2018年05月27日

大自然から学ぶ智慧(5)

◇菩提心の実践◇


仏教では、与える事を布施といい、与える心を菩提心と言いますが、お大師様は、この菩提心を四つに分けて説いておられます。


一つ目は信心です。信心と言いましても、ただの信心ではなく、何があっても揺るぎない金剛石(ダイヤモンド)のような堅固不動の信心を意味します。


菩薩様が、「お大師様をただ信じるのではなく、信じ切らなければならない」とおっしゃったあの信心です。


二つ目が大慈悲心で、大悲行願心とも言いますが、自分よりも先に他の人々を彼岸に渡し、救いたいと願う心です。


言い換えれば、苦しむ人々の苦を抜き、楽を与えたいという心(抜苦与楽の心)で、仏教以外の教え(外道)を信じている人々や、自らの救いだけを考えている二乗(声聞、縁覚)の人々には絶対に起こせない心と言われています。


三つ目が勝義心で、深般若心とも言いますが、劣った教えを捨てて勝れた教えに帰依していこうという心です。


仏教を内道、仏教以外の教えを外道(げどう)といいますが、昔から「邪魔外道に帰依してはならない」と言われるのは、勝れた教えに帰依しなければ、抜苦与楽の大慈悲心を起こす事が難しいからです。


四つ目が大菩提心で、一日も早く悟りを得て、彼岸浄土に帰らせて頂きたいと願う心です。


六道輪廻の連鎖を断ち切って、凡夫から抜け出したいと願う心も同じですが、何故この菩提心が起こせるのかと言えば、元々、私たちの中に、み仏の悟りの心(菩提心)が具わっているからです。


最初にお話したノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智北里大学栄誉教授がなさっておられる様々な研究や社会貢献も、まさに菩提心の実践と言っていいでしょうが、何故この菩提心が大切なのかといえば、菩提心を起こす事は決して人の為ではないからです。


菩提心の実践は、六道輪廻の人生に終止符を打つ為には必要不可欠なもので、菩提心さえ忘れなければ、もう「あれを叶えて下さい。これを叶えて下さい」と、神仏にお願いする必要もありません。


必要な事は、求める心ではなく、与える心、施す心、菩提心を起こす事です。心の中におられるみ仏に外へ出てきていただかなければ、プラスは寄って来ません。


どんな事でもいいから、持てるものを与える事です。その心さえ忘れなければ、福の神は向こうから幸せを運んで来て下さいます。


◇無財の七施◇


よく「人に施すお金も物もないから、施し出来ません」というお方がいますが、施すのに、お金も物もいりません。例えば、お金や物がなくても出来る、「無財の七施」と言われる施しがあります。


一つ目は眼施(げんせ)で、やさしい眼差しで人に接する事です。


二つ目は和顔施(わがんせ)で、にこやかな笑顔で相手に接する事です。


三つ目は愛語施(あいごせ)で、やさしい言葉で人に接する事です。


四つ目は身施(しんせ)で、荷物を持ってあげるなど、自分の身体でできる奉仕をする事です。


五つ目は心施(しんせ)で、人の気持ちを思いやり、心を配ってあげる事です。


六つ目は床座施(しょうざせ)で、席や場所を譲ってあげる事です。


七つ目は房舎施(ぼうしゃせ)で、自分の家や場所を提供する事です。


例えば、お四国霊場へ行きますと、お遍路さんに休憩場所を提供したり、お遍路さんを泊めてあげるお接待や善根宿の風習がありますが、これがまさに房舎施です。


◇新陳代謝の大切さ◇


私たちの毎日の生活を考えても、出す事の大切さがよく分かります。


食べた物を、いつまでも出したくないと言ってお腹に貯めていたらどうでしょうか?
間違いなく体を壊して病気になります。食べたら出すのが、この世の決まりです。美味しく食べたいと思ったら、まず体内から出さない事には美味しく頂けません。


人間の肉体も社会も、新陳代謝によって成り立っているのです。


例えば、お金が循環しなくなると不景気になるのは、新陳代謝がなされていないからです。


地球も月も太陽も、みんな回っているからいいのです。回転が止まったら、たちまち太陽系の秩序が崩れて大変な事になるでしょう。


降った雨水を容器の中に溜め、そのままにしておいたら必ず腐ります。容器の中に滞って循環しないからです。いつも新鮮な状態を保とうと思えば、循環させなければなりません。


