2020年04月30日

不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(3)

◇魂の故郷への里帰り◇


菩薩様の道歌に、
  生まれ出た ふるさと今はなけれども
    高野(たかの)の奥こそ われが故郷
  故郷を 何処と問う人あるならば
    高野の山と われは答えん
 と詠われているように、この歌を見れば、菩薩さまが、不変の立ち位置を、魂の故郷である高野山に決めておられたことがよく分かります。


菩薩様は、三重県多気郡宮川村という所でお生まれになりましたが、肉身の故郷は、諸行無常の世の中にある仮の故郷ですから、いつか無くなる定めにあります。


歌に詠われている通り、菩薩さまの肉身の故郷はすでにありませんが、肉身の故郷がないからと云って案ずる必要は全くありません。何故なら、私たちの魂の故郷であり、不変の立ち位置である高野山法徳寺がなくなる事はありえないからです。


平成18年、御同行の久保富明さんから、一通のお手紙をいただきました。


昨年、11月に焼失致しました実家が再建されて、10月28日に新築祝いをするとのご案内をいただきました。一年足らずの間に、立派に再建されましたのも、お大師様、菩薩様を、昔から深く信じる人々のため、尊いお計らい、お導きをなさって下さったお蔭と、有り難く感謝申し上げております。
 でも、私は、軽い風邪を引いて、お祝いに行けませんでした。というより、どうしても行く気持ちにはならなかったのです。私の帰るところは、宗教成合の郷・高野山法徳寺以外、どこにもない事をはっきりと悟らせていただきました。


久保さんは、風邪を引いて体調を崩したため実家の新築祝いに行けなかったのですが、行けなくて良かったと書いておられます。何故なら、そこは私の本当の故郷ではなく、高野山法徳寺以外に帰るべき故郷はないと、はっきりわかったからです。


勿論、立ち位置が決まったからといって、病気をしない訳でも、怪我をしない訳でもありません。肉体がこの世にある限り、何らかの災難に遭うこともあるでしょう。


しかし、立ち位置が、「いつでも、どこでも高野山法徳寺」と決まれば、肉体が病んでも、傷ついても、心が病むことは決してないのです。


◇立ち位置がない状態◇


世の中には、立ち位置が決まっていないお方や、まだ立ち位置を見つける事が出来ずに迷っているお方が大勢おられますが、立ち位置が決まっていないということは、例えれば、無重力状態の中にいるようなものです。


いま350キロメートル上空の地球周回軌道を、国際宇宙ステーションが、時速2万8千キロのスピードで回っていますが、2万8千キロと言えば、時速500キロで走るリニアモーターカーの56倍、時速1000キロで飛ぶ音速旅客機の28倍という猛烈なスピードです。


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そのスピードに耐えなければならない宇宙飛行士は大変そうに見えますが、宇宙ステーションの中は無重力状態にありますから、スピードはまったく感じません。


無重力状態の中では、船内にあるものはすべて、何かに固定しておかないとフワフワ浮かんでしまいますから、宇宙飛行士は、何かに掴まったり、体を何かに固定して、作業や実験を行っています。


立ち位置が無いという事は、まさに無重力状態の宇宙ステーションにいるのと同じなのです。


つねに不安定な状態に置かれていますから、例えば、相撲を取ろうとしても、自分の体が回ってしまい、相撲になりません。野球のバットを振っても、振った自分の体が一緒に回転し始めますから、バットも振れません。


体の軸があれば、軸を中心に相手を投げたり、バットを振ったり出来ますが、無重力状態の中では、肝心の軸が無いから、何も出来ないのです。


それと同じで、人生も心の軸となる立ち位置が決まっていないと、病気をしたり、不都合な事に遭遇した時、絶えず心が揺れ動きますから、安らかな日々を送ることが難しくなるのです。


