2019年06月15日

残心の教え(2)

◇残心が問われている自動車事故◇


最近、悲惨な交通事故が、相次いでいます。


平成31年4月19日、東京の池袋で、87歳になる旧通産省工業技術院元院長の男性が運転する乗用車が、信号を無視して100キロを超す猛スピードで150メートルにわたって暴走し、歩行者を次々とはねて、10人が死傷するという痛ましい事故が起こりました。


乗用車は、ごみ収集車にぶつかって、ようやく止まりましたが、ごみ収集車が横転するほどですから、その衝撃の大きさが分かります。


心肺停止状態だった31歳の母親と、3歳になる幼子が犠牲となりましたが、突然、愛するご家族を失ったご家族、ご縁者の悲しみと無念さは、想像するに余りあります。


容疑者の男性は、「ブレーキが利かなかった」と云っていますが、右足を治療中で、医師から運転を控えるように勧められていたことを考えると、アクセルとブレーキを踏み間違えてパニック状態となり、更にアクセルを思いきり踏んだために、100キロを超す猛スピードで、歩行者を次々とはねたものと思われます。


また令和元年5月8日には、大津市内の丁字路の交差点で、信号待ちをしていた散歩中の保育園児の列に、車が突っ込み、16人が死傷するという悲惨な事故が起こりました。


搬送された16人の内、2人の園児が死亡、1人が今も意識不明の重体になっていますが、52歳の女性が運転する乗用車が、前をよく確認せずに丁字路を右折しようとしたのが、原因とみられています。


突然、可愛い我が子を奪われたご両親、ご家族の悲痛な思いは、その身にならなければ分かるはずもありませんが、いずれの事故も、最後の最後まで注意を払っていれば防げた事故であることは確かで、まさに人為的事故と云っても過言ではないでしょう。


事故というものは、ちょっとした気の緩みや慣れ、或いは、自分だけは事故を起こさないという過信や慢心によって起こる人為的な事故がほとんどで、運転する側の注意一つで防げるものです。


危険な「あおり運転」や飲酒運転が後を絶たず、社会問題となっており、運転者のモラルの低下が叫ばれている昨今ですが、今回の二件の事故も、明らかに運転者が注意義務を怠った結果であり、避けようのない事故では決してなかった筈です。


それだけに、車を運転する者は、車が凶器ともなりうることを常に自覚し、最後の最後まで気を緩めず、残心の大切さを肝に銘じて運転しなければなりません。


交通事故は決して他人ごとではなく、わたくしも、運転する者の一人として、常に残心を忘れず、安全運転に心がけたいと思います。


◇相手に対する思いやり◇


残心の二つ目の意味は、相手に対する思いやり、気遣いの心を現わします。


この残心も、先ほどお話しした大相撲の伝統と格式に深くかかわっている心ですが、モンゴル出身の元横綱・朝青龍や、横綱・白鵬が、相撲に勝って懸賞金を貰うとき、ガッツポーズとも思えるような仕草をしながら退場していく姿を、よく見かけます。


大横綱と言われた大鵬や千代の富士が、現役時代に、あのような仕草をとっている姿を見たことは一度もありません。


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何故、大鵬や千代の富士は、そのような仕草をしなかったのでしょうか?


恐らく両横綱は、勝ち誇っているようにしか見えないそのような仕草は、負けた相手に対する思いやりや気遣いに欠けていると考えていたからではないでしょうか。


横綱というのは、心技体のいずれにおいても、他の力士より優れていなければならず、相手を気遣う残心がどの力士よりも秀でているからこそ、横綱を締める資格があるのです。


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という俳句がありますが、大横綱であればあるほど、相手に対する思いやりの心、残心を忘れてはならないのです。


何故、横綱まで上り詰めた力士が勝ち誇ることが問題なのかと言えば、横綱は誰よりも、残心(思いやる心)を心得ていなければいけないからです。


横綱という名称は、化粧まわしの上に、注連縄が真横に張ってあるところからついた名称ですが、神に奉納する神事である大相撲の力士の中で、注連縄を張れるのは横綱だけです。


毎年正月に、明治神宮で横綱の奉納土俵入りが行われますが、土俵入りを奉納出来るのは、横綱だけなのです。何故かと云えば、横綱は、神に最も近い存在と考えられているからです。


土俵の上に設けられた屋根に、神社の屋根についているのと同じ千木が載っているのも、相撲をとる前に塩を撒いて土俵を浄めるのも、土俵が、神の降臨する聖なる場所と考えられているからです。


その神聖な土俵の上で相撲をとる全力士の中で最高位にある横綱であるからこそ、負けた相手に対する思いやりの心(残心)が、どの力士よりもすぐれていなければならないのです。


