっしゃったのを聞いて、改めて、お大師様、菩薩様が、念押しをして下さったと確信いたしました。


ただ、この念押しは、「お稲荷様を勧請させていただいた者の責任を忘れてはならないぞ」というお大師様、菩薩様からのメッセージでもあり、ただ有り難いと言って喜んでばかりはいられません。


改めて、仏法興隆と衆生救済に向けて、今まで以上の精進をお誓いすると共に、お稲荷様をお迎えさせていただいた責任の重さを、肝に銘じた次第です。


合掌



稲荷大明神勧請(1)
稲荷大明神勧請(2)
稲荷大明神勧請(3)
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高野山法徳寺Website

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2017年11月07日

稲荷大明神勧請(5)

◇母の夢に隠された真相◇


伏見稲荷の稲荷大明神様を無事に勧請させていただいた後、早速、依り代の腕数珠を納めた水玉を、法徳寺客殿(昇龍閣)の内本堂にお祀りさせていただきましたが、これで勧請がすべて終わった訳ではありません。


伏見稲荷大明神の勧請は、天地(神仏)の内の天(神)からの勧請が終わっただけで、地(仏)からの勧請がまだ残っていたからです。


地からの勧請は、紀州高野山の奥の院に祀られている白髭(しらひげ)稲荷大明神を勧請させていただく事になっていましたが、母が高野山に居る夢を見た四月二十四日の時点では、まだ開創十三年目のお礼参りに行く事しか念頭になく、勧請までは考えていませんでした。


ところが、稲荷大明神勧請(3)で述べたように、伏見稲荷大社へお参りする前日の五月十二日、知り合いの御住職が突然法徳寺を訪問され、お参りの目的が、伏見稲荷大明神を勧請させていただく為である事が明らかとなり、更に伏見稲荷の起源を調べていく内に、稲荷三神と言われる宇迦之御魂大神の本地仏が如意輪観音、左田彦大神の本地仏が千手観音、大宮能女大神の本地仏が十一面観音と、いずれも観音様が本地仏である事が分かってきた為、夢の意味をもう一度見直す必要が出てきたのです。


夢の内容は、母が前方を見ると、十三人の人がいて、その中の山崎さんという人が「あれを見て!」と言ったので、そちらを見ると、そこに二人の人が立っていて、その内の一人が、縦に長い鳥かごを持っていたので、中を見ると、鳥かごの端の方に、黒い色をした観音様が立っておられたというものですが、夢の意味を再度見直していく内に、今まで見えていなかった真相が少しずつ見えてきました。


◇鳥かごの観音様の正体◇


悟るべき要点は幾つかありますが、一つ目は、「何故、黒い色をした観音様が、鳥かごの端に立っておられたのか?」という事です。


先ずこの鳥かごですが、高野山全体を象徴していると考えていいでしょう。


御承知の通り、紀州高野山は、東の端の大門(だいもん)から、西の端の奥の院まで、東西六キロに亘って開かれた、標高九百メートルの山上の盆地にある宗教都市ですが、俗世間から隔絶された天空の別世界という意味で、高野山はまさに鳥かごそのものと言えましょう。


鳥かごを高野山とすれば、観音様が立っておられる鳥かごの端は、高野山の西の端にある奥の院に当たります。


更に伏見稲荷の稲荷三神の本地仏が観音様である事を考えれば、鳥かごの端(奥の院)に立っておられる観音様は、奥の院の弘法大師御廟の向かって右側に祀られている白髭稲荷大明神と考えていいでしょう。


二つ目の要点は、「山崎さんが指し示した二人の人とは誰か?」という事ですが、このお二人は、弘法大師と法舟菩薩様のお二人で、鳥かごを持っている人は、高野山の御本尊として、今も苦しむ人々に救いの御手を差し伸べておられるお大師様です。


もう一人は高野山法徳寺の御本尊の法舟菩薩様ですが、二人を指し示した山崎さんが十三人の内の一人で、十三が菩薩様の御縁日である事、そして、今回のお計らいが、お大師様、菩薩様のお二人によるものである事などから、菩薩様と考えて間違いないでしょう。


◇弘法大師と稲荷大明神の関係


三つ目の要点は、「何故、観音様が黒い色をしていたのか?」という事ですが、ご存じのように、弘法大師は、御入定から八十六年後の延喜二十一年、醍醐天皇の夢枕に立たれて、次のお歌を詠まれたと伝えられています。


高野山(たかのやま) 結ぶ庵(いおり)に袖(そで)朽ちて
 苔(こけ)の下にぞ 有明(ありあけ)の月


当時、お大師様にはまだ大師号がなく、空海上人と呼ばれていましたが、衆生救済に御苦労して下さっているお姿を霊夢にご覧になられた醍醐天皇は、早速、勅使を高野山へ遣わし、「弘法大師」の諡号(おくりな)と、新しい御衣を御下賜されました。


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時の東寺長者で、高野山金剛峯寺の座主(ざす)であった観賢(かんげん)僧正は、御下賜された御衣を丁重に押しいただき、御廟窟の扉を開けて中に入り、お大師様の御衣を替えさせていただいた後、御廟窟の扉を固く閉ざされました。


それ以来、御廟窟の扉は一度も開かれておらず、お大師様は今も漆黒の御廟窟の中で、苦しむ人々を救済し続けておられますが、この状況を、黒い色で暗示しているのではないでしょうか。


鳥かごの端に立っておられる観音様は、弘法大師御廟の右隣りに祀られている白髭稲荷大明神を、黒い色は、漆黒の御廟窟で人々を救済し続けておられるお大師様を暗示しているとすれば、「黒い色をした観音様が鳥かごの端に立っておられる」光景は、奥の院の弘法大師と白髭稲荷大明神が一体となって、人々を救済しておられる状況を彷彿とさせてくれます。