◇心柱を持つことの大切さ◇


世の中の動きが益々複雑化し、日夜、厳しい競争にさらされている現代人の中には、人生の浮き沈みの中で、様々なストレスを受けて、うつ病を発症したり、自殺したりする人も少なくありませんが、その原因の一つが、心の軸となる立ち位置の欠如であることは間違いありません。


東日本大震災で、多くの人命が犠牲となり、地震や津波で直接亡くなる方だけでなく、避難所で不自由な避難生活を強いられ、様々なストレスを受けて、災害関連死といわれる、災害に伴って亡くなるお方も大勢いましたが、改めて人類の歴史を振り返ってみますと、度重なる天変地異との果てしない闘いの歴史と云っても過言ではないでしょう。


今まで人類は、天変地異に見舞われるたびに、なすすべもなく翻弄され、多くの犠牲者を出し、涙を流してきましたが、それでも先人たちは、何もせずにただ傍観していた訳ではなく、天変地異の脅威から少しでも身を守ろうと、智慧を絞って闘ってきたのです。


例えば、日本が世界に誇るべき建築技術の結晶ともいえる三重塔や五重塔を見れば、いかに先人たちが智慧を絞って天変地異と闘ってきたかがよく分かります。


御承知のように、三重塔や五重塔の中心には、心柱と呼ばれる太い柱が据えられ、地震が起こっても、心柱が、地震の揺れと反対方向に動いて、揺れを逃がすようになっています。


この心柱の力を生かして作られたのが、電波塔として世界一(634メートル)の高さを誇る東京スカイツリーです。


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東京スカイツリーの中心にも、三重塔や五重塔の心柱に相当する太い鋼鉄の柱が据え付けられ、地震の揺れを逃がすようになっています。


しかし、この心柱を最も必要としているのは、実は私たち自身なのです。


様々な試練や災難や病気や、自分にとって不都合な出来事に遭遇すると、人間の心は不安や苦しみという大きな揺れと闘わなければなりません。


しかし、心柱(心の軸、立ち位置)さえあれば、その揺れを逃がし、心の不安や苦しみを解消してくれるのです。


心柱を持たなければ、その揺れをまともに受け、それが大きなストレスとなって、うつ病を発症したり、自殺したりする要因となるのです。


諸行無常の世の中で生きていかなければいけない以上、自分の思い通りにいかないことや、不都合なことに遭遇して浮き沈みするのは止むを得ませんが、だからこそ、私たちには、頼りとなる心柱が必要なのです。


心柱は、不都合な事がわが身に降りかかってきても、その揺れを逃がし、無害にしてくれる世界一頼もしい味方なのです。


合掌



不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(1)
不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(2)
不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(3)
不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(4)

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2020年04月29日

新しいエンジンチェンソーを購入しました!

マキタ製のエンジンチェンソーが、木の下敷きになり、一部が破損してしまいました。
エンジンもかかり、まだ使えますが、一部破損したままの状態で使うのも、万が一の事を考えると、二の足を踏んでしまいます。


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修理して使う事も考えましたが、見積もりを出してもらうと、25,000もかかることが分かったので、新機種を購入することに決定。
ネットで調べると、ほぼ同性能で、ネットの評価も高い同じマキタ製のMEA3201Mという製品が、アマゾンで28230円で売っていたので、こちらを新たに購入しました。


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以前より軽く、修理代の25,000円に+3000円ほどで購入できた上、以前より軽く、刃の交換や調整も工具を使わず簡単に出来る機種なので、買って正解でした。
早速、家族みんなで、我が家の恒例の儀式である、使う前のお祈りをさせていただきました。
いままで使っていたチェンソーは、暫く予備用として取っておくことにします。
これから、大切に使いたいと思います。


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2020年04月22日

不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(2)

◇いつでも、どこでも高野山法徳寺◇


私の心が高野山法徳寺に留まっているという事実には、二つの意味があります。


一つは、肉体が高野山法徳寺以外のところに移動しても、心はいつも高野山法徳寺に留まっているという意味です。


例えば、東京スカイツリーに行っても、私の心は常に高野山法徳寺に留まっています。先ほど、皆さんの家に瞬間移動しても、心が高野山法徳寺に留まっていると言ったのは、その為です。