◇小平菜緒選手が見せた残心◇


気遣い、思いやりと言えば、昨年(平成30年)2月、韓国の平昌で開催された冬季オリンピック大会で、スピードスケート女子500メートル決勝で優勝し、金メダルを獲得した日本の小平菜緒選手が、2位となった韓国の李相花選手に見せた思いやりの心も、まさに残心と言えましょう。


この二人は、今までお互いに切磋琢磨しながら戦ってきたライバル同士ですが、小平選手は、李相花選手に中々勝てず、いつも李相花選手の後塵を拝し、2位に甘んじてきました。


その悔しさをバネに、厳しい体幹訓練に励み、スピードスケート大国のオランダに留学して、徐々に実力を身につけ、ようやく李相花選手に勝てるまでになったのです。


そして、平昌でその実力を遺憾なく発揮し、見事金メダルに輝いたのですが、2位に甘んじた李相花選手は、自国開催のオリンピック大会だっただけに、金メダルを逃した悔しさは、想像に難くありません。


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そんな状況の中で、見ている観客に大きな感動を与えたのは、涙を流している李相花選手の下へ駆け寄り、懸命に慰め励ましている小平菜緒選手の姿でした。


その光景を見た欧米のメディアが、「これこそ真のスポーツマンシップだ」と言って、その態度を称賛していましたが、今まで敗者の悲哀を味わい、負けた李相花選手の哀しさや悔しさを誰よりもよく理解していた小平選手だからこそ自然に出てきた行動と言えましょう。


そして、勝って奢らず、敗者への気遣いを忘れないあの姿勢こそ、まさに小平選手が見せた残心だったのです。


小平選手に贈られた金メダルは、競技に勝って贈られただけの金メダルではなく、負けた相手に対するいたわりと思いやり、気遣いを忘れなかった小平選手の残心に対し、神仏から贈られた金メダルでもあったのではないでしょうか。


 苦にあいて 心修めし人ならば
    人に情と 慈悲は忘れじ


という菩薩さまの道歌がありますが、小平選手は、平昌オリンピックの晴れ舞台において、日本人の魂の奥底に受け継がれている残心の尊さと気高さを、全世界の人々に見せてくれたのです。


◇茶道・華道の残心◇


残心は、剣道や柔道などの武術だけではなく、茶道、華道、香道などの芸道にも欠かせません。


千利休の師である武野紹鴎(たけのじょうおう)が、こんな歌を詠んでいます。


 なにしても 道具置きつけ帰る手は
    恋しき人に 別るると知れ


茶道を習ったお方ならご存じでしょうが、亭主は、お点前の流れの中で、棗(なつめ)や茶さじ、抹茶茶碗などを茶巾(ちゃきん)で清めながら、所定の位置に置いていきます。


お客様が見ておられる前でのお点前ですから、亭主は当然緊張します。人間のすることですから、所作が終わって緊張が解け、ふと気が緩むこともあるでしょう。そんな時に何か粗相をすれば、お手前が台無しになってしまいます。


そこで、武野紹鴎は、道具を置いて元に戻す手も、ただ戻すのではなく、恋しい人との別れを惜しむような心持ちで置きなさい、そこまでの気持ちをそこに残してお点前をしなさいと、言っているのです。


亭主は、帰られるお客様を最後まで見送った後、茶室へ戻り、今日来ていただいたお客様との一期一会の出会いに感謝しながら、一服のお茶をいただくのですが、お客様を迎える準備から始まり、見送った後の一服のお茶をいただくまでの一連の流れの中で、お客様を迎える時も、棗を清める時も、炉から湯をそそぐ時も、茶をたてる時も、最後にお見送りする時も、絶えずそこに心を残しておくのが、まさに茶道の残心なのです。


また、華道には、「花は人の心である」という言葉があります。


これは、生けた人の心は、花に乗り移るものであり、心に隙があると、その隙が花に乗り移り、見る人が見ればわかるから、どんな時も、絶えずそこに心を残して花を生けなければいけないという意味ですが、これもまた、華道の残心を現わす言葉と言っていいでしょう。


◇最後までお見送りする心◇


法徳寺では、御縁日にお参りされた皆さまが帰られる時、必ず駐車場までお見送りすることにしています。


皆さまの姿が見えなくなるまで、手を振ってお見送りし、帰られる皆さまも、それに応えるかのように、入口のところで一旦車を止め、手を振って別れを告げてから帰っていかれます。


最後までお姿を見届けてお見送りし、名残りを惜しむ心も、まさに残心と言っていいでしょう。


玄関まで見送り、「またお参り下さい」と言って別れればよいと考える人もいるでしょうが、最後の最後まで名残りを惜しみ、皆さまのお姿が見えなくなるまでお見送りする心を大切にしたいと思います。


合掌



残心の教え(1)
残心の教え(2)
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高野山法徳寺Website「救いの扉」

posted by カンロくん at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記