2017年07月31日

報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(1)

◇病巣の根深さ◇


近年、一部マスコミによる偏向報道が一段と加速している事は周知の事実ですが、「加計学園問題」において再び顕著となった偏向報道姿勢は、改めてマスコミに巣食う病巣の根深さを、全国民に知らしめる結果となりました。


2017年7月10日に行われた「加計学園問題」の参議院閉会中審査において、「行政がゆがめられた」と言う前川喜平・前文科次官の発言に対し、元愛媛県知事の加戸守行氏が、「10年間、我慢させられてきた岩盤規制に、ドリルで穴を開けていただいた。行政がゆがめられたのではなく、ゆがめられてきた行政が正されたのです」と発言した内容を、朝日、毎日の二大新聞が全く報道しなかった事に、批判や疑問が相次いでいます。


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これに対し、「報道しない自由」を行使しただけだという意見もありますが、今回のように発言内容が相反し、野党が印象操作に狂騒している極めて政治色の強い事案について、自社や自社の主張に近い政党に都合のよい一方の発言だけを報道し、不都合なもう一方の発言を一切国民に伝えないという報道姿勢には、誰もが強い違和感を覚えたのではないでしょうか?


朝日、毎日の二紙が、一方の発言内容しか伝えないという偏った報道姿勢をとったのは、憲法改正を唱える安倍内閣を倒すためだというのが大方の一致した見方で、国民が違和感を感じる最大の要因もそこにあります。


勿論、国民の中には、安倍政権を擁護したい人もいれば、安倍政権を倒したい人もいるでしょうから、国民一人一人が、それぞれの立場や考え方から、その是非を判断すればよい事で、極めて公共性の高いマスコミという立場を利用して、倒閣運動や野党の印象操作の片棒を担ぐ事には違和感を覚えるものの、それが二紙の立場なら、あえて異を唱えるつもりはありません。


ただ、私たちが危惧しなければならないのは、倒閣運動の是非よりも、むしろ手段を択ばぬ二紙の報道姿勢の在り方です。


何故なら、今回二紙がとった行動は、マスコミの生命線ともいうべき「報道の自由」と、その大前提である憲法で保障された「国民の知る権利」を、二つの点で大きく損なったからです。


一つは、所謂「報道しない自由」なる詭弁を弄して「国民の知る権利」を大きく損なった点において、もう一つは、事実を在りのまま報道すべきマスコミの責任を大きく損なった点においてです。


◇報道する自由と責任◇


先ず、相対する発言の一方しか伝えない「報道しない自由」という詭弁を弄して、「国民の知る権利」を大きく損なった点についてですが、御承知のように、「報道する自由」は、憲法第21条の「国民の知る権利」を守る為に認められた権利と自由で、「報道する責任」と一体不可分のものです。


強大な国家権力、官僚機構が、自らに不都合な情報を隠避し、都合のよい情報だけを流すようになれば、国民の正しい判断は阻害され、権力機構の意のままに操られ、間違った方向に誘導される危険性が高まります。


戦時中、政府が、日本にとって都合のよい情報だけを国民に流し、不都合な情報は一切明らかにしなかったのがその好例で、マスコミも、政府の片棒を担ぐ役割を荷った事は周知の事実です。


このような過去の苦い経験から、憲法21条で「国民の知る権利」が保障され、知る権利を担保する為、マスコミに「報道する自由」が認められたのです。


「報道の自由」が認められた経緯を見れば明らかなように、国民が間違った方向に誘導されるのを未然に防ぐため、知り得る限りの情報を、在りのまま包み隠さず国民の前に示す事は、マスコミに課せられた重い責任であり、いかなる圧力や抵抗があっても守り通さなければならないマスコミの生命線と言っても過言ではないでしょう。


その意味で、「報道する自由」を託されたマスコミは、知り得る限りのあらゆる事実や情報を、賛否の如何を問わず、在りのまま包み隠さず国民に伝える「報道する責任」を国民に負っていると言っていいでしょう。


「報道する自由」が「報道する責任」と一体不可分の権利である事を考えれば、「報道する自由があるのだから、報道しない自由もあって当然だ」という奇妙な論理は、どこからも出てきません。


ましてや、「報道しない自由」が、報道する側のマスコミに不都合な情報を伝えない事を正当化する為の道具に利用されているとすれば由々しき事で、「国民の知る権利」を守る上で欠かせない「報道する責任」を、マスコミ自ら放棄したものと言わねばなりません。


問題なのは、朝日、毎日の二紙が、たとえ安倍政権の倒閣運動の為とは言え、「報道する責任」を自ら放棄し、国民の信頼を大きく裏切った事です。


そればかりか、マスコミ全体に対する信頼をも大きく損ねた点において、二紙の責任は重大と言わねばなりません。


不都合な事実を隠そうとする国家権力、官僚機構から、国民の知る権利を守る為に認められた「報道する自由」の旗手である筈のマスコミが、今や監視される権力機構と同じ立場に立つという前代未聞の珍事を、朝日、毎日の二紙は、我々国民の前で、見事に演じて見せてくれたのです。


◇報道しない自由の実体◇


「報道しない自由」と言えば、一見尤もらしく聞こえますが、その実体は、「国民に知らせたくない事実を知らせない偏向的自由」であり、「国民に知られては困る情報を伝えない隠匿の自由」に他なりません。


危惧するのは、国民に知らせたくない事実を知らせない「報道しない自由」を、国家権力側ではなく、国民から「報道する自由」を託されたマスコミ側が行使する時、その深刻さは、国家権力側が知らせない自由を行使する時の比ではないという事です。


何故なら、何も知らない国民は、今まで、自分たちの側に立っている筈のマスコミが、国民を騙し、不都合な事を隠す筈がないと、固く信じてきたからです。


皮肉にも、今回の加計学園問題での二紙の目に余る偏向報道は、マスコミといえども、国家権力と同様、否、それ以上に「国民に知らせたくない事実」を隠すのだという当たり前の事実を、国民の前にハッキリ露見させてくれたのですから、その意味では国民にとって幸いだったと言えるかも知れません。


今まで素朴にマスコミを信じてきた人々に、覚醒を促す一定の効果があった事は間違いないでしょう。


合掌


報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道(1)
報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道(2)

posted by カンロくん at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年07月22日

ようこそお帰り下さいました!

昨日は、今年七回目のお大師様のご縁日でした。
いつものように、10時より、月並み法要を厳修させていただき、その後、1時間余りの法話をさせていただき、午後からは、御法歌(みのりうた)をご奉納させていただきました。


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posted by カンロくん at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年07月13日

満開のノウゼンカズラ!

知り合いからいただいた庭のノウゼンカズラが、満開になっています。
いただいた時は30センチほどしかありませんでしたが、今では、2メートル以上の高さにまで成長しました。
冬になると、枯れ木のようになるのがこの木の特徴ですが、いただいた時はまだその事を知らなかった為、枯れたと思い込み、危うく切って捨てようとした事があります。
笑い話のような本当の話です。


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posted by カンロくん at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年07月08日

ひっそりと咲く七段花!

薄紫色の七段花が、境内の片隅でひっそりと咲いています。
100年余り、その所在が分からず、幻の紫陽花と言われていた花ですが、誰の目にも触れず、ひっそりと咲いている様が、可憐な七段花にはよく似合っています。


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2017年07月07日

ゴーヤの赤ちゃんが、すくすく育っています!

今年もゴーヤの苗が大きく育ち、いまはまだ赤ちゃんですが、可愛らしい花から、ゴーヤの実が少しずつ大きくなっています。
一人前になれば、薄く切って日に干し、ゴーヤ茶を作ります。


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