もう一つは、肉体が移動した場所がどこであろうと、すべて高野山法徳寺になるという意味です。


例えば、私が東京スカイツリーに行けば、東京スカイツリーが私にとって高野山法徳寺になります。皆さんの家に瞬間移動すれば、皆さんの家が、私にとって高野山法徳寺になります。


電車に乗っていれば電車が、車に乗っていれば車が高野山法徳寺となり、寝ていても、起きていても、私が高野山法徳寺から離れることはありません。


また、場所だけでなく、時間も問いませんから、明日になっても、明後日になっても、10年後になっても、死んでからも、私は高野山法徳寺から一歩も離れることなく、留まり続けます。


ドラえもんの「どこでもドア」になぞらえれば、私は、「いつでも、どこでも高野山法徳寺」に居るのです。


御承知のように、高野山法徳寺は、平成16年4月13日、若神子の聖地に発足いたしました。しかし、平成16年に発足した高野山法徳寺は、形ある世界に発足した仮の高野山法徳寺に過ぎません。


生じては滅し、滅しては生じる諸行無常の真理の下にあるものは、すべていつか無くなる定めにあり、高野山法徳寺と雖も、その例外ではありません。


ですから、私が「いつでも、どこでも高野山法徳寺」に居るという意味は、無常の世の中にある仮の高野山法徳寺ではなく、私の心の中にある、形のない高野山法徳寺に居るという意味です。


心の中にある高野山法徳寺は、お大師様、菩薩様の御手の中であり、私が帰るべき魂の故郷ですから、「いつでも、どこでも高野山法徳寺に居る」という意味は、「いつでも、どこでも、常にお大師さま、菩薩さまの御手の中に居る」という意味になります。


◇二つの故郷◇


自分の立ち位置を持つということは、自分の本当の正体を知ることでもあります。


お大師様が「秘蔵宝鑰」という書物の中で、
  生まれ生まれ生まれ生まれて
    生のはじめに暗く
  死に死に死に死んで
    死の終わりに暗し
 と説いておられるように、私たちは、永遠の昔から、生まれ変わり死に変わりしながら、流転生死の人生を繰り返してきました。


しかし、自分が何処から来て、何処へ帰っていくのか、魂の故郷は何処なのか、自分の本当の正体は何者なのかを、誰も知りません。


私たちには、故郷と呼べるものが二つあります。

一つは、母親のお腹に宿って生まれて来た肉身の故郷、もう一つは、母親のお腹に宿る前に居た魂の故郷です。


肉身の故郷は、自分がこの世に生まれた故郷ですから、百人居れば百人の故郷があります。私は三重県の松阪市で生まれたので、そこが私の肉身の故郷です。


しかし、肉身の故郷は、この世へ生まれてくる為の仮の故郷に過ぎず、いつかは無くなる定めにありますから、肉身が消滅して帰るべき故郷は別にあります。


わたしたちが帰るべき故郷は、肉身を与えられる前に居た、魂の故郷と呼ばれるところです。その故郷は、仏教で極楽浄土や彼岸や阿字の故郷など、様々な名前で呼ばれていますが、高野山法徳寺も魂の故郷に付けられた名前の一つです。この魂の故郷が、私たちが帰るべき本当の故郷なのです。
 (弘法大師)
  阿字の子が 阿字の故郷立ち出でて
    また立ち帰る 阿字の故郷


「阿字の子」、仏の子が、「阿字の故郷」、極楽浄土をたち出でて、再び極楽浄土へ帰って行く有様を詠ったものですが、先ほどお話しした私の不変の立ち位置も、ここにあります。


◇自己の正体◇


白隠禅師の『座禅和讃』に、次のような一節があります。
  衆生本来仏なり
  水と氷のごとくにて
  水をはなれて氷なく
  衆生の外に仏なし
  衆生近きを知らずして
  遠く求むるはかなさよ
  長者の家の子となりて
  貧里に迷ふに異ならず


