2015年08月22日

呆れてものが言えません!

昨日は、今年八回目のお大師様のご縁日でした。


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ご縁の皆様にお帰り頂き、午前中は報恩法要と法話、午後から聖歌のご奉納をさせて頂き、無事にお帰り頂きました。


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さて、法要の後片付けを終え、ふとFacebookを覗くと、川口英俊師の投稿が目に飛び込んできました。


45年前に結成された呪殺祈祷僧団(JKS47)なるものが再結成され、今月27日(木)午後3時より経産省前テントひろばにおいて決行される予定の「呪殺祈祷会」を危惧するコメントでした。


川口師によれば、呪殺祈祷対象は、原発ムラ利権の主メンバーと安保法制を進めた安倍内閣・自民党主要メンバーとなるであろうとの事ですが、もしこのコメントの通りだとすれば、僧侶の一人として、憤慨せざるを得ません。


一体何を考えているのでしょうか。


勿論、み仏が、人の道に反した邪悪な想念や行動を受け取られる筈もなく、呪詛の一念は、すべて祈祷者本人の身に跳ね返ってくるでしょうが、危惧するのは、平和を願っている筈の人々が、平気でこのような事をしてしまう危うさです。


自己中心的で思慮のない短絡的行動ほど、平和にとって危うい行動はありません。


安保法制をすすめている安倍内閣を呪詛するという事は、一票を投じて安倍政権を誕生させた大多数の国民を呪詛するのと同じです。


無辜の国民を呪詛して、いかなる平和が実現出来るのでしょうか?


政策が気に入らなければ、堂々と選挙で自らの意に添う政党や議員を選ぶなり、全国民から支持される政策を掲げて立候補するなりすればいいだけの話で、それが自由に出来るのが、国民の意志を反映させる仕組みも、政権交代もない一党独裁政権と根本的に異なるわが国の政治制度であり、民主主義の鉄則でもあります。


安保法制に反対する人々がよく口にするのが「立憲主義に反する」という言葉ですが、「呪殺祈祷会」なるものが決行されるとすれば、これほど立憲主義に反する行為はないでしょう。


呪殺祈祷僧団が、いかなる仏教宗派に属する人々によって構成されるのか知りませんが、人々の救済を祈るのが使命の僧侶が、自分の立場と相反する相手の不幸を願い、その死を祈るなど言語道断です。


悟りも智慧もなく、ただ自分たちにとって好都合か不都合かによって善悪を判断し、自らを善と見なし、不都合な相手、意見の違う相手を悪と決めつけて、その不幸を願って、どんな平和な世界が実現出来るのでしょうか。


これでは、多くの信者や無辜の市民を殺害したオウム真理教や、無差別テロを行っているISILと何も変わりません。


オウム真理教では、「救う為には殺さなければならない」という理屈が堂々とまかり通っていたようですが、仏教ではそんな理屈は通りません。


口では平和を願うといいながら、自分の意に反する人々の死を願う平和運動など、聞いた事がありません。


しかも、それを行おうとしているのが僧籍にある者だというのですから、呆れてものが言えません。まさに愚の骨頂です。


僧としてだけではなく、人間としても失格と言わざるを得ないでしょう。


もし安保法案に反対する人々の中に、このような行動を容認する空気が流れているとすれば、末恐ろしい気がします。

posted by カンロくん at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題
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