2020年05月21日

五月御縁日法要!

今日は今年五回目のお大師さまのご縁日。
例年ですと、多くの皆様にお参りいただき、御縁日法要、法話会を催しているところですが、新型コロナウイルス感染症による外出自粛要請もあり、先月に続き今月も、寺内関係者だけで法要をさせていただき、御浄施をお送りいただいた皆様の所願成就、新型コロナウイルス感染症の一日も早い終息を御祈願させていただきました。
少しずつ終息の気配が見えてきているような気もしますが、まだまだ油断は禁物です。
諸外国の例を見ても分かるように、気を緩めれば、感染の第二波、第三波がやってくる事は間違いなく、そうなれば、せっかく取り戻しかけた日常が益々遠のいてしまいます。
夏の高校野球の中止も決まりましたが、いまが踏ん張りどころと自覚して、焦らず慌てず、しかし決して気を緩めず、前に進んでまいりましょう。


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2020年05月14日

ゴーヤカーテンの準備!

いよいよ暑い夏本番に備え、毎年恒例のゴーヤカーテンを作りました。
今年も、ゴーヤ茶やゴーヤチャンプルを作り、暑い夏を乗り越えたいと思います。


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2020年05月07日

非常事態宣言の延長を受けて!

5月4日夕、安倍総理大臣の記者会見が行われ、非常事態宣言の延長が発表されました。
自粛要請によって、すでに私たちの社会生活には、様々な影響が出てきており、一日も早い終息を願わずにはいられませんが、目に見えない手強い未知のウイルスに打ち勝つためには、国民が一致団結して立ち向かわなければなりません。
終戦から早や75年が経過しましたが、今ほど全国民の一致団結が必要な時はなかったように思います。
このような状況に鑑み、法徳寺におきましても、非常事態宣言の延長を受けて、5月21日開催予定のご縁日法要を、寺内関係者のみにて執り行う事といたしました。
お参りを楽しみにして下さっている皆様には、感染防止の為、なお一層の御協力、御理解の程をお願い申し上げます。
先の見えない長いトンネルに入り、閉塞感に包まれている状況ではありますが、ここで未知のウイルスに負けるわけにはいきません。
新型コロナウイルスの終息と、再会できる日が一日も早く訪れますよう、お互いに頑張りましょう。


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2020年05月06日

突然の来訪者―キビタキ!

先ほど「ドーン」という、客殿の窓ガラスに何かがぶつかったような音がしたので、窓の外を見ると、地面に、鳥が一羽うずくまっていました。
脳震盪を起こして、気絶していたのか、暫く動きませんでした。
ガラスは透明なのですが、明るい外から見ると、雑木林が映っているので、まるでそこに雑木林が広がっているように見えます。
多分、ガラスに映った光景を見て、雑木林があると思い、ぶつかったんでしょうね。
以前にも何度か野鳥が窓ガラスにぶつかって、保護したことがあり、その時に買った鳥かごがあるので、気が付くまで一時保護する事にしました。
黒と黄色と白の羽毛に覆われた綺麗な鳥で、お腹と背中と両目の上が黄色なのが特徴です。
野鳥には全く詳しくないので、ネットで調べたところ、どうやら「キビタキ」という鳥のようです。


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両目の上の黄色い筋があるキビタキを見ていて、ペンギンの顔を連想しました(笑)


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キビタキの鳴き声がユーチューブにアップロードされていたので、リンクを貼っておきます。
聞いてみると、毎日、境内や周囲の雑木林でよく聞く鳴き声です。
鳴いていたのは、キビタキだったんですね。


https://www.youtube.com/watch?v=oRiIBYWOlSo


暫くすると、鳥かごの中で羽をばたつかせるようになったので、雑木林の方に放してやると、鳴きながら元気に飛んでいきました。
これからも、きっと毎日、元気な鳴き声を聞かせてくれることでしょう。

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庭の花たち!