私たちは元々仏でありながら、本来の姿を忘れて、迷いの夢を見続けています。それは、譬えれば、水と氷のようなもので、氷が溶ければ水になるように、私たちも、いまは衆生の姿(氷)をしていても、自分の立ち位置さえ見つかれば、本来の仏の姿(水)に戻れるのです。


「長者の家の子となりて 貧里に迷ふに異ならず」とは、法華経に出てくる「長者窮子の譬え」を引用したものです。


幼い頃に親と生き別れ、乞食に身をやつして、流浪の旅を続けてきた長者の子供が、或る日、自分の家とも知らずに、物乞いにやって来ます。


召使いに咎められ、門のところで言い争いをしているところへ長者が通りかかり、その乞食が幼くして別れたわが子だと一瞬にして見抜きます。


長者は、すぐに親子の名乗りをしたいと思い、家の中へ招き入れようとするのですが、乞食に身をやつしている子供は、「自分が、こんな立派な長者の家の息子であるはずがない」と警戒し、家の中に入ろうとしません。


そこで、長者は一計を案じ、「生活に困っているようだから、暫くこの屋敷で働いてみないか。衣食住の面倒もみるし、給料も出そう」と言って誘い水を打つと、乞食は大喜びして、「それは有り難いことです。喜んで働かせていただきます」と云って、長者の屋敷で働くことになったのです。


その後、息子が、長者の片腕と云われるまでに成長したのを見計らい、改めて親子の名乗りをすると、息子の方も、自分の幼い頃のことを思い出し、自分の正体に目覚めて、無事長者の跡を継ぐことが出来たというお話ですが、ここに出てくる長者は仏を、乞食に身をやつした息子は、わたしたち衆生を現しています。


わたしたちもみな、本来仏の子なのですが、永年に亘って迷いの旅を続けてきたため、自分の正体をすっかり忘れ、愚かな凡夫(衆生)と思い込んでいるのです。


そこで、神仏は、長者が方便を使って息子を召使いとして雇ったように、「あの神さまは、こんなご利益がありますよ。この仏様は、こんなお力がありますよ」と云って、様々なご利益を示し、私たちの欲心を利用して、信仰の門に導こうとしておられるのです。


本来仏ですから、すでにご利益をいっぱい頂いているのですが、余りにも迷いの旅が永かったため、仏と云われてもすぐには信じられません。そこで、神仏は、あの手この手の方便を使って、信仰の門に入れて修行をさせ、自分の本当の姿に目覚めさせようとしておられるのです。


◇乗り越えなければならない幾多の試練◇


『阿弥陀経』というお経に、「極楽は十万億土彼方に在る」と説かれていますが、十万億土彼方とは、仏様の居る国を一仏国土として、その一仏国土を十万億個超えた彼方という意味ですから、宇宙の果ての果てに行かなければ極楽はないことになります。


しかし、十万億土とは、距離の長さではなく、迷いの深さの事であり、十万億土彼方へ行かなければならないほど、迷いが深いという意味です。


それほど深い迷いの夢から目覚めさせようと、あの手この手の方便を以て導いて下さっているのですから、み仏の御苦労は尋常ではありません。


それだけに、私たちも、与えられた様々な試練や厳しい行を有り難く受け止め、み仏の御苦労に報いなければなりません。


しかし、いくら頭では、自分の本当の正体が仏であるとわかっても、それで直ぐに、いま居るところが極楽になる訳ではありません。


乞食に身をやつした長者の息子と同じように、永年に亘って迷いの旅を続けている内に、自分の真の姿をすっかり忘れてしまっているからです。


もう一度、本来の自分の姿を思い出す為には、思い出すための様々な修行が必要なのです。修行ですから、楽な修行ばかりではなく、辛く厳しい修行もありますが、その厳しい修行も、魂の故郷に帰らせて頂く為の修行と思えば、有り難さもひとしおと、感謝しなければなりません。


合掌



不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(1)
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2020年04月21日

山桜が満開になりました!