今冬、北陸各地で記録的な積雪があり、国道を走っていた車が身動きできなくなり、何日間も閉じ込められ、生活にも大きな影響が出ましたが、大量の雪によって循環が止まった結果です。


人間も社会も、新陳代謝を忘れてはいけません。


お腹がふくれたままでは美味しくないのと同様、自分の持てるものを出さなければ、そこで進歩も止まってしまいます。


生きる上で最も大切な事は循環であり、新陳代謝なのです。


新陳代謝と言えば、ただ循環する事(無常)だけのように思われるかも知れませんが、そうではありません。


地上に降った雨は、川となって海へ流れ、蒸発して雲となり、また雨となって地上に落ちてきます。一か所だけを見れば、増えたり減ったりしているように見えますが、全体を見れば、水はただ循環しているだけで、増えも減りもしていません。


新鮮なものを入れる為には、一方で減らさなければ、もう一方で増えていきませんが、それでいて、全体を見れば不増不減なのです。


その事を教えているのが、先ほどお話した無財の七施です。笑顔一つ、優しい言葉一つ、気配りの心一つが、幸せを呼ぶ施しとなり、しかも、幾ら施しても尽きる事がありません。


施せば施すほど、心の新陳代謝が活発となり、功徳の器も大きくなり、幸せや喜びが次々と入ってくるようになるのです。


◇み仏のために為すべきこと◇


世間では、信仰を、願いを叶える為の手段と捉えている為、神仏が信仰の見返りに何をしてくれ、どんなご利益を与えてくれるかが、人々の最大の関心事と言っていいでしょう。


その為、折角の布施行も、それに見合ったご利益を期待するただの取引になってしまっています。


布施行は、見返りを求めない無条件のものでなければなりません。見返りを求めるひも付きの布施行は、布施行のように見えて、ただの取引に過ぎません。


これは、執着以外の何ものでもありませんから、真の救いにはつながりません。


み仏にお布施をすれば、それはすでにみ仏の御手に移ったものであり、布施行は、そこで終わっているのです。


にも拘らず、そのお布施をどのように使い、どのような見返りがあるのかにまで拘り続けるのは、執着そのものであり、これでは折角積んだ功徳が台無しになってしまいます。


一口に布施行と言っても、無財の七施を含め、様々な布施行がありますが、最も功徳が高い布施行と言えば、み仏に対する布施行です。


衆生救済の為に御苦労して下さっているみ仏のお手伝いをする布施行に勝る功徳行はありません。


この事が分かれば、み仏が私たちの為に何をしてくれるかではなく、私たちがみ仏の衆生救済の為に何が出来るかを考えるのが、真の信仰(布施行)である事も分かってきます。


お釈迦様、お大師様、菩薩様の衆生済度の為に、何をさせて頂けるのかを考えるのが、真の信心であり、布施行であり、菩提心の実践です。


アメリカのケネディ大統領が大統領就任演説で、 「国が何をしてくれるかを考えるのではなく、国の為に自分が何を成しうるかを考えて欲しい」と国民に呼びかけ、拍手喝采を浴びたのは有名な話ですが、流石はアメリカ合衆国の大統領となるに相応しい人物です。


普通の政治家は、国の為に何が出来るかを考えて欲しいなどと言ったら票が集まりませんから、国民受けを狙って耳障りのいい事しか言いませんが、ケネディ大統領は、「国の為に何が出来るかを考えて欲しい」と、国民に直接訴えたのです。


銃弾に倒れはしましたが、党利党略の為の批判しかしない日本の一部政治家とは雲泥の差で、一歩間違えば国民を敵に回すかも知れない事を避けることなく、勇気を持って訴えたケネディ大統領こそ、国を思い、国民の事を思う真の政治家と言っていいでしょう。


ケネディ大統領の言葉を借りるなら、お大師様、菩薩様が私たちに何をして下さるかを問うのではなく、お大師様、菩薩様の衆生済度の為に何が出来るかを、自らに問わなければなりません。


衆生済度のお手伝いと言えば、とても難しいように聞こえますが、例えば、先ほどお話した無財の七施の実践も、立派な衆生済度のお手伝いです。


自分の周りの人々に、親切な心を施し、優しい言葉をかけてあげる事も、まさに菩提心の実践であり、布施行の実践であり、お大師様、菩薩様の衆生済度のお手伝いとなるのです。


大切な事は、「どのような形でもいいから、自分に出来る事を、出来る範囲でさせて頂く」という事です。


合掌


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高野山法徳寺Website「救いの扉」

posted by カンロくん at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記