牡丹の花が満開になりました。


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甘い香りに誘われて、蜜蜂が蜜を集めにきています。


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ジョンキル水仙も満開です。


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2020年05月04日

不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(4)

◇何が違うのか◇


人間というものは、たかだか80年、90年の限られた人生を生きるちっぽけな存在に過ぎませんが、ちっぽけな存在でありながら、人間が到達しうる究極の人格に到達されたお方がおられます。


それが、お釈迦さまであり、お大師さま、菩薩さまであり、先覚者といわれる方々ですが、それらの方々が残された教え(仏法)こそ、無常の世の中を生き抜く私たちが頼りとすべき心柱(心の依り所)と言っていいでしょう。


世の中には、仏法という心柱の存在さえ知らずに、不都合な心の不安や揺れに見舞われ、翻弄され続けている人々が大勢いますが、その人々の中には、仏法という心柱さえ持っていれば、心安らかな人生を歩めたであろう人々もいる筈です。


例えば、平成30年12月14日、神奈川県内の東名高速道路のパーキングエリア内で駐車していた男性が、駐車の仕方が悪いと注意されたことに腹を立て、注意した車を追いかけて、あおり運転を繰り返した挙句、高速道路上に車を停車させて、後ろから来た車との追突事故を誘発させたとして逮捕され、懲役18年という重い判決を受けました。


もしこの加害者の男性に不都合な揺れを逃がす心柱があれば、駐車の仕方が悪いと注意された時、それがたとえ自分にとって不都合であっても、その不都合な揺れを逃がし、無害にできたかも知れません。


ところが、心柱を持たなかったため、不都合な揺れをまともに受け、頭にカーッと血が昇った挙句、あおり運転をして停車させ、乗っていた夫婦を事故死させるという最悪の結果を招き、自らの人生のみならず、相手の人生をも台無しにしてしまったのです。


この事件を見ても、心柱を持つ事がいかに大切かがよく分かりますが、わたしたちも、この事件を他山の石として、心柱を持つことの大切さを深く認識しなければなりません。


長い人生では、様々な場面に遭遇し、その都度、判断したり、決断したり、行動したりしなければなりませんが、決断を迫られた時、立ち位置を持っていなければ、心がブレて、どうしてよいか分からなくなります。しかし、立ち位置さえ持っていれば、そこで的確な判断が下せるのです。


よく勝ち組と負け組と言われますが、成功する人と成功出来ない人はどこが違うのでしょうか。


成功する人は、自分の立ち位置を持っているため、判断にブレがなく、決断も早いから、成功の波に乗れますが、何をやっても成功しない人は、立ち位置を持たないため、判断するにしても、行動するにしても、中々決められず、後手後手になって、結局、千載一遇の好機を逃してしまうのです。


だからこそ、常に自らの立ち位置を確かめることが大切なのですが、もし立ち位置が無いと分かれば、一刻も早く立ち位置を見つけ、まだ立ち位置が定まっていなければ、立ち位置をしっかり固める努力をしなければなりません。


◇素直な心で◇


神仏と云っても、目に見える訳でも、形がある訳でもありませんから、世の中には、神仏の存在を疑うお方も大勢おられますが、人間の力でどうにもならなくなれば、「叶わぬ時の神頼み」で、神仏にすがるしかありません。


貴船の脇坂リヨさまが、「眼に見えないのにすがってゆくのは大変やし、疑ったり案じたりします。だけど、結局はすがってゆかんなりませんやろ。凡夫では、どうすることもできしませんやろ」とおっしゃっておられるように、どうにもならなくなったら、教えを素直に信じ、受け入れる以外に道はないのです。


この素直さを忘れた人のところには、福の神もやって来ません。


周囲を森に囲まれている法徳寺では、毎年この時期になりますと、落ち葉掃除が日課となりますが、お釈迦様の弟子に、掃除三昧の修行で悟りを開かれた周利槃得(しゅりはんとく)というお方がおられます。このお方は、人から聞いたこともすぐに忘れるほど愚かな人で、他の弟子から「お前は馬鹿だ、馬鹿だ」と言われていました。


ある時、お釈迦様に、「私は、みんなから馬鹿だ、馬鹿だと言われます。教えを聞いてもすぐ忘れてしまいます。こんな馬鹿な私でも悟りを開けるでしょうか?」と尋ねると、「お前は決して愚かではない。愚かな人間でありながら愚かであることを知らない人間こそ愚かであり、愚かであることを知っている人間は愚かではない」と云って、一本の箒と、「塵を払い、垢を除かん」という一句を授けました。