境内のソメイヨシノは葉桜になりましたが、周囲の山桜は、今が満開です。


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紫色のムスカリも綺麗に咲きました。


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2020年04月20日

不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(1)

◇明暗を分けたもの◇


いよいよオリンピック・イヤーを迎え、メイン会場となる新国立競技場をはじめ、各種目の競技会場も完成し、56年ぶりにオリンピックを迎える気運が盛り上がってきていたところに、昨年12月、中国の湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症の世界的大流行(パンデミック)によって、一年間の延期を余儀なくされ、現在、様々な分野に悪影響が出ることが懸念されていますが、それ以上に懸念されているのが、新型コロナウイルスの世界的大流行です。


4月20日の時点で、感染者はすでに239万人を越え、死者も16万4900人を数え、いまだ終息の気配が全く見通せないだけに、日本にとっても世界にとっても、未曽有の危機と云っていいでしょうが、今は一人一人が危機感を共有し、感染のリスクを最小限に抑え、感染の拡大を出来るだけ遅らせる努力をする以外に、方法はありません。


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ワクチン開発には、一年間ほどかかると云われており、それまでの間、出来るだけ感染を拡大させないよう、一人一人が自覚をもって行動しなければなりません。


一年間延期されることになった第32回東京オリンピック大会の開催は、新型コロナウイルスが終息すれば、来年の夏ころになるでしょうが、日本では、1964年(昭和39年)10月10日から10月24日までの15日間に亘って開催された第18回・東京オリンピック大会と第2回・東京パラリンピック大会に次ぐ二回目の夏季大会開催となるため、前回にも勝る日本人選手の活躍を期待したいところです。


日本人選手の活躍と云えば、2年前(2018年)、韓国の平昌で開催された冬季オリンピック大会での活躍が思い出されます。


スピードスケート女子500メートルの小平菜緒選手、女子パシュートの高木菜那、高木美帆姉妹、佐藤綾乃、菊池彩花選手、女子マススタートの高木菜那選手、フィギュアスケートの羽生結弦選手が堂々の金メダルに輝いたのをはじめ、銀メダル5人、銅メダル4人、4位から8位までの入賞者30人という輝かしい成績を収めて閉幕しましたが、特に圧巻だったのは、66年振りの2連覇という快挙を成し遂げたフィギュアスケートの羽生選手の演技でした。


ロシアで開催された前回のソチオリンピックで金メダルを獲得した後、練習中の怪我で長期間のブランクを余儀なくされ、復帰後最初のスケーティングが平昌オリンピックの大舞台ということで、世界中から大きな注目を集めました。


羽生選手のプレッシャーの大きさは、想像に余りありましたが、いざ本番になると、プレッシャーを物ともせず、ショートプログラムでは、自己最高得点に迫る高得点を出して1位となり、好スタートを切りました。


一方、羽生選手の後に滑ったアメリカのネイサン・チェン選手は、羽生選手と金メダルを争う最有力候補と言われていましたが、ジャンプをすべて失敗して16位と出遅れ、フリーの演技で、羽生選手を上回る最高得点を出して盛り返したものの、ショートプログラムの成績が最後まで響いて、結局、5位という不本意な成績に終わりました。


フリーの得点が、フリー2位の羽生選手を上回る高得点だっただけに、ショートプログラムでの失敗が悔まれますが、もしショートプログラムの失敗がなければ、羽生選手の金メダル獲得も危うかったかも知れません。