◇白髭稲荷大明神を勧請せよ◇


四つ目の要点は、「何故、十三人なのか?」という事ですが、紀伊田辺市で出会った弘法大師と白髭稲荷大明神が、東寺での再会を約束して別れてから再開されたのが、七年後の弘仁十四年四月十三日である事を考えれば、十三という数字もまた、奥の院のお大師様と白髭稲荷大明神が一体である事を示唆していると考えられます。


しかも、十三人の中の山崎という人が、「あれを見て!」と言ったので、そちらを見ると、鳥かごの端に立っておられる観音様が見えたと言うのですから、「あれを見て!」とは、「奥の院の弘法大師と白髭稲荷大明神が一体となって衆生を救済しておられる姿を見て!」という意味でしょう。


こうして、幾つかの要点を紐解きながら夢に隠された真相を悟っていくと、高野山奥の院に御入定しておられるお大師様と、お大師様の右隣りに祀られている白髭稲荷大明神様が一体となって、人々を救済しておられるお姿が見えてくるのですが、弘法大師と稲荷大明神が一体であるという事は、弘法大師と一体である菩薩様と稲荷大明神もまた一体でなければならないという事です。


しかし、法徳寺には、菩薩様と一体である筈のお稲荷様が、まだお祀りされておりません。


そこで、御開創十三年目という節目の年を迎え、天(伏見稲荷大社)の稲荷大明神様の勧請に続いて、地の高野山からも、御廟所の右隣りに祀られている白髭稲荷大明神を勧請させたいというのが、今回のお大師様、菩薩様のお計らいではないかと思います。


母の夢は、まさにそのお指図だったのです。


こうして、天(伏見稲荷大社)と地(高野山)の双方から、稲荷大明神様を勧請させていただけるという、思いも寄らぬお計らいをいただく事になったのですが、改めて弘法大師様と稲荷大明神様、弘法大師様と法舟菩薩様との深い絆を考えますと、高野山(たかのやま)の山号をいただき、弘法大師と不二一体の生き仏となられた普門法舟大菩薩様をご本尊に仰ぐ法徳寺が、御開創十三年目にして、天と地の双方から稲荷大明神様を勧請させていただくご縁を結ばせていただいたとしても、何ら不思議はありません。


お稲荷様は、稲荷の名前からもわかるように、本来は農耕の神様ですが、今は商売繁盛の神様としてもよく知られ、多くの会社等に稲荷社がお祀りされている事は周知の事実です。


お大師様が、東寺を根本道場として密教を広めようとしておられた時に、稲荷大明神様との深いご縁をいただかれたように、開創十三年目を迎えた法徳寺にとりましても、更なる仏法興隆と衆生救済に向けて力強く前進していく為には、どうしても天地の稲荷大明神様とご縁を結ばせていただき、その威神力をいただく必要があるのです。


◇夢殿に御鎮座されたお稲荷様◇


母の夢を通じて、天(伏見稲荷大社)のみならず、地(高野山)からも白髭稲荷大明神様を勧請させていただける事になり、天(伏見稲荷大社)の勧請が終わって一か月後の六月十日、家族みんなで、高野山へお参りさせていただきました。


伏見稲荷の稲荷大明神様の依り代は、十三連の腕数珠でしたが、高野山の白髭稲荷大明神様の依り代は、鳥かごを持っておられたのが弘法大師である事から、お大師様のご縁日(三月二十一日)に因み、二十一個の数珠玉で作った二十一連の腕数珠を持参しました。


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当日、白髭稲荷大明神様の御宝前に、二十一連の腕数珠を入れた水玉をお祀りし、伏見稲荷大明神の時と同様、「今日は、家族みんなで、お迎えに参りました。どうか、この腕数珠を依り代として、法徳寺にお越し下さいますよう、お願い申し上げます。お祀りさせていただいた暁には、末代までもお守りさせていただきます事を、ここにお誓いいたします」と心に念じながら、勧請させていただきました。


翌十一日から三日間、勧請させていただいた白髭稲荷大神様に御法楽を捧げ、六月十三日、晴れて菩薩様の御廟所である夢殿の内陣に、依り代の腕数珠を入れた水玉をお祀りさせていただきました。


紀州高野山の発展の陰で、白髭稲荷大神様の威神力が寄与している事は言うまでもなく、高野山(たかのやま)法徳寺ご開創十三年目を迎えるに当たり、不可思議な数々のお計らいによって、晴れて天(伏見稲荷大社)と地(紀州高野山)の双方から、稲荷大明神様を勧請させて頂けました事は、誠に有り難く、これに勝る喜びはありません。


合掌



稲荷大明神勧請(1)
稲荷大明神勧請(2)
稲荷大明神勧請(3)
稲荷大明神勧請(4)
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稲荷大明神勧請(7)


高野山法徳寺Website

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2017年11月02日

境内の紅葉と枯露柿作り!

紅葉が随分進み、境内の桜もモミジも、秋の日差しを受けて、キラキラ輝いています。


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昨年、境内の一角に植えてある甲州百目(ひゃくめ)柿の木を大きく剪定したので、実らないかもしれないと心配していましたが、少しだけ実を付けてくれましたので、朝から枯露柿(ころがき)作りをしました。
皮をむき、熱湯に通して軒先につるしておくだけですので簡単ですが、美味しい枯露柿が出来るかどうかは、寒さ次第です。
去年は暖冬でしたので、うまく出来ず、随分捨てました。
今年もまた暖冬ですと、美味しい枯露柿は出来ないでしょうね。
寒いのは苦手ですが、寒くないと美味しい枯露柿は出来ませんので、寒くなる事を祈りたいと思います。


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