それ以来、周利槃得は、お釈迦様の言葉を心に念じ、一本の箒を持って、来る日も来る日も、黙々と掃除三昧の修行に明け暮れたのです。


頭のいい人であれば、「どうしてこんな箒一本で悟りを開けるのか?」と疑ったり不信感を抱いて、修行に熱も入らないでしょうが、周利槃得は、自分は馬鹿だと思っていますから、素直にお釈迦様の言葉を信じ、毎日「塵を払い、垢を除かん」という一句を唱えながら、来る日も来る日も、掃除三昧に励んだのです。


その結果、周利槃得は、今まで馬鹿だと言って蔑んでいた人達も及ばないほどの悟りの境地に到達し、十大弟子の一人に数えられる神通説法第一の阿羅漢となったのです。


何故、みんなから馬鹿だ馬鹿だと蔑まれていた周利槃得が、十大弟子の一人に数えられるまでになったかと云えば、お釈迦様の言葉を素直に信じ、受け入れて、黙々と掃除三昧の修行を続けたからです。


もし周利槃得が浅知恵のある人間であれば、「こんな箒一本で悟りが開ける筈がない」という猜疑心に執われ、掃除三昧の修行に打ち込むことは難しかったでしょうが、お釈迦さまの言葉を素直に信じ、掃除三昧の修行に打ち込んだからこそ、大きな悟りを開くことが出来たのです。


疑えば幾らでも疑えますし、理屈を云えば、幾らでも言えますが、周利槃得を見れば、素直に教えを信じる事がいかに大切であるかがよく分かります。


◇毒矢の譬え◇


お釈迦さまの弟子に、マールンクヤという人がいました。


彼は、周利槃得と違い、非常に聡明な人だったので、日頃から、宇宙は有限か無限か、あの世は有るのか無いのか等々、様々な疑問を持っていました。


或る日、お釈迦さまに、「わたしには色々な疑問がありますが、お釈迦さまはその疑問に答えてくれません。いまその疑問に答えて下さらなければ、もうこれ以上修行を続けることは出来ません」と云って、お釈迦さまに回答を迫ったのです。


そこで、お釈迦さまが説かれたのが「毒矢の譬え」でした。


毒矢に射られた男がいるとしよう。その男が、「毒矢を抜く前に、知りたいことがある。この毒矢を射た者はどこの誰か、この毒は何という種類の毒か、矢は何で出来ているのか、答えてほしい。それらの疑問が解けるまではこの毒矢を抜いてはいけない」と言って毒矢を抜かせなかったら、どうなるであろうか。この男は、自分の知りたい事の一つも知らない内に、死んでしまうであろう。お前が私に尋ねようとしていることは、それと同じなのだ。その答えを知る前にお前の命も尽きてしまう。それでもいいのか。わたしがお前に説いているのは、どうしたら心に刺さった棘を抜くことが出来るか、どうしたら救われるか、その方法なのだ。だから、私の教えを素直に信じて、修行に励み、一刻も早く心の棘を抜きなさい。


そう説いて、マールンクヤを諭されたのです。


何故聡明なマールンクヤが中々悟りを開けなかったのに、馬鹿だ馬鹿だと云われていた周利槃得が悟りを開けたのかと云えば、お釈迦様の教えを素直に信じ、受け入れて修行を続けたからです。


世の中には、さまざまな願いをかけ、願いが叶わなければ、もう神も仏もいないと云って、まるで神仏を仇敵のようにいう人がいますが、やはり法を頂く時には、素直な気持ちで受け入れることが大切なのです。


以前、菩薩さまにご縁をいただかれた北陸にある運輸会社の社長の奥様が、何とか苦しみから救われたいと、菩薩様の言葉を一言一句、聞き逃さず、熱心に聞いておられた姿が、今でも思い出されます。


菩薩さまが入られたお風呂のお湯を、一升瓶に取っておかれ、ご家族が入る時に、少しずつ入れて入られたという話は有名ですが、そこまで出来たのは、菩薩さまを深く敬い、菩薩さまの教えを素直に信じて、実践しておられたからです。


裏を返せば、それだけ苦しみが大きかったということですが、素直に菩薩さまの教えを信じ法を受け入れれば必ず救われることを証明して下さった生き証人の一人と云っていいでしょう。


教えに逢わせていただいた時には、素直に信じ、受け入れる事が大切なのです。


合掌



不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(1)
不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(2)
不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(3)
不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(4)

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