実は過去に、ネイサン・チェン選手と同じように、ショートプログラムを失敗して出遅れながら、フリーで高得点を出し、返り咲いた選手がいました。


皆さんもよくご存じの浅田真央選手ですが、浅田選手も、前回のソチオリンピックで、ショートプログラムのジャンプを失敗して、16位と大きく出遅れたのです。


前々回のバンクーバーオリンピックでは、韓国のキム・ヨナ選手が金メダル、浅田真央選手が銀メダルを獲得し、次のソチオリンピックで雪辱を果たそうと努力を重ねてきた浅田選手にとっては満を持しての出場でしたが、ショートプログラムのジャンプの失敗が尾を引き、6位入賞に終わりました。


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フリーの演技が終わった後、感極まり、溢れる涙を拭いながら戻ってきた浅田真央選手の姿が今でも忘れられませんが、ネイサン・チェン選手の演技を見て、四年前の浅田真央選手の姿を思い浮かべた方も少なくなかったのではないでしょうか。


誰もがネイサン・チェン選手の健闘に惜しみない拍手を送っていたのは、四年前の浅田選手の姿が、多くの人々の記憶に残っていたからでしょうが、金メダルを期待されていた二人が、揃って同じような失敗をしたのを見ると、オリンピックという大舞台で受ける選手のプレッシャーの大きさが、私たちの想像を遙かに超えていることがよくわかります。


それだけに、プレッシャーを跳ね返して金メダルを獲得し、二連覇を達成した羽生選手の偉大さが一層際立っている訳ですが、改めて羽生選手とネイサン・チェン選手の明暗を分けたものは何なのかと考えてみますと、やはり厳しい練習に裏付けられた演技への自信と、自己への深い信頼、そしてプレッシャーを跳ねのける精神力の強さではないかと思います。


◇心の軸のブレ◇


羽生選手にとっては、怪我のブランクから復帰後最初のスケーティングが、オリンピックという四年に一度の大舞台でしたから、プレッシャーの大きさは想像も出来ません。


羽生選手と金メダルを争うと期待されていたネイサン・チェン選手も、羽生選手に勝るとも劣らぬ大きなプレッシャーを感じていたことは間違いないでしょう。


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お互いに今まで体験したことのないプレッシャーの中で、羽生選手は高得点を出し、ネイサン・チェン選手はジャンプをすべて失敗するという対照的な結果となりましたが、明暗を分けたのは、やはり二人のプレッシャーを跳ねのける精神力の強さの違いではないかと思います。 ネイサン・チェン選手が失敗したジャンプの映像を見ると、どのジャンプも体の軸がブレているのに対し、羽生選手のジャンプは、体の軸が全くブレていません。


「心身一如」と云われるように、心と肉体は常に一体で、相互に影響し合っていますから、心が乱れれば、自ずとその乱れは肉体にも現れ、失敗を誘発する可能性が大きくなります。


羽生選手の体の軸がブレていないのは、心の軸がブレていない証拠であり、心の軸がブレていないからこそ、それが同心円状を回転する綺麗なジャンプとなって、高得点へとつながっていったのです。


◇不変の立ち位置◇


心の軸がブレていないということは、羽生選手が自分の立ち位置をしっかり持っている証拠ですが、その違いが、羽生選手とネイサン・チェン選手のジャンプの明暗を分けたように、わたしたちの人生においても、立ち位置を持っているか否かが、その行く末を大きく左右します。


例えば、私は、いま山梨県北杜市須玉町の高野山法徳寺にいます。皆さんは、自宅の居間や外出先で、この文章を読んでおられると思います。同じ文章を読んでいても、わたしと皆さんとでは居場所が違いますから、自ずと立ち位置も違ってきます。


ここで、私と皆さんの立ち位置を同じにするため、これから、皆さんが要る場所に瞬間移動したいと思います。


藤子・F・不二雄氏の代表作「 ドラえもん」は、未来からきたネコ型ロボットのドラえもんが、勉強もスポーツも苦手な小学生「野比のび太」の周囲で起こる様々な問題を、ひみつ道具を使って次々と解決していく人気のアニメですが、ひみつ道具の中に、「どこでもドア」というとても便利な道具があります。


文字通り、行きたい場所を心に念じ、声に出してドアを開ければ、その場所へ瞬間移動出来る夢のような道具ですが、この「どこでもドア」を使って、今から皆さんの居る所に瞬間移動してみたいと思います。


皆さんの居る場所を心に念じてドアを開けます。その瞬間、わたしは、一瞬にして皆さんの所に移動しました。


移動した私は、皆さんと一緒にいますから、皆さんと立ち位置が同じになりました。私は、もう高野山法徳寺にはいません。表面的に見れば、そうなりますが、実を云いますと、私はまだ一歩も高野山法徳寺から出ていないのです。何故なら、移動したのは、目に見えるわたしの肉体だけで、心はまだ高野山法徳寺に留まっているからです。


これが、題名にある私の不変の立ち位置であり、信仰の基軸となるものです。


合掌



不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(1)
不変の立ち位置―いつでも、どこでも高野山法徳寺(2)
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2020年04月13日

雨のご縁日になりました!

先日、新型コロナウイルス感染症拡大予防のため、四月十三日の大祭を中止させていただく旨、告知させていただきましたが、ご縁日が無くなったわけではありませんので、今日は、寺内関係者のみにて春の大法要を厳修させていただきました。
郵送で御浄施をお送り下さった皆様もおられますので、いつものように、法要の中で、御祈祷、御供養をさせていただきました。
併せて、万人の願いでもある新型コロナウイルス感染症の一日も早い終息をご祈念させていただきました。


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雨のご縁日となりましたが、昨夜からの雨で、桜の根元に散った花びらが、境内をピンク色に染めています。
散った花びらを見て楽しむ花見も、なかなか風情があっていいものです。


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2020年04月09日

満開の桜と桜吹雪の競演!

昨夜からの風で、満開のソメイヨシノが、桜吹雪となって境内をピンク色に染めています。
まさに満開の桜と桜吹雪の競演です。
満開の桜と桜吹雪が同時に楽しめる貴重な写真です。


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2020年04月08日

春の大祭の開催を中止します!

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昨日の安倍首相の記者会見を聞き、改めて、国民一人一人が自覚を持って一致団結しなければ、この国難を乗り越えられないとの認識を新たにいたしました。
そこで、残念ではありますが、4月13日に開催予定の春の大祭を中止する事に決定いたしました。
御同行の皆様には、ご理解の程、宜しくお願い申し上げます。
またのお帰りをお待ちしております。
合掌

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2020年04月06日

満開の桜が見ごろを迎えています!

残っていた蕾もほぼ開花しました。早く開花した桜は、昨日と今日の風で、少しずつ散り始めています。
開花して十日目ですので、あと数日が見ごろと言ったところでしょうか。


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2020年04月04日

ほぼ満開になりました!

暖かい日差しを浴びて、八分咲きから九分咲きになりました。
ほぼ満開ですね。早く開花した桜は、少しずつ散り始めています。
見頃はあと一週間くらいでしょうか。


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2020年04月03日

桜もびっくりの今朝の冷え込み!

今朝は氷点下の冷え込みで、境内は真っ白な霜に覆われました。
桜もさぞ驚いたことでしょう。
その為でしょうか、まだ七分咲きから少し進んだ程度のところでとどまっています。
満開になるまでには、まだ数日はかかりそうです。


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2020年04月02日

七分咲きになりました!

ほぼ七分咲きです。あと二、三日で満開になると思います。
昨夜の雨が上がり、強い風が吹いているため、すこし散り始めています。
やはり強風には勝てませんね。


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2020年04月01日

六分咲きになりました!

今朝は朝から曇り空。お昼前には雨が降り始め、夜はかなり降るとの予想です。
その影響でしょうか、開花の進捗状況は少し遅れ気味のような感じがします。
今年の開花は3月27日でしたので、満開は4月3〜4日頃になるところですが、今日見た限りでは、まだ六分咲きほどです。
もう少し長く楽しめるかも知れません。


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posted by カンロくん at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記